われわれは日々いろいろな経験により、何かを学び、自由意志で沢山の選択肢から選び取って行為している。いろいろな経験というのは外部情報に発する。人とのコミュニケーションであったり、テレビやインターネット、本などのメディア、街の様子や自然の景色やあらゆる外部情報である。

その「いろいろな経験」の結果、「ある行為」が生まれる。ここに因果関係があるとすれば、沢山の人間のあらゆるこうした経験と行為のビッグデータを蓄積すれば「経験」と「行為」の因果関係が明確になり、為政者はそれを利用してある「行為」を量産できる。例えば、5歳までの子供の頃に親戚たちと週に1回以上接していて、小学校で生徒会に入っていて、高校でラグビーをやっていて、などの結果、30代で「社会貢献活動」という行為を行うなど。

さらに、これよりもっともっと細かいこと、生まれてから894日目に何を目にする、とか。もちろんそれを認識する主体の分子構造なども。そこまでコントロールされたら、われわれが自由意志で行為しているように見えても、既に決められたレールの上を決まりに沿って歩んでいるにすぎない。

自分たちは複雑なリアルな「今、ここ」の持続を生きているように感じているが、その行動はいとも簡単に操作されてしまうのだ。

催眠術とか見ればそれが分かる。トランプの選挙だって、大衆をどう動かすかという経験的な知を使って、どのボタンを押せばどうなるかということの繰り返しで票を取ったようなものであろう。経済的、技術的な問題で全人口の各々への働きかけ(どういう体験をさせるか)というのはまだ実現していないが、もし一人ひとりにまでがっつり働きかけることができるようになれば社会は完全に操作されるかもしれない。

その鍵がビッグデータなのだろう。例えば、僕の学歴や職歴はもちろん、普段の行動を一秒単位で記録されれば何を食べたかどんな仕事をしたか、どんな会話をしたかなどの情報も取られ、それが「どう投票に結びついたか」など他のサンプルとくらべて分析すればどういう過去の経験がその「投票」に影響したかがすぐ分かるだろう。あとは次のときに同じような手法で動員すればいいのだ。

Big-Data

ただ、おもしろのは、僕はそれが動員されたと気づかないことだ。北風と太陽ではないが、僕が普段目にするメディアなどに何気なく情報を紛れ込ませ、着々と投票の意思決定への準備がなされる。こうなると、「現時点」での状況との境目がよくわからなくなる。今だってそういう情報はそこまで精緻ではないがたくさんある。僕が昨年投票した決定だって、そういう情報に基いているのだ。そうなると、結局は、意識的に「動員された」「強制された」と感づかなければ社会的には許さなければならない。

今後、このような動員に抗うには、相当な主体的な情報収集が求められる。でも、その仮に主体的に情報を集めているようでももうすべてが動員のために息の掛かったメディアになっていたらどうなるか。1984の世界とは違う。なぜなら、監視されていること自体を知らないからだ。自由に振る舞っているつもりでも、全部ビッグデータとして取られ、その分析をもとにした働きかけがなされる。

私は今日本語を外国人に教えている。語学を教えようとすると結局、その人の過去を全て理解しその人がどんな感受性を持っているのか理解する必要がある。そしてその生徒にコミュニケーションで働きかけ特定の刺激を与えて、彼らの意識状態をコントロールする、というのが基本構造。

そもそも、英語を学びたいと思っている日本人にとって、既に申し分のない環境がある。作文や音読をすればネイティブから無料ですぐに添削されるサービスもあるし、youtubeやpodcastなどに勉強の素材はいくらでもある。ちょっとお金を払えば至れり尽くせりのサービスがあるのに、やらない。なぜか。結局必要ないことなのだ。 そういう感受性や過去を持っていないから。だから、こっちがそういうのが「必要」な物語にしてあげないといけない。物語を創ってあげる。そうして、特定の刺激を一定期間与えることで語学を真面目にする人間を作っていくことになる。

語学はおいておいて、あらゆる商品やサービス、さらには政府の政策に至るまで人間に働きかけるすべての行為の基本構造は同じだ。こうなると、というか、そう考えると行き着く先は、完全に人生をコントロールされた社会。むしろマルクスが描いた理想的な共産主義社会なのではないか。

でも、これはうまくいけばいいことなのではないか?

もしも為政者が人の実存の充実を第一に社会づくりをすれば。

このようなビッグデータと人工知能を得た為政者にとって、社会を作ることは難しいことではない。その社会に属す人間はあなたのように実存的世界を生き、クオリアのいきいきした世界を生きている。彼らは完全に社会の歯車であるが、本人の実存的には自由に振る舞っていて幸せな人生を送れる。

普通に自由に生まれ育ったと思っていても、彼が目にするあらゆるものは事前に仕組まれたものでまさにトゥルーマン・ショー状態、彼を育てる親がそもそも操られている。そして自然ととある工場で働く人生を歩むが、それはもちろん為政者の決めたこと。

