記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)意識ファースト!意識がよければ何でもOK。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※基本殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

この前、「本土日语」の理念を「誰でも働かなくても生きていられる社会の実現」に向かうものであることを書いた。

ただ、それはベーシック・インカムなどの仕組みで今後長期的に実現されるであろう。僕がやろうとしているのは「”誰でも”頑張れば年収一千万円を稼げる社会」だ。

この”誰でも”というのが重要。

頑張って弁護士資格や会計士資格をとって年収1000万超える!とか、起業して社長になって年収1000万超える!歌手や漫画家になって一発当てて大儲けする!とかいうのは現実的でない。それまでにかなり基礎的な知識や人脈などが前提とされている。(もちろん誰にでも可能性はあるが、難しい)

しかし、「日本語を使える」というのは日本人誰にとってもできることだ。もちろん、教養もなく漢字もろくに読めない人から文学博士までいろんなレベルがあるだろうが、共通していえるのは、日本語を使って生きていけている、ということ。

逆から見ると、日本語を学ぼうとしている人は「日本語を使って、生きたい」ということだ。だったら、それが既に出来ている人は熟達した先生、師匠であり、学ぶことが必ずある。学歴も問わず、社会経験、仕事経験も問わない。とりあえず、日本で日本語を使って生きていればそこから学ぶことは多い。僕も中国でマッサージ屋のおばちゃんや屋台のおじさんから中国語を学んだ。彼らは社会的にみれば高度なスキルを持たないが、それでも僕にとっては大先生であった。

作りたいのは、誰でもユーザーの声を聞き、工夫し日本語を教えようという意欲があればそれを実行に移せるプラットフォームだ。学生の頃、オンライン中国語の運営に携わってたとき、人気講師が月に1万元以上稼いでいたことがあった、当時の物価でいえばかなりの額だ。中国だったら40歳を超えても1万元に満たない給料の人も多い。

ユーザーファーストなサービスのために競争でき、それが反映され、継続して努力できる仕組みをつくれば年収1000万など簡単にいくだろう。中国の網紅のように、自分の価値が高まればいくらでもマネタイズできてします。そういうプラットフォームを作りたい。

これができれば、それはただ単なる稼げるプラットフォームを超えた意義を持つ。つまり、”誰でも”日本語さえ使えれば、頑張り次第で年収1000万という一般的には高額といわれる稼ぎを得られる、つまり一般的には成功といわれることが誰にでもオープンになる。

これは、ベーシック・インカムとは違った一つの社会のセーフティネットになるのではないか。そして同時に頑張ればよい生活が遅れるという希望に満ちた社会にも繋がる。

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今日は「本土日语」のサービスの理念について書きたい。つまりユーザーがどのような主観的体験をするか、ユーザーにどう役立つか、について書きたい。

基本的に語学する場合、「ネイティブの関与なしで学べるもの」と「ネイティブの関与が必要なもの」に二分される。本土日语では、後者の場合の学習を、「ネイティブとの接点を効率的にデザインすること」をその理念とする。
(前回の投稿で書いたように、僕は誰もが持っている能力が価値化されるプラットフォームを作りたいと考えていたが、その可能性を最も秘めた能力が母国語の能力である。例えば、ハーバード大学で日本語の研究をしている学生にとって、日本の田舎のセブンイレブンでバイトしているおっさんは、”日本語を教えてもらう”という観点からすれば、価値を提供してくれる存在である。母国語力は(ほとんど)誰もが、気づかぬうちに習得してしまっているものだ。)

僕は学生時代に以下のオンライン英会話と中国語の企業でインターンやアルバイトしながら、ネイティブからいかに効率的にそして楽しく外国語を学べるか、について考えていた。

オンライン英会話-会員数No.1
https://www.rarejob.com/

講師がSNH48にも選ばれた話題の中国語教室「iChina.jp」
http://www.ichina.jp/

これらの企業がやっていることは端的に、物価の安い中国やフィリピンの先生と、生徒である日本人をSkypeで繋いで30分ほどレッスンする、というもの。2007年とか当初は無料で世界中の人とコミュニケーションできるというSkypeの拡がりとともに成長していったようだ。

