ふと天気について思ったことがある。東京ではたまに雨が降る。でも、僕は、今日外に出て空を見たり肌で感じたものを基に翌日の天気がどうなるか、なんて考えたことはない。そこにまったく注意を向けてこなかった。1年365日あるんだから10年で3650日、30年なら1万日以上のビッグデータがあることになるが、これを全く使ってこなかった。

漁師とか農家の人は気候や天気に常に注意を向けているから、言語化できなくてもあるパターンをゲシュタルト化している。それゆれ天気予報ができる。僕の場合は、今さら天気を注視しても、だから明日の天気はこうなる、とは言えない。そこに注意を向けず、ただ画面の上のテクストといういろんなものが一つに還元されたところを見るだけで済んでしまう。

別にそれが悪い言っていない。僕はその分、別のところに注意を向けてパターンを認識しているし、もっといえばそれさえも必ずしも必要といえない。人はそれぞれ自分の注意を向けているところのパターン認識において、優れている。ニートはニートでニートにしか見えないパターン認識している。ただ、これが社会的歴史的に需要のないものであれば経済的にリターンにはつながらない。

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