人は外の刺激に反応する。自分で認知する。人それぞれ違った方法で認知する。人をシステムのみなして考えよう。外で起きていることを五感で感じる。それを自分の脳で処理して理解する。これが認知だ。しかし、この脳で処理することは外からの情報をフィルターに通すことになる。解釈されかたが、その人によるのだ。ややこしいのはこのフィルター自体が常に変化しているのだ。身体的な状態や心理的な状態で大きく変わる。腹が減って睡眠もとっていないときに感じる不安は大きい。

AとBが話していてAがBに悪口をいったとしよう。実はBはこの会話の時に、現在気になっている彼女のことばかり考えていて会話にまったく気がいってなかったとしよう。そこでBは適当に返事をしていたとしたら、Aは、Bはまったく挑発にのらない人間だと理解するだろう。しかし事実は違う。単純に、Bの中で、この挑発をフィルターが軽減していたのだ。

日曜の夕方のサザエさんを見ているときの感じが好きだった。平和なアニメだし、家族が回りにいて、夕飯がすぐ出てくるし、その日はずっと家族でゆっくりできるという安心感などが交わってこうした良い感情を抱かせてくれたのだろう。サザエさんのビデオを1人で夜見ても微塵もこの感情を味わうことはできなかった。

がっつり食事をした後の缶コーヒーが絶妙にうまかった。これを作りだそうと同じ状況を作ったりしたが、なぜかうまくいかない。おいしいコーヒーを意識しすぎて何かが狂っているのだ。あまり物事を意識しすぎると思った結果がえられない。目の前にあることだけに集中するべきだ。

松本人志はその場の笑いに執着する。それは状況次第でそのときにおもしろいものが常に変わっているからだ。先に用意しているボケを状況にあわせて披露しても、しっくりこずにおもしろくない。松本は常にその場にあった笑いを作る。それに彼は魂でしゃべる。台本もない。自分の中に浮かんだことをそのまま口に出す。いいまわしや声のトーンも自分の中に浮かんだものがそのまま出ている。だから状況にあっているのだ。

やはり、そのときの全ての外的環境に加え、そのときの身体的精神的な状況が感情を作るのだ。擬似的に作ろうとしても無理がある。やはり一瞬一瞬を大切に生きなくてはならない。