ただ、自分もこれらのレッスンを受けて思ったことは「ただSkypeで繋いでいるだけ」という印象だった。例えば、オンライン英会話の場合、以下のような市販の『side by side』を使って、先生と生徒が30分程度レッスンをする、というもの。これはこれでちゃんとやれば語学は上達するであろうが、せっかく1対1でやっている割に、何か物足りない、という感じがする。それに30分マンツーマンで先生の時間を拘束してまで提供しているのに、付加価値が低い、と思っていた。



その後、僕は語学プラットフォームからは離れインターネットやエンターテインメント関係の仕事をしていたが、やはりまた語学プラットフォームに興味が戻ってきた。そして、その「ただSkypeで繋いでいるだけ」を超えた付加価値の高いサービスをどう作れるか、という問題意識はずっと持っていた。

今回の取り組み「本土日语」では、その問題をそれなりに解決している。

さきほど、語学において「ネイティブの関与なしで学べるもの」と「ネイティブの関与が必要なもの」を二分したが、「ネイティブの関与が必要なもの」って実はかなり限られている。

端的に言えば、「ネイティブとコミュニケーション(会話など)する機会を提供できるのはネイティブしかいない」という当たり前のトートロジーである。

大概の単語や文法、読解や、さらに会話にしても、効率的に学ぶなら同じ母語話者から学んだほうがいい。中国人が日本語学習しているなら、日本語習得した中国人から習ったほうが早い。でも中国人ではできないことは、日本人ネイティブになる、ということだ。

そもそも、外国語を学ぶゴールは多々あるだろうが、一番中心的な目的は外国語を使えるようになることであろう。では「使える」とは何か?検定試験の1級を取ればいいのか?留学して大学院を卒業すればいいのか?そうではない、その言語のネイティブに使う(文章や口語問わず会話など)ことで、相手の反応を見て、自分が意図したことを伝えられたか、そして相手のことを理解できているか、を(無自覚的に)確認しながら場数をこなすことだろう。
※今回詳しく書くことはできないが、その射程は広く、結局作文の「内容」が面白くなければ語学力に自信を持つことはできない、と僕は考えている。印象をフィードバックするとは、もちろん不自然でぎこちない表現を指摘することもあるが、面白い面白くないが重要。そしてこのフィードバックはどんな日本人でも”できる”というのが肝。

に二分される。本土日语では、後者の場合の学習を、「ネイティブとの接点を効率的にデザインすること」をその理念とする。

今回は理念についてなのであまり具体的なことまでは書かないが、本土日语では「作文→ディクテーション→音読」の中で日本人ネイティブの「反応」、つまり、日本語学習者のアウトプットに対する印象のフィードバックを与える仕組みを作っている。Skypeレッスンの様に、リアルタイムで同期的なレッスンではないので、学習者は暇な時間に、フィードバックする日本人もまとめて沢山のフィードバックをすることができる。

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このような「作文→ディクテーション→音読」のサイクルはまだ暫定的なもので、どれだけ理念を実現できているかは未知数。これからどんどん多くのユーザーに使ってもらってより理念を体現したサービスに磨き上げていきたい。

1月下旬から中国人向け日本語学習サービス「本土日语」をテスト運営している。

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これは一見、ただの語学サービスに見えるがその思想的射程の広がりは他の語学ビジネスとは一線を画する。人間社会全体に影響を及ぼす可能性を秘めた一つのプラットフォームを作りたいと思っている。今日は、このプラットフォームの理念の概要を書きたい。

僕は2006年(くらい?)、学生の頃、『フラット化する世界』を読んでインターネットの可能性にワクワクした。そこに書かれてた世界では、例えば日本人がブラジル人のニーズに応えるため仕事をする。バックオフィス業務や医療や会計など専門的な分野は当時から物理的場所を超えてインターネット上で展開されていた。

フラット化する世界 [増補改訂版] (上)
トーマス フリードマン
日本経済新聞出版社
2008-01-19

フラット化する世界 [増補改訂版] (下)
トーマス フリードマン
日本経済新聞出版社
2008-01-19



これの核心を自分なりに「既に持っているなんでもないものを価値化できる」と解釈した。価値化できるということは、今の資本主義社会で言えばお金を稼げるということであり、生きていけるということだ。いちいちスキルを磨いて市場に合わせた社会の歯車になろうとしなくても、今の自分の中にあるものを価値化するのだ。

