記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2009年05月

この世の中はこれまでの多くの個人の人間の努力により人間が繁栄できる環境が徐々に
整えられてきた。多くの個人は自分の犠牲を省みず、絶え間ない努力と人間社会への貢献を
してきた。大半の人はそうした人に作られた枠組みの中で生きる。
 自分もこうした世の中の仕組みや枠組みをよりよい社会、人間が繁栄できる環境にしたい。
 現在の世の中の状況は10年、20年くらいのスパンで見ても大分よくなっているのではないか。
戦争や犯罪が多かった時代に比べ現在のほうがよいだろう。(ただし、そういった時代のほうが
国としての結束や生きる目的がはっきりしてて、おもしろいと考えれば、その時代のほうが良くなってしまうが)やはり、同じ人間同士協力し合って、衝突しないでいったほうが良いと考えるのは普通だろう。
現に、今のある程度人間の対立も少なく生活水準が向上したのは協力があったからこそだ。
 しかし、まだまだ問題はある。国の対立もまだあるし、犯罪の発生も残っている。時間がたてば国の対立はなくなるだろう。マジョリティーに吸収されてしまうだろう。もちろん、資源争いなどはありえるが。
 ただ犯罪はゼロにはならないだろう。そもそも世の中のシステムは人間が権力は配分して作ったものであり、人間の本能への直接的なリンクがないのだから、それを遵守することは、個人の理性にかかっているのである。
 すべての人間が心身ともに健康であれば、犯罪もゼロになるだろう。理性により、世の中のシステムをわきまえて行動するからだ。
 人間の世界では、すべて人間が繁栄することが正しいと本能的にみんな考えている。いくら環境破壊防止などもようは人間が生きれなくなったらまずいから。動物と共存といっても家畜など食用であったり、間接的に人間に影響がなければシカトだ。
 時代は変わる。物事の良し悪しも変わる。要するに正解はない。真実もない。マジョリティーが正解になるのである。ただその正解は、永遠ではなく、マイノリティーに取って代わられる。

一番賢い生き方はやはりお金を手に入れて心身ともに健康になり、自分の時間をしっかりもって人生について考えられるような生き方ではないか。

金融界で財をなしてもいい。事業を興し会社を売却しても、上場益をとったり、創業利得を得てもいい。世の中、あまり考えずに真っ直ぐに金儲けを目指すほうがいいのかもしれない。

キャリアのことでいうと新興国を理解するというのは、歴史の変化には遭遇できないな。
自分が一番魅力あると感じるのは、時代の変化に関われること。
むしろ変えたい。

大きく変わるのはやはり経済からだろう。
一般生活に何か新しい財やサービスが生まれることだろう。
これが一番エキサイティングだろう。
儲かるし。

中国ビジネスとかインドビジネスとか、そこらを学んで、日中ビジネスをして関係を深めたり
中国の需要をうまく生かして一儲けするということに、あまり革新性はなりだろう。
たんにうまく需要を取り組んだというだけ。

やはりエンジンの登場やインターネットの出現など、大きく生活を変えるような変化に
関わるには、教育水準の高い場所で関わりを持ち、技術を見つけ応用方法を探していかなくてはいけない。

そのためには、まず世界を知ることが大事。世界にはどんな国があってどういう特色の法律や
文化、人々がいて、どういうふうに資源や食糧が分散して、どういう地理構造で気候はどうか
など。そこが基礎となり、見つけた技術の応用を考えられるだろう。
仮にそれで成功したら何になるか。
技術が世界に広がり人々の生活を向上させる。
ただ、それが本当の生活向上に繋がっているのかという疑問にもなる。

経済成長が全てだという金融界の人となんら変わりないだろう。
もっと世界を俯瞰したら、こうした生活の向上が本当に人間の幸せや繁栄の向上になっているのか
大きく疑問になる。

個人的にはこうした技術から新しいビジネスを広げることはエキサイティングだと思うが、
長期的な世界の利益には繋がらない。
長期的な世界の利益向上を目指すなら、もっとエコで競争も少なく、
人々が自分たちの力で人生を楽しめるツールを充実させることが大切である。


将来群を抜くには何をしたらいいのか。非常に悩むところだ。
人間性を磨くのは確実に大切だけど、一番コアになるのは知識や考え方だろう。

原ジョウジさんが言うように、時代を変えるのは技術であるのは完全に同意する。
自分は正直、技術を開発する側には正直なりたくないし、なれないだろう。
最低限、技術を評価できるようにはなりたい。どうすればいいのか。
彼に習って工学の修士を取ろうか。

オーストラリアで学び、投資側に就職して、
世界のシステムをみたい。社会のしくみをつくっているのはシステムであり
ひとつのことだけをやってたんでは、ものごとを動かすシステムは構成できない。

