記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2012年06月

アヘン戦争は1840から1842年。欧米諸国は市場と資源を求め、アジアへ進出。まずはイギリスが来た。東インド会社かイギリスの工業製品をインドへ、インドのアヘンを中国へ、中国の茶をイギリスへ、という三国貿易をしてた。中国アヘン中毒者多くなりマジ切れ、イギリスの商務監督官を監禁した。これをいいきっかけとみてイギリスマジ切れして戦争にして圧勝。南京条約で香港割譲や開国してもらった。アメリカ、フランスも便乗して不平等条約締結。

この後、太平天国の乱が1851年から9年間起きて、キリスト教の宗教を洪秀全が南京を首都に国を創った。清国の軍に何回も勝利し、清国の弱さ露呈した。その後、1856年アロー戦争。これはイギリスがもっと清国を追い込むために行った戦争で、賠償金や開港を天津条約でゲット。この20年で清国のガバナンスぼろぼろ。西洋化の必要性を感じだした。

これから強くなろうとしている中国に追い打ちをかけたのが日本。1894年の日清戦争。薩英戦争でイギリスにぼこられて開国決意したトラウマと同じことを韓国にやるという日本。韓国の覇権を巡り中国と争ったと言われる日清戦争だが、本当は国境をあいまいにしたい中国としたくない日本のイデオロギーの対立なのだ。中国は中心である自分が最高で他は王化していくという不平等ルール。日本は帝国主義で弱肉強食の平等ルール。相容れないのだ。まあ結局勝ち、下関条約で遼東半島や台湾などゲット、2億両もゲットした。遼東はすぐにロシアにとられてしまうが。

その後、列強による植民地化とキリスト教による文化破壊に切れた民衆が反乱を起こした。義和団事件。これを助けに日露英仏などが来た。何を血迷ったか義和団と清国の軍が協力すれば勝てると思い宣戦布告しあっさり負けてさらに植民地化が広がる。1840年以降100年くらい戦争続き。しかも国内を舞台に。

実はめっちゃ可哀想。

アヘン戦争からずっと戦争ばかりで可哀想な中国だったが、1911年辛亥革命で盛り返した。ロシア革命より6年前なのでうまくいっていれば20世紀最初の人民革命だったが微妙に完結度低い。三民主義を掲げた孫文は、日本で反清国組織を作って中国全土にネットワークを広げ革命を始めた。

辛亥革命は帝政は崩したが、各地に群雄が割拠するといういうもの乱世パターンに戻った。孫文は5.4運動での民衆のナショナリズムの盛り上がりを見て民衆の組織化に注力。中国共産党と連携する。第一次国共合作。

孫文が1925年に死に、蒋介石が総司令になると国共合作を放棄し、北伐を実行。1928年国民政府のもとで中国は統一。共産党は大都市での武装蜂起に失敗し農村部に拠点を移す。1931年毛沢東が江西省に中華ソビエト共和国を建てる。蒋介石の200万の軍に攻められ、江西省を逃げ長征を行い延安に到着。30万の兵士が3万に減った。張学良が蒋介石を捉える西安事件が起き、共産党から周恩来が来て抗日統一戦線を結成。

抗日戦争と言われるのは1937年7月~1945年8月15日まで。
・1931年9月18日の柳条湖事件(満州事変)15年戦争
・1937年7月7日盧溝橋事件 八年抗戦
戦争状態に入ると米国など中立国から軍需物資の輸入ができなくなるから宣戦布告しなかったので支那事変。
9月 国共合作
12月 南京を占領 南京事件。首都を南京、武漢、重慶に移した。
1940年9月 日独伊三国軍事同盟調印

抗日戦に勝利した後、1945年〜49年 国共内戦(国民政府 対 共産党軍)。双十協定で平和的和解を決めるが、その後国民政府軍が内戦を仕掛けた。劣勢の共産党だったが国民政府の役人の腐敗はひどく、インフレも解決できず、共産党は土地の等分をスローガンに下層の民衆を引きつけ勝利した。地主階級の封建的搾取による土地所有制を廃止して農民の土地所有制を実行する。農民の生産力を解放することで農業生産を発展させて新中国の工業化の道を開く、という方針で。1949年人民解放軍が国民東軍を台湾に追い出し毛沢東が中華人民共和国を樹立。

1949年10月1日 毛沢東により中華人民共和国が設立後、63年が経つ。最初の30年は階級闘争と社会主義計画経済を特徴とする毛沢東の時代で、後半は市場経済の豊かな強国を目指す鄧小平の時代。10年で一変し、9の年に波乱があると言われている。

戦後、ソ連との関係を深め、その後1950年朝鮮戦争で米国との対立。休戦状態。1959年一変してソ連共産党と対立は国家関係にまで及ぶ。

1958年〜60年は大躍進運動。全国的に上から下まで工業農業生産の高い速度を盲目的に追求した。鉄鋼の生産量を57年の2倍にする計画。ロシアを訪れた際に イギリスに15年以内に追いつき追い越すといったことから始まったが、結果飢餓を中心に死者数千万人以上。