では何が価値化できるか?例えば、アイスにめっちゃ詳しいという普通はどうでもいいことが誰かのニーズに結びつくかもしれない(実際にホリエモンが言ってたがこういう事例あるらしい)し、ローカルの情報などは誰でも自分のエリアについては詳しいはずだ。そして、その最たるものが「母国語力」だと思う。これほど習得が大変なものでありつつも、誰もがもっている能力はない。

加藤嘉一という昔、「中国で最も有名な日本人」と言われる人物がいたが、彼はネイティブ並みの中国語を街でアイスを売るおばちゃんや警備員のおっさんから学んだという。お金を払うこともなく、ただ毎日何時間も話しかけて練習したのだ。

こんな言い方をしたら大変失礼だが、道端でアイスを売るおばちゃんは、労働市場でいえば営業チームを率いた経験もなく、プログラミングができるわけでもなく、そうしたスキルがなく人間社会における”労働市場”という限定でいえば、「価値が低い」。でも、この加藤嘉一にとっては大きな価値を提供したといえる。

僕がやりたいのは、誰もが”既に”持っているものを価値化すること。僕は人間を労働から解き放ちたい。詳しくは説明しないがこの「労働」とは要は生物的に生きていくためにしなくてはいけないこと。つまり、アーレント的な意味での「労働」である。

僕は働かなくても生きていける社会を作りたい。(なぜかはまた別の機会に書く、というか以前このブログで書いたけど)ベーシック・インカムの実現が望ましいが、僕は自分の過去の経験(歴史性)、つまり自分が語学をしてきたし、海外経験も多いので、この語学プラットフォームで誰もが持つ言語力を価値化することでそういう社会への近づきたいと思う。

つまり、働かなくても生きている社会を作りたい。そのために、誰もが持っている能力を価値化する仕組みを作る。そしてそれは語学プラットフォームという形で実現するが、そのためには語学を教える側と学習する側のマインドを変える必要がある。こうしたプラットフォームの構築と、語学に関わる人たちのマインドを変えること、これに僕は中長期的に取り組みたいと思う。

これだけでは十分にこのプラットフォームの理念を書ききれていない。今後、さらに詳しく深く書いていきたい。

「本土日语」は第一弾のコンテンツであるが、

僕は、

母国語を自由自在に使えるネイティブ

机上の学習中心の外国語学習者

を繋げるクラウドソーシングサービスについて研究している。
なぜそんなことをするのか?それは母国語話者と外国語学習者に自己実現の機会を与えるためです。

なぜやるのか?
われわれは誰もが馴染みのある「言語」を軸に「自己実現していく過程」を創造していきます。より多くの人の実存の在り方をよりよくし、さらに社会貢献へ繋げます。(中長期的には、「言語」「クラウドソーシング」→「自己実現」「世界平和」を目指す)


自己実現には2つの道があります。
  1. 「母国語」を「外国人」に教える。これは大変意義のある仕事です。
  2. 「外国語」を「外国人」から習得する。「学ぶ」だけではなく「習得」です。外国語を習得し使えたときの達成感、さらにもっと上を目指したいという情熱には限りありません。
われわれはこのような機会を創造します。

どうやって?

われわれの主な事業は大きく二つです。
  1. 中国人に実践的な日本語を教える
  2. 日本人には実践的な中国語を教える
わたしたちのミッションは以下を実現することです。
  1. 中国人1000万人を日本語「ぺらぺらレベル(※)」にする
  2. 日本人100万人を中国語「ぺらぺらレベル」にする
※口語での一般的なやり取りが全く問題ないレベル。詳しくは別途書きます。

中国語の語学市場は英語の語学市場の100分の1の大きさです。オンライン英会話最大手のレアジョブは「日本人1000万人が英語を話せるようにする」というビジョンを掲げています。それの100分の1は10万ですが、それでは目標が小さすぎるので100万人としたいと思います。人口の1%です。

一方、中国に日本語学習者は100万人いると言われています。アニメなど見ながら独学している人もいれればもと多いでしょう。数百万人はいるはずです。愛国教育もあったせいで、日本語教育は大々的には行われていません。こちらも人口の1%程度の1000万人を目指しましょう。

