教育にビッグデータが持ち込まれたらどうだろうか。効率よく生徒はスキルや知識を身につけることができる。僕がフランス語を習いたければ、30万円くらい払ってちょっとの労力、そうだな、今でいう毎週2回くらい3キロ走るくらいの労力を割くだけでペラペラになれるとしよう。

それで簡単に身についたらどうなるか。僕だけではない。他の人たちも簡単にフランス語を話せるようになる。文系の学生であればそうして、どんどんフランス語の原文を読み始める。全体のレベルが上がり競争は厳しくなる。そこにタイムラグができ一瞬競争環境が弱まるかもしれないが、また相対的にもとの水準に戻る。

なので、こういうスキルを身につける(=個人の競争力を高める) ことは社会的にあまり意味がない。

何にせよマズローの欲求5段階説でいう下の方の欲求、最低限生きていけるところが安定しているような社会を作ることが先決(まあ、それまではスキルアップのためのサービスも必要だが)。そうすればアーレントのいう活動に専念できる。ホリエモンたちがいう遊びが重要な時代。そしてホリエモンに言わせれば、すでにその状態は実現されているようだ。もう誰でも働かなくても生きていける。

それを技術的にやるか?

それに時間がかかるなら、人のマインドを変えることでも解決できる(そっちのが時間かかるかもしれないが)。

仮に路上生活すれば家賃はかからない。公園で洗濯や風呂も済ませられる。であれば、後は飯だ。これはコミュニケーション能力があれば解決する。図々しくも相手に嫌な思いをさせずに協力を引き出す力。コンビニ店員と仲良くなればいい。

そうして、最低限の生活保障を得た人間はどうするか。特に嫌な人間関係もなくなり、フロイト的な現実原則適応のための抑圧がなくなり全知全能へ回帰したいと思うようになる。何かに熱中するだけのベクトルが出て来る「はず」である。

正直これについては保証できない。いままで社会で抑圧されきった人間がこうした現実社会から離脱できるようになったとして、何かしらやりたいことが出てくるのだろうか。

われわれは人とぶつからないように教育された。人と協調するようなしつけ。ドリル教育。周りと同じやり方で同じようにやる。人とぶつかるのを恐れるエートス。欲望が抑圧される。そのような教育で育ったわれわれは何かする際に人に頼んだり命令したりするのを恐れるようになっている。

今必要なことは、1こうした大人たちの欲望を解放してあげること。2子供たちへの教育をモチベーションを殺さずにしてみんななかよくできるような教育をする、である。

まあ、こうした欲望が出てこなくても、問題なく生きていけるならそれでいいだろう。まずは衣食住の確保が先決。