記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2011年09月

それを理解すれば、どうやって世の中に影響を与えることができるか分かる。メディアとか本とかで聞いた内容は、自分の周りのオピニオンリーダーがどう判断するかで自分の中でどう処理されるか決まるようだ。今回の原発の報道では、テレビを見ても腑に落ちずネットや友人にセカンドオピニオンを求めただろう。宮台とか上杉、またあなたの友人など色々聞いた結果それらしいものを自分の理解とする。

そもそも自分の意見といってもそれはこれまで接してきた他人の意見やあらゆる経験から作られている。自分の意見なんてそもそもない。自分と周りの人間の影響のもと形成されたフレームワークを使って考えたものである。そういった見方は常に変わっている。自分の周りの人間も変わっているからだ。ずっと居酒屋でバイトしてたらそこにいる人と感覚が似てくるだろうし、官僚と一緒にいたら同じように変わる。でも信頼できたり、一目置く人は、自分の環境だけでは変わらないかもしれない。だから自分のフレームワークは自分が移動する環境のようにコロコロは変わらないだろう。

で、重要なことは、世の中に大きな影響を与えたいなら、影響力のある人間の考え方のフレームワークを理解して、同じ土俵に上がるか、それをも超える凄い見方を持たないとだめだ。物事の良し悪しは無いと以前から書いているが、例えば高卒でずっと工場勤務のおっさんと開成東大で官僚のおっさんが世界のあり方とかについて話しても互いに共感できないだろう。まず背景知識が違うし、持っている情報量が違う。実際どっちが正しいかは断定できないが、影響力のある人間の意見が正しいということになってしまう。だから人に影響を与えたいなら空気の読める行動や発言をしなくてはいけない。ただがむしゃらにガッツだけで権力に向かっていっても相手を動かせない。くだらなくてもその人たちを動かせる何かを見つけなくてはいけない。

スポーツは真のフェアな競争だと思う。ルールが明確でその中でなら何でもあり。しかしルールを破ったら一目瞭然で罰則がある。その土俵で真摯に対決するしかない。だから分かりやすい能力がどんどん競争で磨かれていく。これは分かりやすいから取り組みやすいけど、その分競争が集中するから厳しい世界だ。

一方ビジネスとか政治は、法律とか暗黙の了解みたいなルールはあるが、その境界線があいまいだったり、すべてを取り締まることができなかったり、まったく第三者に見られなかったり、など本当に何でもありだ。だから様々な能力が要求される。世の中の渡り方を心得てたり、世界情勢に詳しかったりすれば、具体的な細かい作業は人を使えばうまいことできる。本当に様々な能力が必要だから面白い。

以前アフガンで米兵が一般市民も殺していた事実が表明したけど、普段自分たちが聞いたり読んだりした情報って、コアな部分以外そうとう削られてるからなかなか判断が難しい。アフガンでも現場での全ての兵の監視できるわけじゃないしみんながひとつの方向に向かってる訳じゃない。変なことするやつもいるし、それがずっとバレないこともある。ビジネスの世界でも同じようなことはある。ちょっと前にニュースになったDeNaの件。他と取引したらゲームを買わない、みたいな脅しをしたとかいっているけどそんなのどこにでもあるだろう。表に出ない泥臭いことは沢山ある。色々なことをしないとビジネスや政治では勝負できない。

人は皆違う環境で育ち違う考え方をする。何十億の人間がいて世界が多様性を持つ。良い者が生き残る。人は団結すれば長所を活かし短所を補うことができる。しかしそこまで相手を信用するのは難しいし、そこまで多くの人と繋がる時間もない。

これまでの歴史で世界はどんどん統合化されている。これは情報の非対称性が解消されてきたからだ。1000年前を考えてみよう。日本からして外の国はどうなっているのかほとんど情報がない。どんな人間がどんな生活をしているのか。写真もないし情報も少ない。勝手なイメージを作るしかない。確信できるものがなく得体の知らない世界が外には広がっていると怯える。だから自分の身を守るため軍を持ち攻撃的になる。それは個人間でも同じ。最初は知らない人は警戒してしまうだろうが、徐々に相手のことが分かってくれば安心できる。

同じことが世界の歴史にも言える。今の時代、世界中どこでも行けるし、行かなくても写真や動画、友人など情報源は山ほどある。どんどん周りで何が起きているかの情報が整備されている。情報の非対称性がなくなってきている。最近のツイッターやウィキリークはその際たるものだ。これまで発信力のなかったものや圧力により発信を控えていたものが情報を伝えることができるようになった。さらにフェイスブックなどで個人の情報がどんどん公開され他の人とどんどん繋がっていく。フェイスブックで相手のプロフィールや考えを理解できれば自然と距離は縮まる。どんどん国や個人は繋がっているのだ。

このように透明性が増してくれば、自然と国や個人は協力していくだろう。まだ国レベルでは政府のトップでどのような策謀があるのが疑問があるだろう。こうしたものもツイッターなどで除去されていくのではないか。そうすればかなり透明性のある世界になり、相互に長所を活かし短所を補うような本当の意味で団結した人間社会になるだろう。

日本の将来はどうなるのか。先進国では先例がないのでこれからどうなるかは誰も確信できない。日本の若者は総じてやる気がないようなことをいわれているが、これはひとくくりにできることではない。これから新たな時代に入っていく中で、何に従事するのが正しいかも分からない状態で、若者全体に問題を押し付けるのはいけない。

人はよく物事をまとめてマクロで捉えて傾向を見ることがあるが、これでは現実を把握できないと思う。人それぞれモノの見方や考え方は違う。ある傾向が全体で見えてたとしてもそれに至った過程が個人で違うことも常にありえる。

もし世の中の流れを客観的に把握したければ、人ではなく現象に注目すべきだ。例えば若い日本人の国の将来への無関心と中国の若者の強い政治への関心を比べることは無駄。もしそこを比べるなら存在する状況を比べるべきだ。こういう状況があるから人にこういう影響を与えやすい、のように考えるべき。

日本は高度経済成長を遂げて一億総中流階級を達成した。そこでは適当に学校にいって適当に就職でき適当に稼いで適当に人生を終わることができる。高度成長以前は、将来の安定のためみんな一生懸命考え、自分を持って生きていた。時代は変わったのだ。今の日本は大きな変化のチャンスがない。

一方中国は、これから世界一の大国に向けて大きく変わろうとしている。若者が将来の成功を期待して生き生きするのは当たり前だ。成長が常に目の前で起きているのだからわくわくするのは当たり前。日本では誰もこれから何か大きな変化が日本に起きることなど考えていない。だからボケーっとしてしまうのだろう。

もっと危機を身近に感じないことには日本人は積極的に行動しないだろう。まずは、日本が何を目指すのか明確な指針がいる。私は、道州制にすることに強く賛成する。地域単位で競争させれば、地方政治の無駄もなくなるし、競争で経済も盛り上がる。インターネットがあるから地方も全国や世界を相手に商売できる。さらに、集団が小さくなるので身動きがとりやすくなるだろう。極端な例でいえば、中国は10億人以上を束ねて国を運営するので強引にならざる負えないし意見を1人1人聞いていくのは不可能だ。成功している国や都市国家は人口2000万弱というところが多い。日本もそれくらいに区切って地域単位で世界で戦うべきだ。

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