記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2010年09月

社会に出たらこれまで培ってきたもの全てをぶつけて仕事に没頭したい。内容はそこまで問わないけど、深く広い知識と人間としての力が問われる場所で自分を試してみたい。

将来、国の方向性などについて議論できるようになり、何か国のために良いことをしたいと思っているのでこの業界はマクロ的な視点で経済を見ることが出来るので日本の問題点や、成長分野などを正しく見出したい。またそれに対して改善のためアプローチするために日々、自分を磨き人脈なども築いていきたい。

金融業界で事業価値算定、企業価値算定や投資の理論などはプロパガンダである。
プロパガンダの定義は特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為である。(WIKI)

世の中にはリスクマネーが必要である。無制限に政府が資金を提供してしまえばインフレが発生して経済が混乱してしまうので、金の量をコントロールする必要がある。そのためには今出回っている金の中で資金の貸借をやってもらう必要がある。

あるリスキーであるがもしかしたら世の中を向上されるような事業があるとしよう。この機会を経済成長としてはつぶすわけにはいかない。そこで株式が発行され、資金調達できる。資金提供者は博打であり、その金全て失う可能性もある。

また、株価は裁定が効かないから債券のようにちゃんとした価格がない。将来のキャッシュフローを割りびいたものの合計が価格になる理由は微塵もない。証券会社のレポートを見ると客観的に色々な角度から会社の成長を予測し、理論に基づいて割引率を決めて株価のターゲットを推奨しているが、その行為はプロパガンダだ。「本当の企業の力が世の中で評価されるような株式市場にしましょう」というプロパガンダだ。

機関投資家がこうした行動をしたら、その他の全ての投資家もそれらを意識しなくてはいけない。まさに美人投票論だ。これがプロパガンダだが、売買代金で大きな割合を占める個人投資家の多くはこんなに綿密な分析を意思決定にいかしてないだろう。証券会社のほんの一部の情報に基づいて主観的に判断して売買をしている。

このように、株価がDCFに基づいた値段がつく根拠は壊滅的にない。証券会社がみんなで客観的に企業に投票して、いい企業が生き残れる経済にしよう、という運動を推進しているに過ぎない。

株主資本主義とは企業が株価を高めることで企業価値を高めることを目標にすることを言うが、全てNPVとか金を尺度に目的を定めることが出来て明快で論理の軸になるというメリットがあるだろう。しかしデメリットとして会社を構成する人々やNPVが低いが社会のためになるような事業などが無視されてしまうこともある。

日本は会社の従業員の意向も汲むことから人本主義などと言われるが、

もともと、この株式会社というシステムに正解はない。人が作った政策であるから、一貫性に欠けるのは当然だし、予測してたものと違うシステムになってるかもしれないし、法律もないからどのように会社が株価を扱うかは自由だ。

日本のように非効率的な経営で、株価が低いまま放置されていればアメリカのように効率性を重んじるものに買収され効率化されるのは良いことだろう。危機感がないと競争が促されないで経済が停滞してしまうからだ。逆にアメリカ的に時価総額を駆使してドンドン効率化してしまうのも、先の例と同じで金額だけの話で終わってしまい、そこに関わる人や社会的なメリットを毀損してしまうかもしれない。


宗教があると人間は安定する。絶対的価値観が定められるので、一番上の目標に沿って常に行動すればいいからである。イスラム教徒は自分のやっていることに非常に満足しているしいつも何をやるべきかを理解している。たとえはたから見たら変なことや非効率的なことでも。これは人生が主観であることを改めて教えてくれる。現に私の知っているイスラム教徒はみな生き生きしているし、迷いがない。


アメリカの市場原理主義と言われたものも言わば宗教のようなものだ。アメリカ人はキリスト教を中心に宗教を持っているため絶対的な価値観を受け入れる素養がある。株価を上げるという単純なことに絶対的価値を置くことで全てがスムーズに行くことを知っているのだ。

