記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2009年04月

人という字は支えあってるとか漢字の成り立ちに絶対の信頼を寄せる話にうんざりする。
自然的に発生したものでなく人が作ったものなんだからその作った人の意思でどうにでもなる。
そいつ次第でどうでもなるんだからそれが絶対正しいみたいに今となっていうのはおかしいだろ。

社会で評価されることとされないことについて前書いたかもしれないが、
社会で評価されることは周りとうまく協力して集団行動の生産力に寄与することだろう。

言語のせいで意識してしまうことと、意識しづらくなっているものがある。
言語のせいでその使用者の性格の方向性が決まるかもしれない。
だから国として似通った考えた人たちが多いのかもしれない。

世の中は変化が本質である。
諸行無常である。
というか本質というものはない。変化し続けている。

我々人間は、この世が何がどうなってるのか全く分からないけど
とりあえず生きている。
人間社会の中では、法律があり、物事の良し悪しが決まってるし、
暗黙的なルールもある。しかしこういったものも時間と共に変わっている。
戦争や殺戮が平然と行われていた時代もあるし、
むしろ人が誕生した時代は、いか戦闘において強いことが生きていくうえで重要であり
力が人の目指すところであっただろう。

しかしこうした価値観のようなものは変わっている。
現在の経済状況にもあてはまる。
市場原理主義が一時もてはやされて多くの国が豊かになった。
その前は社会主義が成功し注目された。
今は金融危機の混乱のせいで、民主主義的な全体としての利益を追求する
方向へ移ってきている。こういった私的利益追求と社会の利益を尊重する政治経済的な思想の
変化は30年周期で来ているらしい。

私はこんな目先の出来事の話をしているのではなくて、
もっと深い考えをしたい。

昔読んだ本に、原子の大きさが何故そのサイズなのかという理由が載っていた。
それは例外の存在をうまく取り除ける数を実現するためのサイズのようだ。
天文学的な数字が集まればその集団は安定する。

しかし、時間とともに例外が大きな革命を起こし集団自体の性質を変えてしまう。
それは環境にあった突然変異であり、生物に起こるものであり、さきの経済状況にもあてはまるものだ。

こう考えるとキリがない。腸の表面積の話を知っているだろうか。表面が凹凸になっていてその凹凸一つ一つがさらに凹凸の表面で覆われていて、さらにそのさらに小さい凹凸の表面も凹凸になっている。それが無限に続く。

この世もこんな感じに思える。原子や細胞単位での営みの延長上に、さきの政治経済の価値観もある。その間には生物の突然変異もある。
戦争で人間の一部がいなくなったのも、全体の安定の中の一出来事に過ぎない。
ただその先が分からない。地球もその延長にある。

我々が個性がありみんな違う行動をとっているが、基本は同じなのである。
時代は変わっていくだろう。
ただ、アフリカが何百年後かに世界を支配するとかあったとしても、ものすごく小さな話だ。
その先の先の先の永遠の先の変化には到底たどりついていないから。

せめて宇宙関係の事業とかに関わってみたい。

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