記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2011年02月

言葉は意味をダイレクトに表すものだ。基本的には、それが書いてあることを直接意味する。この本は青い。は、本の色が青いことをストレートに意味する。

しかし、普段、私たちが人とのコミュニケーションで使う言葉は、言葉が事実をストレートに表していない。私は自己実現のために、起業したい。とかいう表現など何が事実か全くわからない。状況や五感を使って事実を察する必要があるのだ。そのような4次元の世界を文字だけで表現しようと試みるのが文学なのかもしれない。

例えば2人の男が飲み屋で話している。1人が落ち込んでいる友達を励まそうとすることが目的なら、それをそのまま「元気出せよ」というのでは、相手の元気が出ることはないだろう。相手に目的とした感情を起こさせるなら、言葉とノンバーバルな表現で、ストーリーを展開し相手を動かす必要がある。カウンセラーなどがやることがそうだ。

小説でも、そこをうまく表現しているものがすばらしい文学だと思う。だめな小説だとその感情だったらそんなことは直接過ぎるセリフだと思うことがある。村上春樹にはこういうところがある。よりリアルに人を描くなら言葉だけで表現するのは至難の業だ。

たぶん、自分の狙った感情を相手に引き起こさせるのがうまい人こそ、人を動かせる人だろう。

スリムクラブのネタの一つ。けっこうツボだった。彼らが俺と同じような考えでこれをいっているのか知らないが。

俺の考えでは、何でも相手から積極的に説明を受けないと、事実として認識できないということだと解釈した。たとえば、分からない言葉とかって、実際いつかは大学とかで習うだろうと高校生の頃は流していたものを結局いつまでたっても知らないでいる。世の中、ほとんどの知識は大学出れば補えるとか考えていた。すごい受身な姿勢の表れだ。おもろ。

得たいの知れないものは避けたり怖がったり憎んだりするものだ。勝手なイメージを自分で作って壁を作ってしまう。通信技術やメディアなどない時代には、少し離れた地域の情報や、他国に関してなどの知識はみんなほとんど持ってなかっただろう。それらは想像でしかない。産業革命の時代くらいはまだ他国の情報が少ないし、リアルタイム性もない。だからみんな何をしているかわからない他国を恐れて、自国の富国強兵を図り、戦争がおこる。

メディアが発達するにつれてこうした外に関する情報が文字や写真、映像など色々な形で入ってきた。ウィキリークやツイッター、フェイスブックなどのソーシャルメディアによって情報の非対称性が縮まっている。みんな正直に頑張る必要がある世の中になりつつある。

個人はまだしも政府は実際の行動とその考えとに大きな違いがあるかもしれない。既得権益の問題はもちろん、世界征服を企てているかもしれない。そうした本当の意思が表に出やすくなっている。個人のレベルでもツイッターなどで意思を発っしつづけていると、自分の考えなどが筒抜けになる。ちょっとした嘘などつけなくなる。本来の自分が出てしまう。

人間関係からすれば、本当の相手の人間性が分かっていい。不確実性のある世の中で生きていく上で仲間が多いほうが絶対にいい。しかし誰と協力するかは、相手をしっかり理解していないとだめだ。個人単位でも国単位でも同じだ。だから、情報化社会のおかげで国の協力も増えたし、個人も多く繋がるようになってきた。国単位では資源や自国経済が最優先なので、コアの部分は共有されないかもしれないが、この情報化が進む中、世界はひとつになっていくだろう。

このブログではクラウドソーシングについて考えようとしてきたが、あまり手をつけてこなかった。というのも、世の中のクラウドソーシングというものを見たり、実際に使ってみたりしたが、どうも自分が思い描いていたものと違っているようだ。

私がクラウドソーシングに興味をもったのは、大前研一さんの本でBusiness Process Outsourcingを見たとき、またフラット化する世界を読んだ時だ。適材適所的な考えで、ある仕事をするときには、最適な人が世界でどこかにいる、という概念であり、現在のクラウドソーシングの一部分である。日本の誰かが持っているニーズをインド、アフリカ、東欧などにいる個人が満たすような仕組みは、コンセプトとしてはおもしろい。

なぜこうしたビジネスに興味を持つかというと、国際性がキーになる。日本で作った商品を海外で販売するだけで国際ビジネスになるのか。もちろん異文化で自社製品を販売するのは、現地の文化や販売方法にカスタマイズしたり、現地人をマネージしなくてはいけないのでエキサイティングなのは間違いない。ユニクロやトヨタがやっているのはこういった国際ビジネスだろう。

こうした企業が作る製品の価値の源泉は商品であり、その商品を手にしたユーザーは何の国際性も感じることはないだろう。もちろんアメリカ人が日本の製品を自国にはない細やかな機能があり国際性を感じることはありえる。しかし、国際ビジネスはもっとエンドユーザーが国際性を感じられるものがいいと漠然と考えていた。そうすると自然と商品ではなくて、サービスになる。

何か国を超えてサービスのやり取りをするということをやりたい。英語圏ではウェブ関係の開発やアート、翻訳、コンサル、会計業務、医療、バックオフィス、コールセンターなど専門的なスキルのいる仕事や、分類やネット上で情報を探すなど単純作業はサービスマーケットプレイスで取引されている。

ただ、これらも定型にそった仕事をただ、商品として輸出しているような側面は否めない。エンドユーザーと現地人とのインタラクティブがないのである。

インターネットビジネスは、世界中とやり取りを行うことが出来るという点で無限の可能性を持っているが、全てネットで完結してしまうのは、やりすぎで、無機質になってしまう。世の中リアルありきだから、リアルと十分に関わっているものがおもしろい。

そうなると、インタラクティブなサービスを国境を越えてやりとりするものがリアルも関わっていておもしろい。語学レッスンの講師を海外で雇い、オンラインでレッスンするというのは流行っている。需要として、英語、中国語、アラビア語など。ただし、物価がさほど変わらないなら、これらの講師は国内を含めどこにいてもいい。英語は現在フィリピンや英語ネイティブの国ではやられている。違う形のインタラクションを目的にしたサービスがあればおもしろいかもしれない。

正直、まだ何が面白くて自分がやりたいのかクリアではないが、誰でも持っている個性が、他の人から見たら価値となるようなものをサービスとして提供できればおもしろい。語学もそのひとつだ。アメリカでは誰でもしゃべれる英語で金がとれるのだ。アメリカにいるホームレスでも、いくらボキャブラリーや文法が変でも、英語の練習としては価値があるはず。個人の持つ能力、特に個性を活かしたサービスを世界規模で作りたい。


そもそも海外に何を求めるのか。


将来何がしたいかっていうと正直わからない。
とりあえず大きなことを成し遂げたい。

よく欲求の5段階かなんかで一番下が生理的欲求で、上のほうに自己実現かなにかがある。他のひとを助けたいとか。たしかにそういうふうに考えてしまうかもしれない。

単純に今のモチベをかくと。
もてたい、チヤホヤされたい、何か成し遂げて人に認められたい。
でもそれは社会にとって新鮮であたらしい自分の個性を出した結果でありたい。
人が思いつかないようなおもしろいことをしたい。
それはやっぱりオレって特別かって思いからくるのかな。

まあ、何にせよ世界で個性を出す。

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