記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2010年08月

4月から続いていたラグビーシーズンが終了した。非常にいい経験だった。大学院のクラスメイトは留学生が多いし、ANUの学生だと偏りがあるが、ラグビーチームは大学生や社会人から構成されていて本当の現地のオーストラリア人と関わりを持つことができた。

彼らをひとごとで言うなればイージーゴーイングだ。フレンドリーで純粋にライフを楽しみ常に自然体だ。気づいたことはみんなあまり個人的な話はしない。もちろん飲み会とかではするけど、練習前後とかはやっぱりそんな込み入った話はしない。

こうした彼らの自然体の生き方は最高だ。マイトシップでみんな仲が良いし、もっと英語を上達させて色々話したい。ラグビーを楽しみ、自分から遊びで練習する。週二回の合同練習でも十分うまくなる。

アメリカのエンターテイメントとは全く違う生活スタイルだ。

今後はテニスを通じて色々な人と会っていくと共に、勉強にもっと集中してプロフェッショナルになる。
まずは五時起きの実践と朝の1時間の中国語と30分の音読を実践しよう。

株価は需給で決まる。買いの勢いが強ければ上がるし、売りが強ければ下がる。
システマティックリスクは市場リスクのこと。確かに全体として動くことは直感的に分かる。
バリュエーションとかくそ食らえ。人の見方によって大分違う結果になる。自己マン。

そもそも株価は永続するのか。年金や金融機関が売買しているうちは存在すると言えるか。

株式の売買者にはどんな人がいるか。
理論に基づいて綿密な計算をして割安か割高か判断して売買するもの。
自分の好きな会社を適当に売買する人。
優待が欲しい人。
短期売買。
ちょっと勉強して簡単な金融指標で売買。

いずれにせよみんな儲かるためにやってる。
みんな結構適当に売買してるのではないか。
いちいち割安割高なんて判断してないだろう。

それぞれが違う尺度で違う考えを基に一つの価格を作っているのに、
それを数字で予測できるのか。
今後利益が増えそうなら買う、というのが一般の考えなのでは?

ある企業に関する新しい情報が投資家に漏れたら彼らは直ちに
自分が利益を上げられるよう売買をするだろう。
その積み重ねで全ての情報が織り込まれているという解釈になる。
また投票権は金額、自信に比例するのだ。
需給の関係の強弱の積み重ねが株価を形成する。

こう考えると株価の予想は主観的なものである。
ただ長期的な予想はうまくいくかもしれない。
というのも抽象的な予想でも、ある企業にとっていいシナリオが起きれば株価は上がるから。

株価には引力がない。
債券なら将来のキャッシュフローが確定しているから全て割りさいて現在価値にして足し合わせればある金額の現在のキャッシュの受け渡しと同じになる。
しかし株価の将来のキャッシュフローは確定していない。将来の配当やキャピタルゲインを予想して割り割いても単に予想に過ぎないから、そこに価格が落ち着く可能性は低い。裁定が効かないから正しい価格への引力がないのだ。

ただ、株式発行をする証券会社などが流通市場で大きな売買のシェアを持っているので、彼らのやりかたにみんな従わざる負えないし、彼らが価格を作ろうとしている側面があるかもしれない。彼らは上場企業をカバーして理論に基づいて理想的な価格を公表して売買を薦めて、コミッションを得ている。彼らにとってこうした理論に従わないデイトレーダーや何も考えないで取引している人々は邪魔者なのかもしれない。

基本的には大手証券会社が調査した株価へ収斂する方向に進むが、その他の投資家により誤差が生じているというのが基本の動きなのではないか。証券会社の示す理論株価の予想がその後の動きとどれだけ近づいているのかを調査してみたい。

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