逆の側面から見れば、
  1. 日本人に、中国人に日本語を教える機会を与える
  2. 中国人に、日本人に中国語を教える機会を与える
ということです。どちら側でも自己実現ができます。さらに言えば、両国のみなさまに異文化交流の機会を提供していると言えます。 

こうなれば、日本人と中国人の直接的交流やインターネットなどのメディア上の交流も盛んになり、引いては文化的、経済的な結びつきが強まり日中平和、さらには世界平和へと至ることでしょう。 

われわれが提供するサービスの競合は英語学習などスキルアップの「勉強・学習」ではありません。また、母語を教えてお金を稼ぐ機会でもありません。われわれが提供するのはあくまで「自己実現の過程」です。それは、何か具体的な目標を情熱的に追い求め、自分の力を発揮し何かを成し遂げていくこと自体を楽しんでいる状態です。

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日本語学習中で特に「発音」に外国人の方、超朗報です!

早稲田大学大学院日本語教育研究科 GSJALの戸田貴子研究室が素晴らしい講義動画を無料で配信しております(中国でも視聴可能)。

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戸田教授は音声習得研究・日本語音声教育・音声コミュニケーションなど、日本語の「音声教育」の権威です。研究室のサイトによると、 

授業中は,教えるべきことが多く,発音練習する時間がない…

帰国して日本語教師になるつもりだが,自分の日本語の発音が気になる…

こんな悩みはありませんか?

そこで,日本語発音練習のための講義動画が,Waseda Course Channelで一般公開されることになりました! どなたでもアクセスして,日本語のアクセントやイントネーション等が練習できますので,授業用として,また,独学用としてご活用ください。
とのことでこちらでなんと全17講義が無料で受講できてしまいます。
戸田教授は音声教育についての書籍もいくつか出しており、その成果がつまった渾身の授業となっています(授業はすべて日本語で行われていますが、先生はやさしい表現でゆっくりと話しています)。

この授業は早稲田大学からWaseda e-Teaching Awardを受賞しており、その学習効果と内容の充実ぶり、さらに授業の人気が評価されています。このまま日本語学習者を集めて放映すれば、有料で授業ができちゃうくらいですね(笑)

以下、シラバスによる本講義の概要です。


担当教員戸田 貴子
科目概要発音が上手になりたいと思っているのに、練習するチャンスが少ないという人のための特別コースです。
シャドーイングという方法を使って、発音を意識して話す習慣をつけます。
授業は最初の5回をクラスで行いますが、あとの10回はCourse N@viのオンデマンド授業を活用し、自宅からでも学習できるようになっています。このため、自分のペースでいつでも発音を練習することができます。最初の5回のクラス授業で学習のすすめ方をくわしく説明します。
授業の到達目標なめらかな発音で話せるようになるために発音のしくみや規則を学び、学習方法を身につけていきます。
学部日本語教育研究センター
授業で使用する言語日本語
授業計画1: 第1週
    オリエンテーション
2: 第2週
    あいさつの発音、拍
3: 第3週
    日本語のリズム
4: 第4週
    名詞のアクセント、人名のアクセント
5: 第5週
    文末イントネーション
6: 第6週
    連濁、助数詞
7: 第7週
    オノマトペ、短縮語
8: 第8週
    外来語
9: 第9週
    

縮約形

 


10: 第10週
    

強調


11: 第11週
    母音の無声化
12: 第12週
    複合語のアクセント
13: 第13週
    

動詞のアクセント


14: 第14週
    表現意図とイントネーション、への字型イントネーション
15: 第15週
    まとめと振り返り、レポート提出
教科書戸田貴子編著(2012)『シャドーイングで日本語発音レッスン』スリーエーネットワーク
参考文献戸田貴子(2004)『コミュニケーションのための日本語発音レッスン』スリーエーネットワーク
 

発音に関心のある日本語学習者のみなさんは必見です!

