3月12日(日)01:00 〜 03:00、AmebaTVで生放送された「ウーマンラッシュアワー村本大輔の土曜The NIGHT」、期待通り面白かった。茂木氏の果敢な問題提起と村本氏の建設的な仕切りにより視聴者に色々考えさせる機会を与えたのではないか?

こちらで観れるようなのでまだの方は是非。

事の発端は、脳科学者の茂木健一郎氏が「政治風刺のない日本のお笑いはオワコンだ」という趣旨のツイートや発言がインターネット上を中心に炎上したこと。お笑い芸人のウーマンラッシュアワー村本大輔氏が、「茂木は全然分かってない」「日本の笑いは世界で通じない」など根拠なしの一方的なネット上の反応に疑問を呈し、直接茂木氏を自分の番組に呼んで議論をした。いろいろな意見を採り入れるために日本でお笑い芸人として活動する外国人芸人も参加。

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キャストは以下の通り。

ウーマンラッシュアワー村本大輔
茂木健一郎
いるかパンチ ステファン
タイムボムニック
ちなみに、アラサーの僕個人は以前、日本のお笑いが好きであったが最近は興味を失っている。中学と高校時代は「爆笑オンエアバトル」と「ガキの使い」を毎週録画して繰り返し観て、友達と漫才までしていた。ただ、大学に入り、仕事をしたり留学したり、政治経済や教養などにも触れるようになると日本のお笑いへの興味がなくなっていった。(それでもダウンタウンとさまぁ〜ずだけはDVDやネットでたまに観ていた)また、アメリカに1年、オーストラリアに1年住んでいたこともあり、欧米のコメディも多少知っているしデイビッドレターマンのlate showには憧れ、英語の勉強も兼ねよく観ていた。

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今回の「土曜The NIGHT」を観ていろいろなことを考えたが、全部は書ききれないので一点だけ!

今回の番組のポイントは端的に「日本のお笑い」が世界的に見てどうか?ということに集約されるが、そのためにはどの視点で「評価」するかが鍵となる。それは即ちグローバル社会のトレンドということになるのだが、そこを議論がなかったので、ここで捕捉したい。

茂木氏が(ある意味)知識人代表みたいな立場で参加していたのだから、もっとこういう「そもそも論」から話してほしかった。特に脳科学者として、「人間とは何か」「われわれはどこへ向かっているのか」「幸せとは」などそこを掘り下げてほしかった。村本氏はかなり中立的にいろんな話を聞こうとしていただけにもったいない。

なので僕がその辺りについてちょっと書いてみたい。かなり大雑把な議論で実証的な根拠も書いていないが、大体の方向性だけでも伝えたい。

まずは、われわれ一人ひとりが各々持っている感受性や価値観とはどのようなものなのか?について。

われわれの感受性や価値観、と言われるような個性は経験的に編み上げられる。基本的に人間は自己保存と種の保存のために方向づけ(ベクトル)されており、その生物が言語能力を持ちあらゆるものを対象化し各自が世界像を作っていく。多様な経験の中でベクトルはさまざまに複雑に変様し個性として人々の感受性や価値観は変わってくる。

また、人間は特定の風土的な影響を受け、万人の万人に対する戦いを防ぐために社会を築きそれを発展させてきた。一見理不尽と思える日本の上下関係や、村八分もこういう流れの中で生まれてきたものである。

そこから何が言えるか?

まず、「アメリカの政治風刺的なコメディ」と「日本のお笑い」も各々その背景がある、ということ。アメリカは自由や平等を理念して建国された特殊な国であり、国民が一丸となってこの理念にコミットしている。意外であるが、つい最近まであからさまな黒人差別もあり今でも差別はあるが、基本的にそういうものをなくしていくという「多様な社会を容認する方向」に進んでいる。

一方、日本は島国であり各地で自然発生的にムラが生まれ、それが何となく中国の影響でひとまとまりになったが全体がビシバシと統制されていたわけではなく、自然発生的な村社会が並立するような感じ。抽象的な言い方をすれば、欧米はやはりプラトン的に理念先行で超越的なものを措定し、それに与るものとして現実があるが、日本人はそう考えずに目の前のものをそれとして受け入れる。海に囲まれ外からの攻められることもほとんどなく、静的な長期的な社会が生まれる。中国などまさに逆で、内乱を抑え、外的から国を守るため統一されたからビシバシ権力を振るって社会を統治しないと国が崩壊する。

アメリカも中国に似ていて、自由平等を実現するために統治権力が強い(もちろん中国とその権力の使い方の方向は違うが)。 しかし、過去の歴史の教訓で「権力の暴走」には人一倍敏感なのである。憲法修正第二条では銃の所有が認められているが、これは統治権力の転覆の可能性を保つものである。

