なぜfacebookやInstagramにしょっちゅうリア充写真を投稿している人を見ると「ムカつく」のか?自分の赤ちゃんの写真を毎日アップするもの、仕事での集いの写真をアップするもの、業界の重鎮との写真をアップするもの、昇進や褒められたことをいちいちアップするもの。

一般的には、「他人のことはどうだっていいじゃん」「それをうざがっている君自身に問題あるんじゃない?」などジェントルマンな返し来そうだが、深く考えてみたい。

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それは、一言で言えば「浅ましい人間に自分を重ね合わせる苛立ち」。或いは、「各自が自我の安定のために承認という椅子取りゲームをしているから」である。だから、限られた椅子にどんどん座ろうとする(=SNSに自分の物語を主張する)やつは自分の物語の安定を邪魔するものとして「うざい」のである。

詳しく説明しよう。

まず、そもそも「なぜ、SNSにリア充自慢をするのか」?

前に書いた記事を引用する。

あなたの周りでもSNS中毒者がいないだろうか?

四六時中facebookやらtwitterやらwechatに写真や近況をアップしている輩。

彼らは何故そんなことをするのか?


一般的には、「それは人から承認されるためだ」と言われるだろう。例えば、子どもの写真を毎日アップする野郎は「おれは親になって子育てしているいいお父さん」ということをみんなにアピールしてそのような理解を促す。イケてる友達と写真をとってアップするのは、「おれはこんないい友達持っている」ということを認めてほしい。要するに、何かのその人に関する事実を認めてほしいのだ。これが承認と言われる。

では、なぜ承認されたいのか?なぜSNSを通じてそんなに多くの人にアピールして承認がほしいか?

それは、自我を安定させるため。自分の物語を安定させるためだ。 人は動物と違って、物語を作って言語的に世界に適応している。だから、物語を保つことが死活問題なのだ。幻想を保つのだ。それは自分ひとりで信じていても、すぐ崩れてしまう。なぜなら人間社会で人と交わればすぐにボロが出るから。人望のある人間だと自分で信じていても、実際に人から承認されるには一定の実績の積み重ねが必要だ。そういう状況では、一人でも多くの人から承認が助けになる。一人より二人、三人、多くの人が「いいね」を押せばそれはあなたの物語を承認してくれたのだ。

人は自分の物語を保ちたい。だから承認が欲しいのだ。これは何も卑しいことではない。そういう動物なのだ。  

人は、自我を安定させることを至上目的としているので、その安定のために人の承認が必要。SNSは手っ取り早く他者からの承認を得ることができる道具だ。同僚とみんなで楽しくわいわいしている写真をアップすれば「楽しく仕事をしてる良い人生」という物語を他者に共有し、「いいね」を貰えればそれが他者からも認められ、物語は強められる。自分はこの物語を生きているという確信が強まり、自我が安定し現実に密着する。

では何故、こうして横目で他人が自我=物語を安定させているところを見ると、ムカつくのか?

二つ考えられる。まずは、その人への憐れみの共感である。結局、SNS上での「いいね」承認は脆い。みんな適当に「いいね」しているので、物語は大して強化されない。物語は、直接的なリアルな人々との交流、深い語りの中での交わりで強化されるものなのである。にも関わらず安易にSNSで承認を求める浅はかな人間に、むなしいことだと分かっていてもそのように簡単に物語を固めたい自分を重ねて苛立ってしまうのであろう。

もう一つは、限られた承認の椅子取りゲームで厚かましく椅子をどんどん取っていく他者への憤りなのかもしれない。誰もが認められたと思っていても、人々が与える承認には限りがあると思われる。限られた椅子にどんどん座ろうとする(=SNSに自分の物語を主張する)やつは「自分の物語の安定」の機会奪い、邪魔するものとして「うざい」と感じてしまう。

というわけで、何故SNSのリア充自慢がうざいのかを考察してきた。しかし、この行為自体、その人にとっては合理的なものなのである。本当に自分の物語の中で重要なものであればSNSで共有し、直接は会えない人々にも知ってもらい自分の物語への確信を強めていくことは実存的に価値あることだ。