さらに何と第16回目の講義には「中国語母語話者のための発音レッスン」が公開されております。素晴らしい!中国人日本語学習者が特に苦手な4つの項目について解説され、練習方法が紹介されています。

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内容は基本的に以下の本に沿っているようです。


 

大体の要点は以下の通りです。練習法などは教科書を参照してください。

中国語母語話者のための発音レッスン

 

1,      清濁の発音

(ア)  問題点

      「大学」「退学」、「開国」「外国」の聞き分けや発音がうまくできません。

(イ)  解説

      清濁の発音の問題は次のような違いによって起こります。

1.       日本語:清音(無声音)と濁音(有声音)があります。

(ア)  例「た」「だ」

2.       中国語(ここでは北京語を例とします):有気音と無気温があります。

(ア)  例「他」ta 「da

2,      ダ行、ナ行、ラ行の発音

(ア)  問題点

      「肌」「鼻」「腹」の聞き分けや発音がうまくできません。

(イ)  解説

      日本語にはダ行、ナ行、ラ行がありますが、同じような区別が皆さんの母国語にないことがあります。Dがないためlで代用し、ダ行とラ行が混同する場合、「子ども」が「衣」のように発音されます。また、nlの区別がなくナ行とラ行が混同する場合、「ひなまつり」が「ひらまつり」と発音されます

3,      「ふ」の発音

(ア)  問題点

      「ふるい」「船」などの「ふ」の子音が「f」になります。

(イ)  解説

      日本語の「ふ」の子音は上唇と下唇を使って発音しますが、中国語にはこのような発音がありません。このため、fで代用されることがあります。

(ウ)  練習法

      「ふ」の子音はろうそくの火を吹き消すような音です。目の前にあるろうそくを消すイメージで発音してみましょう。

4,      アクセント

(ア)  問題点

      声の高さが上がったり下がったりして、アクセントが不自然です。

(イ)  解説

      中国語には声調があります。地域・話者によっても異なりますが、例えば北京語には声調が4つ、広東語には6つあり、1音節中の声の高さの変化に富んでいます。長いことばになると、同じ高さを保つことが少なくなります。これに対し、日本語には平板型というアクセントの型があり、声の高さが保たれます。また、複合語では後ろのことばのアクセント型や長さによって、アクセントが決まります。

      名詞のアクセントをひとつひとつ覚えましょう。それから、複合語アクセントの原則を知っておくといいでしょう。多くの場合、後ろのことばの最初の拍にアクセントを置きますが、すべてではありませんので、気をつけましょう。


この授業を受ければ、自分の発音を分析できる自己モニター能力を身につけることができます。本土日语でネイティブに指摘された自分の発音のおかしなところを分析できるようになるでしょう。

発音をよくしたいと思っている方は是非無料で受講してみましょう!

今日は、「言語」を深く考えるために「言語哲学」について述べてみたいと思います。

いわゆる言語哲学(分析哲学)の大きな流れを掴むには、フッサールやハイデガーの研究でお馴染みの渡辺二郎氏の『英米哲学入門』をお勧めいたします。彼の著作はどれも分かりやすく内容が濃いです。

概要を抜粋しますと、、

現代哲学の二大潮流―一つは、ラッセルおよびムーアに始まり、カルナップを中心とする論理実証主義を経て、クワイン、ストローソン、オースティン、そしてローティへと至る英米哲学の流れ。もう一つは、カントに始まり、ヘーゲルらのドイツ観念論へと展開し、ニーチェ、ディルタイからフッサール、ハイデッガーの現象学に至る流れである。ところが、カルナップやクワインを熟読する人はヘーゲルをけっして繙読しようとしないし、フッサールやハイデッガーを愛読する人はラッセルを忌み嫌ってやまない。英語圏の哲学とヨーロッパ大陸の哲学との分裂を克服すべく、英米哲学の基本的主張を原理的に捉え直し、展望する、格好の入門書。


とのことです。

本書は、最後にオースティンによって展開された「言語行為」まで紹介し終了しております。言語行為とは、これまで真偽の評価軸に固執してきた言語観を一歩推し進め言明(statement)を「行為」とすることでこれまでの矛盾を解明しました。しかし、この「言語行為」を紹介し、本書の文末で渡辺は以下のように述べます。


英語圏の言語論がいかに具体化し、日常言語のあり方を射止めるほどにまで柔軟に考えられるように至ったとしても、そこでは言語が、単に人間のなす主観的ないし社会的な行為の側面においてのみ捕らえられるかぎり、世界を切り拓き、打ちたて、存在の真相を宿す場を成す言語の存在論的側面は逸せられたままである。「言葉が語りかけてくる」ような、言語における存在の開示の姿が捕らえられないかぎり、言語の持つ力の実体はまだ本当には把握されないままにとどまっていると言わなければならないように思う。(422)

