落合陽一氏の『魔法の世紀』を読んだ。「ニーチェを読んでないやつとは話せない」でお馴染みの落合信彦氏の息子ということで前々から注目していた落合陽一氏なのだが、先日の「スマホで朝ナマ」に出演していたのを観てさらに興味を持ち本書を読んだ。

魔法の世紀
落合陽一
PLANETS
2015-11-27

 
クロード・シャノン、アイバン・サザランドやマーシャル・マクルーハンなど微妙に聞いたことのある科学者や文明批評家のオンパレードで「ふむふむなるほどね」の連続であった。ただの空想や個人的な体験ではなく現実での議論を抑えつつ自分の主張を行っているところは、さすが博士。

こうした細かい話は読み物として面白いので是非読んでいただくとして、やはりいちばん気になるのは落合氏自身が今後の世界がどうなることを前提に何に取り組んでいるかということ。一部だけコメントさせていただきたい。

まず、「情報が情報世界から染み出していく」ということについて。

「おそらく最終的に想定されるのは、物理世界のモノの一つ一つが、インターネット空間の情報と対応していく未来です。また逆にこれは全ての情報空間が物理空間に表出し新たな自然を作り出していく未来も示唆しています。情報空間が物理空間で表出し新たな自然を作り出していく未来にほかなりません。

そのとき、私たちの意識のフォーカスは何らかの象徴的機械から、それを取り巻く環境全体へと発散していくでしょう。そして、その物理空間は環境インターフェイスそのものとして機能することになります。これを僕は、「情報が情報世界から染み出していく」と表現しています。」56−57

地球上だけでなく宇宙全体の素粒子状態を情報空間が捉えているということなのであろうか。それは不確定性原理により不可能なのではないか。不確実性のないスケールでの話なのだろうか。もしこれが可能なのであれば、どこでもドアの思考実験でお馴染みのA地点の山田くんの素粒子状態を消去して、B地点で再現することもできる。そこまで行かないにせよ例えば、キッチンが私の行動に合わせて買い出しや料理をしてくれるみたいなレベルなのだろうか。

ポストモダンのおいて我々人間の「生」はカオスから象徴秩序へ、そして象徴秩序へのカオスの侵入、それによる象徴秩序の組み替え、という基本的な図式で描かれる。われわれは世界という複雑なカオスをどうにかしてパターン化し秩序化する存在であるが、本書の議論ではこうしたカオスをコンピュータが情報空間で全て秩序化することを想定しているのであろうか。

さらにこうも言っている。
「コンピュータが導入されることで、あらゆる体験は多次元になっていくでしょう。そこでは、あらゆる物質がコントロールできるようになり、あらゆる体験がデザインされていきます」(203)
 
であれば、われわれが生まれてからのあらゆる体験もデザインされる時代がくるのだろうか。

そのときに気になるのは、「情報空間が物理空間で表出し新たな自然を作り出す」意志はどこから出てくるのであろうか。人間は、パターン認識の知性と自己複製というベクトルを持つ生命の側面があるが、もし情報空間が物理空間に働きかけるようになるなら何かしらのベクトルが必要になる。そこはどのように設計されるのであろうか。

仮にまずは「不労・不老」を目指すようなものであった場合、これはいつか実現する。そうなれば世界はまさに楽園となる。何もしなくてもずっと生きていられる世界。誰もが夢見る世界である。

しかし、それでいいのだろうか?その先には何があるか。

落合氏は何かのメディアで「コンピュータになりたい」みたいな発言をしていたが、それが答えになるのかもしれない。それはある意味、脊髄反射で世界を生きるようなものであり「意識がなくなる」ことを意味しているのではないか。われわれは、今、ありありとした質感のある世界を、喜怒哀楽のある物語で生きている。しかしそれは、フロイト的に言えば、エスという全知全能回帰の原則と、現実世界で他者との利害調整の原則のぶつかり合いの中で起きる。

もしそれがなくなってしまい、あらゆることが予定調和で進むようなコンピュータの世界になってしまえば、僕らの物語的な生=意識的な生はなくなってしまうだろう。 

ff
 

この問題は実はマトリックスで地味に扱われいた。モーフィアスが序盤で「仮想現実世界(マトリックス)はあえて楽園ではなく、普通の世界にしている」と語っている。コンピュータが世界を支配しだした頃の仮想空間(マトリックス)は不老不労で何でも願いが叶う楽園のような場所で、何も努力しなくても生きていける世界だった。あまり詳しく書かれていないが、人間はそれでは満足できなかったらしく、現代のような各個人が試行錯誤しながら波乱万丈の生を歩む世界に戻したのだ。これは何の問題のない世界では意識が不要となり、消滅してしまったことを示唆しているのではないか。

とはいえ、ここまで先の世界を今憂いてもしょうがない。

落合氏の活動の目的についてこう書いている。

「ともかく「魔法の世紀」の最終到達点は、コンピュータ科学という名の統一言語で、知能・物質・空間・時間を含む、この世界のありとあらゆる存在と現象が記述され、互いに感応し合うことです。僕の活動の目的は、コンピュータの記述範囲を拡げることで場と場、モノとモノが相互作用する可能性を切り開いていくことにあります。」295

要は、今述べたようないろいろな可能性のある世界に少しでも近づき、実際にわれわれが生きている内に実体験しよう、ということだろうか。

機会があれば他の著書も拝読し理解を深めたいと思う。

魔法の世紀
落合陽一
PLANETS
2015-11-27