記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2010年10月

アートを職業とする人は主観を扱うことが仕事だ。芸術家、音楽家、お笑い芸人、何にせよ、客の五感を満足させるのが仕事だ。ただ、アートの特徴は良し悪しが受け手の主観に依存するので良し悪しは比べられない。万人受けするアートが一番というのはナンセンス。

ウィキによると
「表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。美術、文芸、音楽、演劇など。とりわけ表現者側の活動として掴まれる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情など様々である。」

ある友人が書いた絵の方が100億円の絵画よりも自分にとっては美しく感じるかもしれない。100億円の絵画に何の感情も抱かない人は大勢いるだろう。

一般社会では以前から私が説明している流れのなかの良し悪しで物事が判断されるが、アートの世界ではその流れは関係ない。丁寧で謙虚な人間が芸人ではつまらない。怠惰でやる気のないのは一般的には悪とされるが、芸人としては評価されるかもしれない。アートの世界では、何でもありだからおもしろい。ランダムに書いた絵だって額に入れたら良く見えるかもしれない。

ある画家が怒りをこめて書いた絵が、違った意味で解釈され、評価されることもありうる。その場合、その画家は優秀なのだろうか。結局は、何か伝わってくるという曖昧な感情で評価されてこそアートなのであり、それに言葉で理由付けをするのはナンセンスだ。松本人志のコントは笑えないところでも何度か見返してしまう。説明できない。

このブログで何度も言っているが、人生は主観である。しかし現代社会では人間は客観を意識しながらいきていかなくてはいけない。アートの世界は最も人間が人間らしく行動できる世界である。

アートは言葉での自己表現の限界を超える可能性を秘めているから面白い。本来、脳内で感じる何かを言葉に全て乗せることはできない。その手段の延長がアートなのである。自分の何か感じたものを音楽、絵、お笑い、ノンバーバルな言葉、行動にする。

よくミュージシャンをテレビで見ると、パフォーマンスの中の主観的な行動と、トーク番組などで見る客観的な行動のギャップが悲しくなる。大物と言われる演者はこのギャップが少ない。常に主観で生きているのだろう。その他の演者はパフォーマンスを主観の発揮できる唯一の場所としてそれを楽しんでいる。常に主観で生きていて一貫性のある人間は一味違う。そういった人こそが本物である。

やはり物事を楽しんでいる人は強い。スポーツにせよ研究にせよ仕事にせよ。楽しんでいる人は常にそのことを考えているし、練習や作業が苦にならない。もちろんいやいややる作業もあるだろうが、根はワクワクしているのだろう。

こうした成功者はある意味、その道に没頭している。私はこうした印象をムスリムにも受けた。彼らの生活の基本は宗教への没頭であり、それが軸となっている。はっきりと来世のためだといって苦行に励んでいる。しかしやることが明確になっているのでなぜか生き生きしていた。何も考えずに自然と進む道が分かることは素晴らしい。

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