でも、そのシステムの構成要素をひとつひとつ、同時に見ていける立場というのが、
ベンチャーキャピタルだったんですよ。と原は言っているがまさに自分の意見と同じだ。

世の中を引っ張って言ってるのは民間。一つ一つの分野に従事したらやはり全体像が
わからない。こうした構成要素を広く俯瞰するのが伝統的な資産運用であり、ひとつひとつを
同時に見ていけるのがVCであると考えている。

そして金融界で少し実務を経験して、流れが分かったら、工学なりソフトウェア工学なりの修士を
とって世の中を変える技術を見る目を養おうかな。

その後は、そうした技術を発掘し、いろんな人々と協力してそれをサービス化するのだ。
そうした仕事はやはり自分自身がワクワクできるだろう。新しいものが世界を変えるところを
最先端で見れるのだから。

本気で長期視点で育てるVCを原さんは目指しているが、自分はどうなのか。
まずは儲けたいというのが実はある。
しかし群を抜くにはリスクをとったかっこいい生き様を見せなくてはいけない。
自分のしたことやっていることに誇りをもてなくてはいけない。

世界中の人々のほとんどは生まれながらにどこかの国に属するだろう。
意思とは関係なく属す。

前回も述べたように国とは集団行動の枠組みであり、ルールを強制する。
その代わりに、みんなで協力して安全な安定した暮らしができる環境を提供する。
その中で何でも自由なことをしていいよというのが典型的な民主主義や資本主義である。

最低限自分の生きれる収入を確保し、あとはダラダラ過ごす人は下に見られてしまうが、
我々はこの人を見下せるのか。必死になって働く人と比べることはできるのか。
その人が枠組みの中でルールを守り選んだ道であれば何も見下すことはない。

しかし現在グローバル化が進み途上国や新興国の人口が増え、食糧や資源の奪い合いが
おきたらどうなるのだろうか。

むしろ戦争の時代、国々が権力を争っていた時代には個々の存在は非常に必要とされていただろう。
少しでも戦力になるよう勉強し、体力を向上させるのが善というムードが国中を覆った。
こうした強いムードがあったら結束力が生まれたり、それに対抗する平和主義者や
学生運動にしろ、熱い思いをもった集団がいたのだ。

ある学者が、戦争が起きているときや、病気が蔓延しているときや、カリスマが国を引っ張ったりする
ときが一番、おもしろいといった。何か活気があるという意味だろう。

今の世界、特に日本は個人個人が自由に発想、表現できるから、みんなが結束するような
熱さが生まれない。こうした現象は歴史上はじめてなのではないか。
しかし、さらに世界の多くの地域で経済成長がなされれば、再び戦国時代の再来となるのではないか。

単刀直入に、これから本当の冷戦に突入するのではないか。
今後、これまでの歴史のような明らかな国の争いである戦争はないだろう。
しかし、多数の国が存在する中、やはりどの国も国益がある。
増え続ける人口の中、限りある資源や食糧の争いがおきるだろう。
また、基軸通貨の問題や為替の問題、マネーを引き寄せる力など、経済の力が今後争いの
大きな武器になる。
そしてその武器を作るのが優秀な人材である個人なのである。
日本は、こうした戦火のない経済戦争の中で勝つためには、安定したドル獲得をし、購買力を
確保する必要がある。

個々人が纏まりあい結束して日本の経済を盛り上げていかなくてはいけない。

藤巻さんの本とか勝間とかの本にしても、自分でいい悪いを完全に言い切っている文章に
共感が持てない。たしかに言ってることは正しくても、やはり一意見であるという謙虚さが欲しい。
アイアムがない発言はつまらないと言い切っているが、そういう人がいてもいいではないか。
こういった決め付けが世の中を息苦しくしてるのではないか。
そんだけ偉く力をつけたならもっと広く全部を認めて育てるくらい力を持って欲しいものだ。

人間は未来を考えて自己の利益最大化をする。それが何年先まで意識するかは知らないが
せいぜい100年200年だろう。

要するに今の世界は多くの戦争を経て、一応世界全体が把握できるようになってきた。
情報が行き届くと相手への不信感などもなくなって協調ムードになるが北朝鮮や中東など
一部地域ではまだ国内で密かに何か企んで、周りは不信感を募らせている。
世界が一つの大きな組織に管理されれば国同士の衝突はなくなるだろう。

人間は賢いから、殺し合いをするのは馬鹿で、協力すれば、一人ではできない生産力を
手に入れ、さらに人から殺されることもないので、集団で協調していきていく社会を作り始めた。
現在国という単位での衝突はあるが、どんどん世界が一つの集団となりつつある。

そういう世界だから、集団生活の中で要素となりうる人材が社会的に評価されるのである。
人を思いやり、互いに認め合う世界。原始時代などには全く必要のなり力だが、
時代と共に少しづつ人間内で認めれ評価される能力は変化している。

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