記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2012年09月


世界市場を相手にした事業で一山当てて、世界のスターの仲間入りをしたい。それが自分の心からの目的なんだ。金、女、リッチな生活を手に入れるためだ。また、お世話になった人、家族に良いことをしてあげたい。また、その仕事が社会貢献になることも重要だ。でないと、自分が満足できない。どんだけ欲望に満ち溢れているのか。まあいいとして、それなら何をすればいいんだ。世界が全部市場になるようなこと。儲かるために何をすればいいのか。脳に汗かいて考えてひたすら行動あるのみだ。


ジャンクフードは味が濃くて刺激がある。それをおいしいと感じる。そしてそれを頻繁に食べると健康的な食べ物に物足りなさを感じる。

アメリカや日本のように経済的にトップの国ではCtoCのビジネスで競争が強く色々なチョイスがあるし、価格も下がっている。顧客にとって非常に便利な、また面白いサービスがある。こういった環境にいるのは一種のジャンクフードみたいなものだ。日本のファストフードは早いうまい安いが、生きるうえでは必要ない付加価値だ。

オーストラリアも先進国だがアメリカや日本ほど競争が促されていない。物価も高いし、商品やサービスの選択も少ない。こうした環境でも普通に不便ない生活を送れるが、刺激が足りない。

しかし、こうした環境の方が持続可能なのかもしれない。常に新しいものが必要だから利益は不安定になって、競争する力のないものは生きていけない。

でもアメリカならいくらこの競争社会でも持続可能だと思う。アメリカは元気がある。人々に活気があり変な人がいっぱいいる。新しいものが生まれる雰囲気がある。こういう社会で育ってしまうと健康食では物足りなくなる。

オーストラリアは健康食を好む。社会に対して本当に意義のある自然科学や温暖化対策などが好んで学ばれている。金融によって市場の歪みから収益を得るようなことより、保険などで実体のある分野で生かされる数理などが人気がある。


表現
自分の考えを表現することは楽しい。それを誰かに評価されるとか以前に自分の考えを形にしたり外に出すことができれば何か満足感がある。地球に生きている以上何かの形を残したい。欲を言えば多くの人に認識してもらいたい。

小説なり映画なりで自分の感性を表現したいものだ。

感性

三島の言っている美とは主観的なもので、現実の客観的なものを超えてしまう。簡単な例で言えば、明日の運動会が楽しみでワクワクするが、当日実際にやっているときはそれほどでもない。でもさらに後々運動会を全体として振り返ってみるとやはり楽しかった。実際の現実より、時間を置いてそれ全体をイメージした時のほうが魅力があるのだ。

イチローは凄い。間違いなく日本でもっとも尊敬されている人の1人だ。でも彼が近くにいて何を思うか。彼と仲良くなって何日か一緒にいたら多くの友人の1人になるだろう。遠い存在だから魅力がある。

ようするに自分が凄いことをするとかしないとか他人にとってどうでもいいのだ。それほど他人は気にしていない。


私はこれまで辛くてキツい経験が自分を強くするという発想で生きてきた。

心の中では何事も楽しんでやったほうが効率もいいだろうと分かっていたが、これまではできなかった。しかし、オーストラリアに来て、物事を楽しむことこそ人生だということを実践できるようになってきた。

自分のやりたいように行動してこそ、自分のやるべきことが見えてくる。正しい壁にぶつかることができる。より多く時間を費やすことが善のような、典型的な日本人的発想が自分には深く根付いている。

私にはとてもやっかいな考え方がまだ根付いている。一度大企業や名門を経ていない人を評価できない。大企業などで厳しい環境で揉まれてこそ一人前になれる。それを経ないで起業するのは、逃げとか、自己中だと考えてしまう。大きな企業の中でうまく出来る人こそ社会でも認められると思う。だから自分も大企業でキャリアをスタートさせたい。それから起業したい。