逆に日本人は、詳細に考えて矛盾がないものでしか受け入れられない。株価資本主義といっても何故それが絶対的価値になるのか理解できない。株式の評価もなぜそれの将来のキャッシュフローの現在価値の合計か信じられない。

やはり世の中を広く支配するシステムである法律であったり考え方などは、一貫性を持たせるためにはある程度強引でなくてはいけないだろう。これが正しいという絶対的基準があれば行動が起こしやすいし迷いがなくなる。アメリカの経済がうまくいったのもそのためだが、今の現状を見て分かるとおり行きすぎはよくない。ある程度の強引さと共にある程度の疑いも必要であろう。

資本主義とプロテスタンティズムの倫理で言われているように、資本主義が成功するには自律力が必要である。あるところに絶対の価値を置きつつも、それを常に客観的に捉え、世の中の動向とマッチしているかを常に意識しなくてはいけない。

人はこう言いたいとか、こうなったらいいみたいなことを自分の意見としていってしまうことがある。
実際人間の意見はボトムアップであるべきだ。日々の経験から積み重なって意見が形成される。
人はたまに、トップダウンでこういいたいからこうするみたいなことがある。
これでは個性が死んでしまう。自分のやりたいように主観に従うべきだ。

しかし、もし自分の心の中で、これは本能的にやりたいけど、我慢したほうが自分のためになると思ってやらないようにしていたら、どっちが本当の自分か分からない。
強くたくましい男でありたいから毎日筋トレする。いやいやでもやる。
一方、筋トレが単純に好きで好きでたまらない人は、そういう目的はないかもしれない。

スポーツでもかっこいいからやるヤツはたかが知れてる。本当に強い選手は意外と地味な人が多いのは、目的が純粋にスポーツを楽しむことだからだ。かっこつけたいやつはあからさまに違う方向に行っている。
多くの人はそういうところがある。スポーツは楽しいからやっているが、かっこいいからという側面も否めない。

かっこいいからやることが悪いことでは全然ないが、強い選手は育ちにくいだろう。かっこよくなりたいという強い意志に裏付けられた練習よりも、楽しくて強さへの追求に裏付けられた練習のほうがはるかに効率的だろうし、継続するだろう。

イチローにせよノーベル賞受賞した学者達も野球や研究が面白くて仕方ないのだ。こうした人たちはある意味ラッキーだ。自分の熱を注げるものが見つかったから。どの分野でも達人はそれを楽しんでいるのに違いない。自分も本気で本能的に熱中できるものを見つけたい。


自分というものは本能に従ってできるのか、それとも理想に近づけるように行動を選んでいくのか。両方の側面があるだろうが世の中で何か成果を出せる人は前者であることは否めない。

本当の自分とは何かという問題にもなる。もしある人が器の大きな人間を目指していて、我慢してでもそう振舞っていたらそれは何なのか。イラついても滅私して、回りにも気を使って大きな人間を演じる。1人になったらストレスがたまる。彼ははたから見れば器の大きな人間だが、かれ自身からしてみれば自己嫌悪になるかもしれない。でも彼には大きな人間になりたいという強い意思があって行動している。だからそれは彼の個性であって彼自身なのかもしれない。演技派のトップダウンも個性だ。

きれいごとを言えば、物事に素直に反応して行動して自分を創っていくというのが、やはり自分というものだろう。本能的なボトムアップだ。人間はこうしたボトムアップとトップダウンで自分を創って行くのだろう。

日本人の多くは、小、中、高校、大学のいずれかで何かしらの部活動に関わっているだろう。
体育会や文化系は問わず。そうした中で、チームの中で責任ある行動をしたり、真面目に練習や作業に取り組むこと、周りに迷惑をかけないことなどを学ぶ。

私はこうした価値観を前提としているため、中国人の態度にイラつくことがある。甘ったれた考え方にきれそうになる。中国では部活動などでこうした行動を養わないからなのか、まあ中国に限らずホウレン草を留学生はみんな怠っている。やはりしっかり責任ある行動をしたい。

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