「物自体」とは言うまでもなくカント哲学の基本概念である。
カント哲学の基本概念。「本体」とも訳される。「物」「現象」に対する語。カントによれば,現象は認識主観によって構成されるものであり,物自体ではない。物自体はむしろ現象の根源にあるもので不可知物であるが,思惟可能な仮定であり,カントはこれを現象の背後に仮定せざるをえない思惟の要請であるとした。また彼は実践哲学においても,自由の可能性を保証するものとして物自体の世界を実践理性の要請であるとした。カント以後,この物自体の概念をめぐって,ドイツ観念論,新カント学派,弁証法的唯物論の立場からさまざまな解釈や批判や展開が試みられた。
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われわれが知覚しているものは全て「現象」であり、「物自体」はその背後の根源であり過程せざるをえない思惟の要請である。

一見、「外部」のことだと思うかもしれないが、われわれはそもそも「外部」にアクセスできないので「物自体」は外部ではない。

いくらわれわれが刺激を独自の認識装置で歪めて現象として知覚していても、われわれの生に関与する時点で現象となる。生に関与できるものはすべて現象だ。コウモリの超音波のやり取りをわれわれは知覚できないが、それが身体に痛みをもたらすようなものとして現象する可能性はある。超音波を想定している時点でわれわれに関与しているので、「外部」ではない。

「物自体」は「外部」のようなイメージがあるが、外部であれば生に関与しようがないので「物自体」は外部ではない。それはただ、自分に現象したものが、他者にとって違う現れである可能性、よく見たら子となっているという可能性、未来の出現の可能性などの視点から要請されているに過ぎない。