「結婚はエラい、子供がいればもっとエライ」と思う人へ...4ページのマンガが話題」という記事に、グロービスの代表の堀義人さんがこの記事について以下のようなコメントをしていた。


この記事を読んで思ったことを書いてみたい。最近思うのは、子供を多く産み育てることが「日本」と言うコミュニティにできる最大の貢献なのではないか、という点です。
理由はシンプルです。仮に誰も子供を産まなければ、「日本」と言うコミュニティは消滅します。だけど、子供を産み育てることにより、「日本」は存続し続けます。もっと広く「人類」ととらえても同義ですね。人類の存続のためには、子供を産み育てることが重要です。
当然子供を産み育てるのは時間的にも経済的にも負担となります。今の言葉で言えば「コスパに合わない」ものです。だからこそ、社会的な敬意が払われて然るべきだと思います。
だけど、結婚していないこと、子供がいないことに後ろめたい気持ちを持つ必要はないし、社会は干渉するべきではないと思います。基本的に自由ですし、社会全体が多様性を認めることが重要だと思うからです。それぞれが多様の価値観のままでいいのだと思います。
ちなみに、僕はやはり多くの子どもを産み・育てた人はやっぱり偉いと思ってしまういます。その分だけ多くの「生」を与える機会も創っているからです。
でも、基本的にはみんなそれぞれでいいと思いますね。(^^) 

二箇所赤くハイライトさせてもらったが、まず一つ目。そう、今は自由の時代なのである。基本的には多くの人が人の自由を侵害してはならないという考えを持つ。しかし、そうすると、結婚しないで子どもを作るインセンティブがなくなる。

二つ目の赤字が重要。何故人は「生命を増やす=多くの生を生むこと」が「善」と考えるのか?確かに、われわれ人間は、動物であり生物である。いくら近代的な人間像が終焉しても、生物であることはまだ認めるだろう。生物は自己複製をする。子孫を残す。

わわれれ人間の「生」は特殊だ。みんなが質的なクオリアの世界を生きる。そこには喜怒哀楽がある。物語がある。生まれて来なければよかったと思って、自分で死ぬ人もいる。自殺しなくても、ずっと苦しむ人もいる。一方、毎日が楽しくて生まれたことに感謝感謝という人もいる。いずれにせよ、みんな独自の世界を持つ。一人一宇宙なのである。客観などはない。全て主観の中での出来事。

そうした「生」は量には還元されないはずだ。そうしたクオリア世界をもつ「生」を増やせばなぜ善いといえるのか?既にそこにはわれわれの経験的な知が含まれてしまっている。

そもそもよく聞く「人類の発展」とか「繁栄」というのはどういうことか。人数が増えればいいのか?100億、1000億、1兆?火星に移住し、それでも足りなくなったらどんどん新しい場所を宇宙の彼方に探しにいく。宇宙は限りないなら、それがずっと続くのだろうか。

しかし、僕らはもう普通の生物や動物ではない。言語的な世界へ超越している。ただ子孫を残せば満足はしない。「子孫を残すのが善い」と理解して初めて子孫を残すのだ。

結局「善悪」は人それぞれ、というのが最終結論になる。子孫を数として増やせば増やすほどいい!と力強く確信する人もいるはずだ(どういう経験を積んだらそうなるのかは謎だが)。逆に、人間がいなくなって自然を取り戻すという人もいるかもしれない。それはそれで認めるしかない。

でも、重要なのは「人それぞれ」を認める、つまり「自由の相互承認」である。人それぞれ違った場所と身体を持ってうまれ、違う環境で異なった経験をして価値観や世界観を築く。であれば、どう生きるか、社会はどうあるべきかの考え方も違う。大事なのは、それを前提にその違いを尊重しつつも互いに危害を加えないように生きることだ。結果的にはそうなる。

なので、堀さんのいう「生は多ければ多いほどいい」というのは、「自由の相互承認」の上での一意見に過ぎない。誰もにでも徹底して主張できるのは「自由の相互承認」以外にはない。