天才をどう作るか?

という議論、以下のYOUTUBEのグロービスの動画で観られる。

スピーカー:茂木健一郎 脳科学者 
聴き手:國領二郎 慶應義塾大学 教授 

という如何にも面白そうな布陣。

天才をどう作るか?

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このテーマを考えてみたい。

まず、「天才をどう作るか」という議論ができているこの時点で既に「天才=◯◯」という前提があることに注目すべきである。恐らくはLeonardo da Vinciとか、あるいは抽象的に「日本を良くするためにリーダーシップ取れる人」「破壊的イノベーションできる人」とか。 

これを突き詰めると、

「世界は◯◯のようになってほしい」という前提があり、その「ライン」で「その方向に凄い貢献できる人」がここで「天才」と呼ばれている。 


ん?


もしも、「世界は◯◯のようになってほしい」という明確なビジョンがあれば、それに必要な知識やスキルを与えればいいのではないか?旧帝国大学が官僚人材を作ったように。

問題の根本は、「世界は◯◯のようになってほしい」という明確なビジョンがないことだ。だから、そのラインで「凄い」人がどんな人か想像できず、育ていることができないのだ。

むしろそうしたビジョンを与えてくれる人、世界に流れを作ってくれる人が「天才」と言われる。

だから、そもそも僕らが分からないものを教えてくれるのが天才なのだが、その天才を作ろうとするのが背理だと分かる。

じゃあ錦織圭のような天才はどうなる?テニス界における天才であれば「テニスがうまい」という具体的なラインがあるにも関わらず、僕らは狙ってこうした天才を作ることができない。

これも実は同じこと。

「テニスがうまい」ということが複雑すぎて定義できないのだ。だからそれを目掛けた教育も存在しない。こういう筋肉があればいい。こういうスイングであればいい、という単純なものではない。

結局、天才は勝手に出てくる。

だから待っていればいい。

僕らがやるべきはある程度「定義できる優秀な人材」をしっかり教育を作って「定義できるよいこと」を着々と実現することなのではないか。