 

言語とは、自分の意図を世界(社会や他者を含む)に投げかけるための「道具」というのは一つの側面にしか過ぎません。「言語」はもっと人間の思考や無意識の領域にまで関わる「現存在」のあり方に深く関与しているのです。ただし、無意識の領域にまで考察を進めると形而上学となってしまいます。フロイトやジャック・ラカン、丸山圭三郎などの考察は確かに興味深いものがありますが、検証のしようがなくどうとでもいえてしまうきらいがあります。

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(ただし、渡辺はワイスマンを引用している。「偉大な形而上学者たちは、あたかもその次代の地平を超えて見通す力を持っているかのような洞察力に溢れた姿を漂わせており、したがって、形而上学は無意味であるということ自体がまさに無意味なのである。」)

 

ここで、この言語の存在論的側面を探究したのがマルティン・ハイデガーなのです。ハイデガーは現象学的方法により、形而上学きわきわで言語について深く掘り下げていきます。以下、本書より引用します。

もともとハイデガーにおいては、「ロゴス」は「語り」として、「見えるようにさせる」働きと捉えられる。それは、何について、何かを提示し、当のものの存在の真相を見えるようにさせる働きなのである。それは、必ずしも、いわゆる言明すなわち「陳述Aussage」に限られはしない。ロゴス的な語りは、「確約」「拒否」「勧告」「警告」「言明」「相談」、さらには「演説」、また「願望」、加えて「”試作的な”語り」にまで及ぶ広範な働きにおいてある。「陳述」は、生き語りと結びついて、聴くことや沈黙、また呼ぶことも考究され、広く深い言語的経験の場が見つめられている。

 

ハイデガーにおいては、言葉が存在を樹立する力を持つと考えられている点である。本当にものを考える人は、考えることによってすでに「行動している」とハイデガーはいう。そうした人は、「或るものが持っていた本質の充実の中へとその或るものを展開してやる」。或るものが持っていた本質の充実が展開されるとき、そのものは、その存在の真実を発揮したのである。そのことが、しかし実は、最も深くは「言葉」の中で起こるとされるのである。したがって、言葉は存在の樹立なのである。言葉のうちでこそ、存在の真相が開示されるのである。ハイデガーにおいて、言葉はこうした存在の裏打ちを伴ったものとして考えられていることが重要である。

 


 

悪い意味でのかつての独断的形而上学は別として、私たちの広く深い経験全体を捉え直す、真の意味での形而上学的な、もしくは現象学的解釈学的な存在論が熟成しないかぎりは、言葉のあり方も真には捉えられず、人間と世界が真に哲学的把握されるようにはならないであろう。…真の意味での哲学的洞察力が広く深く育成されるとき、そこでは、世界の姿を映しとり、存在の真相が開示される場としての言葉の本質への理解も実ってくるはずである。

今後、さらに深い言語の本質へ迫っていきたいと思います。

よろしくお願いします。
 

「いいね」ボタンから「率直だね」ボタンへシフトする流れにある。

もちろん、表現としては「率直だね」とはならないが、「何がよいか」つまり「いいね」の内実は、率直に生きることになる。

人は無理しなくていい。人それぞれ気づいたらもうある習慣を身に着けてしまっていて、どんな良し悪しの基準を持つか、どんなときに嬉しいか、悲しいか、モチベーションを抱くかは人それぞれである。だから、集団で何かを同じ方向にする場合、誰かは必ず無理をすることになる。

自分自身あるがままでも受け入れられてさらに生存することもできるような社会に向かっていく。

キングオブコントの優勝ネタを観て以来、芸人のかまいたちにハマっている。youtube上のネタはほとんど全部観たし、大阪のローカル番組なんかも観た。ワイドナショーに出ているシーンや、ダウンタウンとの絡みなども何回も観てしまう。最近の芸人では数少ない、ネタもフリートークもロケも全部面白い。特に個人的にはフリートークのうまさに惹かれる。先日のM1の優勝準優勝コンビがワイドナショーに出て松ちゃんたちとフリートークをしていたが、一回性の場の中でのアドリブが中々うまくいかずにグダグダ感があった。観ていてひやひやしてしまう。一方、同じくワイドナショーに出たかまいたちのトークは、完全に彼らのほうに主導権があり場に飲み込まれてしまうことはなかった。