1966年から10年、反帝国主義、反修正主義の反米反ソで文化大革命。「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動。

文化大革命は理論的には社会主義を資本主義に変えようとする修正主義との戦いということだったが、政治目的は毛にかわり実験を握った劉少奇や鄧小平からの権力奪還だった。林彪や江青ら四人組を作り全国の学生を紅衛兵に組織し伝統文化の破壊、知識人や実務官僚の告発を展開。混乱は武力衝突までになり人民解放軍が投入されるほどになった。1969年には文化大革命の勝利を宣言したが林彪が毛沢東暗殺に失敗し逃亡中墜落死という意味の分からない事態に。

1969年中ソ対立臨界体制、国境で衝突。ソ連はチェコスロバギアにも出兵。ソ連の脅威を感じた米中は72年のニクソン訪中により関係を改善。毛沢東は20年かけて連ソ反米から連米反ソに転換。

1979年米中が国交を樹立。南方で中越戦争がおきる。鄧小平は中ソ関係の改善に取り組む。戦略の重点を革命闘争から経済建設にした。

1989年天安門事件により大きな衝撃。国際社会との対立が危ぶまれたが鄧小平は改革開放に専念。

1999年NATO軍機による在ユーゴスラビア中国大使館爆撃により米中関係は緊張。2年後には米中の軍用機の接触事故が起きた。中国の対外関係はたびたび紛糾したが正規の外交ルートにより平和的に解決された。

こうみると1980年代以降の改革開放路線以外で中国のよかった期間ってどこだろう。1937年抗日戦線の結成から1949年建国をして朝鮮戦争に勝つ1955年までだろう。それはイコール毛沢東に率いられ日本と戦い、国民党と戦いアメリカと戦った時期だ。大躍進運動とか文革などを割り引いてもまだ前半における功績が大きすぎる。毛沢東を抜きにした成功例を中国はもっていない!

開発のアウトソースに重要なのは、
・技術力
・コミュニケーション力
・アフターケア力
・コスト

うちの会社は技術力はある。難しいゲームを開発、運営してきている。まあ他のウェブシステムとかの経験は少ないがここは何とかなる。しかし、日本とのやりとりをスムーズにやる仕組みや人材が足りていない。コミュニケーションが弱い。海外なのでそこはちゃんとしないと致命的。そこをうまく作っていってオフシェア開発サービスをやるのもひとつの戦略だ。アフターケアも同様にコミュニケーションありき。コストは中国なので安い。

しかし、僕はむしろここでウェブサービスを作って運営したい。開発コストが抑えられるのはもちろん、ウェブサービス自体、中国ならではのものにする予定なので、ここでしかできない事業だ。

アイチャイナという(http://www.ichina.jp/)事業はこれをまさに実践している。しかし、中国語教育という市場の小ささからあまりうまくいっていないようだ。何かtweakがいる。ビジネスモデルが単調すぎるのにあまり競争がないということはかなり市場が小さいと見られる。

最近考えているのが、開発をもっと身近なものとして個人に売るのはどうか。何かパッケージ化にして。個人が欲しい開発って何か。

どんな環境でも機能するシステムを作りたい。会社の組織のこと。人の出入りが早くても、外的環境の変化が激しくても機能する組織のシステムを作るべきだ。一部の頭のいい人や仕事のできる人に頼るシステムは持続性が無い。

ある業務に特化した専門性を持つことは重要であるが、それに依存しすぎると危ない。ある程度その業務を極めたら、その人のレベルまで他に人が簡単にできる方法を考えたり、その業務を抜本的に変えたり、他の業務を理解して最適な業務に変えたりと、全体を考える動きをしなくてはいけない。ドッグイヤーの現在、ずっと同じことをやっているほど危ないことはない。

しかし、ひとつのことをずっとやっていると、仕事へのアプローチ方法や時間の管理の仕方などがつかめてくるだろう。これは他の業務に取り組むときに非常に有利になる。自分はここがまだ確立できていないと思うのでしっかりと物事に取り組む必要性がある。

まあ、いずれにせよ柔軟で効率的なスーパーシステムを作りたい。

中国の近代史は列強による侵略。一番ひどいはずなのはイギリス、大義名分もないアヘン戦争。帝国主義的な強盗。その後、フランスもドイツもロシアもアメリカも入ってくる。1900年頃いろんな国に食い散らかされてた。日本は最後にちょろっと入っただけ。

中国の最近の戦争をみると、
・1979年中越戦争のベトナム
・1959年の中印国境紛争のインド
・1959年のチベット紛争
・ロシアとも国境紛争あり
・1950年のアメリカと朝鮮半島で全面戦争

日本との戦争は60年以上前なのにこれだけ国全体的に敵視されている国は他にない。これは過去の出来事どうこうではなくて、現実的に競争相手として嫉妬している感じに近いのではないか。