結局マネージメントとかいっても実際に人を感動させられる人をマネージするだけの話。本当のプロが、要するにマネージメントをアウトソースしている。


アートってようするに自分をバーバル+ノンバーバルに伝えることだ。

・絵画
・読み物
・ビデオ
・映画
・ドラマ
・造形
・演説

まあ、何でもそうだな。人に一対一でパワポで説明するのが一番伝わるかも。

でもこの分野ってビジネスとしてやった時点でもうアートじゃないよな。自分が伝えたいことを表現するんだからそれがビジネスの目的と重なってない限り自己表現できん。
そこそこの仕事をしながら、お金をため、世界を回りながらアートを作る。これが理想の生き方か。

結局、世界平和とか貧困をなくすとかって、自己マンなんだな。世界の仕組みを変えるという大義の名のもと自己マンをして、実は周りからあがめられたいんだな。
でも実際、おれらの世代のやつってみんなそうとう平和ボケしてるな。今の世の中があるのってめちゃくちゃリスクとったり命犠牲にしたような行動の積み重ねなんだよな。社会のジレンマをできるだけ軽減すりょうな仕組みになっている。世界の国々の間には実際今も緊張はある。食糧や資源など奪い合いが起きるかもしれない。

人口統制したら経済的に弱くなるけど、増やしたら彼らが生きるために海外から資源を輸入しなくてはならない。様々なトレードオフに直面しながら国の舵をとっているのだ。


結局人生主観なんだから、自分がとことん満足できるものに関わればいいじゃないか。
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この世の中はこれまでの多くの個人の人間の努力により人間が繁栄できる環境が徐々に
整えられてきた。多くの個人は自分の犠牲を省みず、絶え間ない努力と人間社会への貢献をしてきた。大半の人はそうした人に作られた枠組みの中で生きる。自分もこうした世の中の仕組みや枠組みをよりよい社会、人間が繁栄できる環境にしたい。現在の世の中の状況は10年、20年くらいのスパンで見ても大分よくなっているのではないか。戦争や犯罪が多かった時代に比べ現在のほうがよいだろう。(ただし、そういった時代のほうが
国としての結束や生きる目的がはっきりしてて、おもしろいと考えれば、その時代のほうが良くなってしまうが)やはり、同じ人間同士協力し合って、衝突しないでいったほうが良いと考えるのは普通だろう。現に、今のある程度人間の対立も少なく生活水準が向上したのは協力があったからこそだ。

しかし、まだまだ問題はある。国の対立もまだあるし、犯罪の発生も残っている。時間がたてば国の対立はなくなるだろう。マジョリティーに吸収されてしまうだろう。もちろん、資源争いなどはありえるが。ただ犯罪はゼロにはならないだろう。そもそも世の中のシステムは人間が権力は配分して作ったものであり、人間の本能への直接的なリンクがないのだから、それを遵守することは、個人の理性にかかっているのである。すべての人間が心身ともに健康であれば、犯罪もゼロになるだろう。理性により、世の中のシステムをわきまえて行動すること。

人間の世界では、すべて人間が繁栄することが正しいと本能的にみんな考えている。いくら環境破壊防止などもようは人間が生きれなくなったらまずいから。動物と共存といっても家畜など食用であったり、間接的に人間に影響がなければシカトだ。

時代は変わる。物事の良し悪しも変わる。要するに正解はない。真実もない。マジョリティーが正解になるのである。ただその正解は、永遠ではなく、マイノリティーに取って代わられる。

具体例
 発展途上国の力をもっと社会へ貢献する
  BPO 彼らのアート的な感性や価値観、世界観は我々の想像もつかないものだろう。そうした力を
  何かしらの形でアウトプットできないだろうか
 最先端技術を実用化する
  シリコンバレーなどの最先端技術を世の中のために役立たせる
  グーグルにしてもEBAYにしても既存の技術をサービス化してるだけ
  おもしろい技術をサービスに活かしたい
  ベンチャーキャピタル=リスクをとる

オーストラリアのコースワークで学ぶ多くの留学生は中国人であるが、彼らのほとんどが意識が低い。多くは中国での競争から逃げ、楽に生きれるようオーストラリアの移民を考えているのである。いくら修士をとってもそれは移民のためでその知識を仕事に活かそうとは思っていないのだ。オーストラリアにいれば最低限の生活の保障は政府がしてくれる。あとはレストラン経営や商店、またはバイトなどをしてのんびり暮らしていけばいいのである。本当に優秀な中国人は中国で学ぶだろう。

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