記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2008年03月

最近ビジネスというものが、非常にやりがいがあり、自分で何か新しい価値を作りたいと考えることがある。

ビジネスの魅力と、スポーツの魅力の共通する部分と違いを、概念的に考えてみた。

スポーツが誰もが認めるフェアな戦いであり、誰もがその存在を認めるものである理由は何だろうか。スポーツ界で成功している人は、みなの憧れになるし尊敬される。
私はスポーツもビジネスも根本的に同じであると思う。ただ、規制が如何にかかっているかという違いである。

スポーツはルールの下、限られた参加者のもと競いあう。プレイヤーはいくつかの変数の動きやそれらの相互作用を読み、自ら行動を起こし対処する。周りの状況をうまく汲み取り頭の中で何をするかシュミレーションして、いざ体で実行する。

この様な思考と体による実行という比較的シンプルな過程で競われるから、分かりやす九手、誰もがその凄さや公平さを理解できる。

ではビジネスではどうだろうか。これは世界に存在するあらゆる変数が対象となる。もちろん法律というルールがあるからその中で参加者は行動する。参加者もどんな人が何人いるのかも分からない。変数は無限大にある。

その中で、需要を見出し、変数を特定し状況を見極め人なり金なりを、それらの分析により導かれた事業計画に投ずるのである。これは、まさにスポーツ選手が相手の動きをみて、自分の最適な行動を選択し、体で実行するのと同じだ。また、ビジネスで言えば、この実行する体は会社の信用であったり資金力、また労働力、トップの状況を正しく判断する能力などにあたるのか。

ただし、ビジネスの場合、このように参加者、その参加者の心理、事業内容、事業の範囲、どこでやるか、など決める際枠組みが広すぎるため確証を持って行動することは不可能だろう。

その中で、企業間の繋がりであったり、法律すれすれであったり、不正会計であったり、様々な細工を裏でできる。それだけ関わる変数が多いから、表からは見えない。

スポーツはその点、シンプルで、正々堂々、狭いルールの中、限られた変数で戦うので、公平で分かりやすい。

そのスポーツで勝つ人は、間違いなく公平で、状況判断と実行力に優れていると捉えられる。だからイチローでも、フェデラーでも、一流のスポーツ選手は、間違いなく凄いのである。

ビジネスもその延長であり、その何万倍もの変数と戦い勝負しているのである。さらに人格など人としての全てが問われると感じる。このように、ビジネスとスポーツはかなり、似通ったものであり、経営者がスポーツ選手から学ぶのも、スポーツ選手が経営者から学ぶのも納得できる。

スポーツの場合、決められたいることがかなりある。テニスで言えば、このコートの中でラケットを使い、規則の中で戦う。手でボールをつかんでもいけないし、ボールが外に出たら負けなのである。その環境の中、ボールや相手の動き、風、を分析し、自分の体でその変化に対応する。非常に潔い戦いである。

ビジネスで決められていることは法律だけである。その中で、行動する人間も、また動物も植物も天候も全て自由に動き、それらが変数となるわけだ。こうした中で成功している人々にも私はスポーツ選手と同じ、もしくはそれ以上の敬意を抱く。

私は最近、幸福度という概念に注目している。

私はもともと本質的なことを見極め実行したいと考える人間であり、世の中へ社会貢献するにあたってもやはりやるならみんなのためになることをしたいと考えるからである。

幸福度とは経済学上でも研究されており、人の感情という主観的なものであるから、定量化することができない。そのため経済政策や政治政策に活かすことが難しいが、私はおもしろいと感じた。

幸福度をネットで検索するといくつか論文が出てくるので暇な人は見てみるとおもしろいだろう。どの論文の中でも構成要素の議論などがなされているが、私は計量方法はあまり気にしない。ある程度結果は信用できるものとしてみてみた。

注目すべき点は、戦後から現在までほとんど幸福度の水準が変わってない点である。これは意外と誰もが予想しているかもしれないが、実際データがあるならなお納得できる。

要は、より便利な製品や乗り物、サービス、インターネットや人モノ金のグローバル化などにより、経済が豊かになっているが、主役である人間の感情としては変わりないのである。

人は、現状を満足するというよりも、自分のつけた付加価値を重視するのである。これを裏付けるデータなど一切ないが、けっこうあたっているのではないか。
いくら斬新なデザインで高性能な車ができても、便利な電気製品が生まれても人はすぐに慣れるし、さらに次を求めるのである。

ただ仕事として車の開発や新しい技術をつくりだすのは、非常にやりがいがありおもしろいと思う。それを心から待望し、恩恵を被る人もいるだろう。たが、人類規模での幸福度の向上には繋がらないだろう。

あともうひとつ注目する点として、全体的に幸福度が下がっているときはほぼ確実に経済的に不況であるようだ。これは失業率や将来の先行きの不安さが幸福度を下げるのであろう。

経済を安定させることはこう考えると幸福度に貢献する。金融業界なども貢献しているのであろう。やはり国民規模での幸福度を考えると、枠組みを作る政治家や官僚、金融関係者は影響力が強いのであろう。

ただ彼らは幸福度を維持するだけで、上げてはいない。

全体の底上げには何が必要なのか。それは非常に難しい。
本質的に価値あることは幸福度を維持する枠組みを運営する立場が該当するのかもしれない。

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