そしてその為政者とはAIかもしれない。

例えば、心理学でフロー体験というものが確認されている。AIの為政者はそれを再現できるように人々の経験を構築していけばいい。

フロー体験とは何か。

とてもシンプルなことだが、「どう生きるべきか」と問われれば、何かに情熱を持って生き続けること、というのがもっとも正しい。

しかし、人は誰でも熱中できるものに出会えるとも限らない。というか、出会えるというよりも、自分がその必要性を感じ積極的に行動しなくてはそういう存在を「作る」ことはできない。そう、自分から見出していくものだ。錦織圭だって、テニスを見つけて自然と情熱注げるようになったわけではない。

日々の上達を喜び、相手に負けて悔しがり、時にはやめたくなってもでもやっぱりもっとうまくなりたい、強くなりたい、いろんな感情や思いがそこにはある。大きなリスクをとってそれを人生の軸にすると決断した。それをまとめと情熱という。

結局、フロー体験が最高の体験。そこに如何に嵌めてあげるか、という視点で為政者は人々の体験をコントロールすればいい。社会の歯車でいいんだ。 

以下、とあるサイトからフロー理論の概要の説明を引用する。
(http://blogs.itmedia.co.jp/yasuyasu1976/2011/11/post-66a9.html)
■フロー体験とは?

まず、このチクセントミハイの研究の中核をなす「フロー体験」とは、自分自身の「心理的エネルギー」が、100%、今取り組んでいる対象へと注がれている状態を表します。
この状態が満たされるためには、以下のような要素が必要となってきます。

1.自分の能力に対して適切な難易度のものに取り組んでいる
取り組んでいる内容が、自分の能力と照らしあわせて難しすぎず、簡単すぎずであり、全能力を出しきることを要求されるレベルにあること。
そして、それをやり通すことによって、その自分の能力が向上するような難易度であること。

2.対象への自己統制感がある
取り組んでいるものに対して、自分がコントロールができるという感覚、可能性を感じていること。
例えば、F1のレーサーが、自分の車を思い通りにコントロールでき、自在に操ることができるような感覚もこれに当てはまるし、ギャンブルをする人が、運頼みではなく、自分の頭を駆使すれば、きっと儲けることができるに違いないと思い込んでいる状態も、これに当てはまる。

3.直接的なフィードバックがある
取組んでいることに対して、即座に「それは良いか、よくないか」というフィードバックが返ってくること。
例えば、テニスのプレイであれば、いい球が打てたかどうかがすぐに音や感覚で分かり、文章を書いているときであれば、自分自身の感覚でよい一節になっているかが分かるなど、自分の内面的感覚で良し悪しが即座に分かることがこれに当てはまる。

4.集中を妨げる外乱がシャットアウトされている
取組対象以外のことが自分に降り掛かってくることがなく、対象にのみ集中できること。
例えば、自分が文章を書くことに集中しているときに、同僚から声を掛けられてそちらに意識が発散するようなことがないことがこれに当てはまる。

これらの要素が満たされると、自分の「心理的エネルギー」は、よどみなく連続して、100%その対象に注ぎ込まれるようになり、これによりとてつもない集中と、楽しい感覚が生み出されます。

このような状態を「フロー体験」と呼び、この状態にある間、人は時間の流れを忘れ、ひたすらそのことに没頭し、得も言われぬ高揚感に包まれます。


フロー理論は教育やマネジメントへの応用が検討されがちであるが、そもそも世界の運営の根本となる個人の幸せ(主観的幸せ、個人の救済ともいえる)を正確に捉える際に役立つ。この理論で、フロー状態を作り出すサービスを考えたり、社会システムの構築を考えるのは間違いなく社会のためになる。

ちなみにフロー理論について詳しくは以下の本を参考にしてみてほしい。私への影響大TOP3に入る本。量が多いが、その内容はどれも密である。その辺の心理学の表面的な本とは違い、人間の意識は脳内現象であることを前提にどのような環境にいれば幸せになれるかという疑問を追い求めた結果たどり着いたと思える著者のフロー理論がよく分かる。 

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)
M. チクセントミハイ
世界思想社
1996-08



フロー理論は1つの例で紹介したが、ビッグデータが溜まって人工知能が解析すればすぐにフロー理論よりももっと精緻な「最高の実存を持てる」理論を導きだすだろう。そして、そのために人が生まれてからどのような経験をするかをトゥルーマン・ショーのように作り上げるのだ。もちろん、資源配分の問題でいきなりみんなが最高の実存を持ているようにはならない。だから例えばまずは、超有能で社会の発展に寄与する人間を量産するだろう。なので過度期はあるが、中長期てきにはみんながハッピーな状態になるだろう。

大変興味深いのは、こうしてAIが作った完成された「社会に属す全ての人間の実存を豊かにした」社会がどのような社会になるのか、ということだ。実は今と根本的に似た社会かもしれない。貧乏でも幸せであることはおうおうにしてある。個人的な予想では、人は物語を持って現実に適応しているので、要は各自が自分の物語を安定させていれば幸せなのだ。

問題は、AIが凄すぎてもう人間が与えた「社会に属す全ての人間の実存を豊かにする」というミッションを書き換えてしまう可能性である。