さて、僕がなんでこれを書いたか。実は、かまいたちって過去にも何回か観たことがあったと思う、youtubeやらネタ番組で。でもそのときはもう一度観たり、かまいたちについて調べようなどと思ったことがなかった。今回、キングオブコント優勝ということでネタをじっくり観た。審査員の松ちゃんやさまぁ~ずなどのリアクションありきで観ると、やっぱり観るときの注意力も高まるし面白いと感じやすい。そこから僕は他のネタやトークを探して観るようになり、また友達に勧めたりもした。結局、面白いということが既に分かっているからちゃんと観たのだ。実力だけでは普及しない。何かしらの実績がないと人は真面目に観ない。もちろん、一般的な話。

今後のわれわれや世界の在り方は、どのような方向に進んでいくべきであろうか。ただただ目の前のことをこなす生き方はつまらない。どのような未来に自分がコミットするかを決めるべきだ。以下、大きな枠組みとして人間存在が今後どのように進んでいくべきかという三つの方向の型を概述する。どれも同時並行で進むであろうが、どこに軸があるかという話。

1 人間性キープ型
自由の相互承認を土台に、一人ひとりが個人を表現できる時代(今は表現どころか生存するのがやっと、あるいは生存できない人も大勢いる)。よりよいものを表現し、承認を重ねる。最低限の生活は保証されているが、承認の競争は残る。アーレントのいう活動が人間の条件となる。喜怒哀楽、波乱万丈に富んだ個性的な生が人間的である(よいもの)だと考える。ある意味ここに到達すれば人間社会は最終形態と考える。現在の状況からここに到達するために働かなくても生きていける社会がまず目指される。いわゆる知識人や文化人でこういう考え方の人が多いのではないか。

2 意識状態の最適化型
意識状態ベースでよい状態を定義し、それを実現する社会を目指す。行き着く先は生まれてから死ぬまでのあらゆることが仕組まれている(が最高に楽しい)完全に予定調和の世界。意識状態が全てなので人間という概念に固執する必要はない。『ウェルビーイングの設計』で書かれているような取り組みの徹底した実現。こうなるともしかしたら意識がどんどん閉じて消滅するかもしれない。SF小説『ハーモニー』で描かれるような世界。SF好き、現実離れした考え方を好む人が支持する。

ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術
ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ
ビー・エヌ・エヌ新社
2017-01-24





3 ガンガンいこうぜ型
あまり打算的にならず未知の面白そうなことにとりあえずガンガン取り組んでいく。人間がどんどん宇宙へ進出。事実的な道の領域で突き進む。意識のアップロード、仮想現実など。人間の概念に固執しないでただどんどん新しいこと現実化していく道。人同士のコミュニケーションも不要或いは任意と見なされ、今の人間存在と全くことなった在り方に変わる可能性を秘めている。ホリエモンや落合陽一氏など行動型で未来に希望を持つものが抱く型。

僕はどれだろう…

あなたはどうでしょう?

人間は生物的な身体を持っている。その身体に基づいた感受性というものがある。言語能力だって、脳という物理的な制約がある。それにより”自然に”理解できる範囲というものがある。現代において、われわれは多くのことを言語を介して理解している。宇宙のこと、地球の裏側のこと、外国のこと、いや隣町のことでさえ、われわれは言語で理解した”つもり”になっている。でもそれは本当の理解ではない。本当の理解とは、そう、例えば家から出て駅まで歩くときのように、目の前に道があり、壁があり、信号があり、避けるべく通行人がいたり、こういうもの。そこに理解したという反省的な感覚はなく、既にそれは前提になっており行動によって前提とされているものである。それを真理と呼ぼう。現代の情報社会において、そのように行動の前提まで深くわれわれに身体化されている情報はどれだけあるのだろうか。最先端の技術を使ったわれわれの生活を安心安全便利快適にしてくれる商品、どれもこれも斬新に見える。それらは勉強すればその理屈は分かるかもしれない。でもそれは、行動に前提されるようなものではありえない。そう、真理ではない。それはわれわれの身体の感受性を超えている。現代において真理に到達するのは難しい。自分が本当に理解できることを軸に生きていけば真理へ辿り着く。

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