さらに、今回の話題である「アメリカの政治風刺のコメディ」も、「偉そうに高尚なこと言って、贅沢な暮らししている統治権力側の人間」への牽制という背景がある。絶対的に正しいことを言っているっぽい統治権力ですら、ただの人間だし間違っている可能性も充分ある。みんな平等な人間なんだぜ、っていう了解に引き戻すための努力だといえる。

翻って日本のお笑いはどうだろう?そんな背景は全くなさそうだ。権力がビシバシ統治して庶民が脅かされるという経験も特にしていない日本人。庶民が日常の中で生活を豊かにするため、楽しむために発生した「お笑い」。だからいつまでたっても中学校の休み時間のノリが続いているのである。傍から見たら、平和ボケと思われてもしょうがない。

村本氏はこう言う。日常で疲れているときとか凹んでいるときに、「自民党がどうとか原発問題など政治風刺的なコメディ」を観てももっと疲れるだけで、「日本のような目の前の日常を面白くみせるお笑い」のほうがいい、と。全くその通りだろう。結局、背景が違って生まれてきたのだから、消費される状況も異なって当然なのだ。

だから今まで二つともそれぞれの社会で存続してきたのである。それについては善悪はない。ただただ「その風土、社会の歴史でそうなっている」ということしかできない。

では、なぜ今これが問題になるのか?

それは端的に、社会が変わってきたからだ。

米最大のシンクタンクである外交問題評議会のリチャード・ハース会長が、フォーリン・アフェアーズ誌最新号に「世界秩序2・0」と題する一文で述べている。

1648年のウェストファリア条約で規定された国家主権を基本とする国際秩序に疑問を呈した。国家間の紛争や不安定を、主権尊重や勢力均衡を唱えて収めようとしても不可能な観光客、テロリスト、難民、電子メール、疾病、ドル、温室効果ガスなどを国際化した社会が招いてしまったので、従来の秩序1・0に代わり、「2・0」が必要だとの指摘である。http://www.sankei.com/column/news/161229/clm1612290006-n3.html
 

詳細は不明だが、社会同士が交わってしまい1つの国家だけでは対処できない国際的な問題が頻発していることが世界秩序を変えている。既にインターネットを通じて、世界中の情報を個人でも得ることができるし、海外に行くことも簡単だ。社会同士が深く交わるようになってしまったのだ。

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では何が言えるか?
ここでグローバルな「善悪の基準」が生まれてくる。

今、世界はグローバル社会へ向かっている。多様性を維持しながらあらゆる社会がマージされていく。これは自由と平等というリベラル的な価値の体現。この流れに抗うのは不可能に近い。世界中の情報が瞬時に入ってくるし世界中どこでも行けてどこでも住めてしまう世界では、もうそれを止めることはできない。

こうなってくると、多様な人間たち、人種の坩堝をうまく共存させる必要が出てくる。そこでは「自由と平等」ということしか全員から賛同を得ることができないので、世界は必然的にこちらの方向に進む。

そう、「自由と平等」という理念に基づいてマージしていく必要が深刻になってきた。ここで善悪の基準が明確になる。

そこでアメリカと日本はどういう位置付けになるか?アメリカは既に理念から社会を作ってきた数百年の歴史がある。一方、日本は外国とほとんど交わらず長期的な関係を土台にした社会を作ってきた。これまでであれば、「環境が違ったのだから違ってて当たり前」であったが昨今のようなグローバル社会においては理念先行型が「善」とされる。

日本はまだまだその善悪基準に染まっていない。ただ、グローバルにはそういうトレンドがある。日本も安全保障や移民、原発の問題など抜本的な改革が必要になってきている。これまでのようになあなあではいけない。

強い統治権力のもとにビシバシ行動していかなくてはならなくなってきている。

そうなってくると、この権力の暴走のためにさまざまな仕組みが必要なのである。特に「デュー・プロセス(英語: due process)」など直接的に権力を抑制しなくてはならなくなる。その一環として政治風刺のお笑いが必要になってくるのだ。茂木氏はけっこう前から日本のお笑い芸人について辛辣なコメントをしていたが、今回明確に発言したのはやはりこの流れが強まってきたことが背景にあるのではないか。

ダウンタウンや明石家さんまが今更、政治経済や教養を学んで権力批判をすることはないだろうし、うまくいかないだろう。観たくもないし。だから、そういうことをできる人が出てくればいい。島田紳助はダウンタウンの漫才を観てその才能を見せつけられ漫才を辞めた。

今の芸人に限らず若者は、お笑い界の重鎮など気にしないで自分が面白い(社会のためになる)と思う政治風刺的な笑いをやってもいいのだ。それを見た大御所がそれについていけないと思ったら潔く席を譲るだろう。村本氏を観ているとそういう可能性を感じた。