中国から見た日本は、
・アジアで最初に近代化した
・中国を侵略した
・戦争に負けた後でも高度経済成長でアジアNO1の豊かな国になった

故に、屈折感は凄い。今後、中国が政治経済で本当の世界一になれば自然と解決されるだろう。

さらに、中国人は清国を今の中国とは別と捉えているため、アヘン戦争とかフランスの侵略は関係ナッシングなのだ。実はこれあまり知られていないが現在の中国の大部分を占める漢民族の中国の土地を支配していた期間は非常に短いのだ。

以下参考までに。
http://temple.iza.ne.jp/blog/entry/24279/

現在、中国人の9割は漢民族ということになっている。中国にはたくさんの民族が共存していると習ったがそれは全体の1割の話。実は漢民族は朝鮮民族と同じくらい悲惨な歴史を持つ。

隋は聖徳太子の遣隋使でおなじみである。だがこの隋がそもそも漢民族国家ではない。隋と唐は「鮮卑族」の国家で、鮮卑は現在のトルコ人だそうである。後唐、後晋、後漢もトルコ人王朝だそうだ。中国王朝体制維持の核心といっていい科挙は漢民族ではなくトルコ人が考えたものだったのだ。

宋になってやっと漢民族国家だが、それまで600年もの長きにわたってトルコ人によって中国は支配されてきた。もちろんその間、現在の多民族国家的概念は存在しない。漢民族は支配される側で植民地民だったということだ。さらに漢や秦より以前、殷の国が女真族国家だったようだ。秦の始皇帝は墨刑といって罪人に入れ墨をいれる刑を取り入れたが、入れ墨は女真民族の習俗として漢民族に忌み嫌われていたそうだ。

漢字のルーツは殷の甲骨文字である。漢字も漢民族ではなく、後に清を建国する女真民族が生みの親だったようだ。また孔子は自ら殷の末裔であると名乗っている。儒教の開祖的存在である孔子も漢民族ではなく女真民族だったようである。金とあの清(1616~1912)も女真族国家だ。モンゴル帝国、元の時代はもちろん漢民族はモンゴル民族に支配された。中国の歴史教科書にチンギス・ハンは中国の英雄として登場する。

少しまとめる。漢民族は紀元後の2000年の間、漢(前206~220)の220年、宋(960~1279)の320年、明(1368~1644)の277年、中華人民共和国(1949~)の52年と2000年間のうち計869年しか自立していない。漢民族は構成比で考えると43%が支配民族の時代で、約6割にあたる57%は他民族に支配されていたのだ。漢民族の歴史は悲惨なものだったのだ。特に直近にあたるところでは1644年に明が滅びてから約300年もの間、女真民族に支配され続けた。髪型も女真の習俗である辮髪にしないと死刑になった。他民族の髪型にしないと死刑というのは、奴隷並みだったということだ。

よく中国人は公共心がないとかいわれる。現在中国の主要構成員である漢民族はつい最近まで奴隷並みの処遇の中で生きてきたわけだ。中国人が共同体への帰属意識、参画意識が希薄なのは歴史をひも解けばむしろ当然ということがわかるだろう。

親から子に継承されたのは「痰をあたりかまわず吐きちらす」とかそういうことしかなかったのだ。中国大陸長江のほとりに常に文明が栄えたのは事実だ。しかし現在、中国で暮らしている人の92%を占める漢民族の祖先はそれはそれは悲惨なものだったのである。歴史の6割がたは少数民族によって支配される側だった。

要するに、イギリスのアヘン戦争とかその辺のことは漢族にとってどうでもいい話なのだ。

華夷秩序の宇宙観である。中央に中華皇帝がいてその周辺に王土が広がり、中華の光が届く範囲は王化されているが、遠ざかると光が届かず化外の民が蔓延る蛮地になる。かれらが朝貢するなら地方の王の官位を与えて下賜品を与えて返す。昔の日本だ。だから中華思想はナショナリズムではない。そもそも国境線という概念が無い。王土か化外の地かわからないグレーゾーンが広がっている。

近代の日中の確執は主権の及ぶ範囲の確定を曖昧なままにしたい中国と明確にしたい日本の対立だ。中国人は1国2政府という香港統治の形態をなぜ気持ち悪いと感じないのか。台湾が独立したら武力侵攻するといいながら台湾と資金と人間が交流することを気持ち悪いと思わないのか。日中の海底ガス田の問題を棚上げするのを気持ち悪がらないのか。こうした宗属関係の曖昧さが気持ち悪くないのが中華思想なのだ。日本は国土がきっちり島として分かれており独自の文化でアイディンティティが明確じゃないとだめなのだ。

中国人は日本人と違うからけしからんというのは愚であり、この違いを理解しどうすればwinwinな関係を作れるかを考えるべきだ。

日本人で中国で働いているというだけでみんな暖かく接してくれる。僕は中国について基本的な歴史などは学んできたが、細かい地理やテレビ、歌などは知らない。中国人と話していてそれを知らないとかなり白けるので、もっと勉強すべきだ。あと駐在員とか会う機会あるが、中国語のレベルあまり高くない。もし中国を深く知り、中国語をかなり使えれば、かなり中国に入り込むことができると確信している。中国は政府や企業とのコネが重要だからうまくここに入れればチャンスは半端ない。

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