記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2012年10月

この本は広く浅くこれまでの哲学を説明している。深くは理解できないが、そのエッセンスだけは大体理解できた。結局、普段の人間関係やビジネスの場のコミュニケーションは、哲学的に何故を突き詰めると結構適当なまま進んでいることが分かる。過去の哲学をしっかり理解し、深くちゃんとしたコミュニケーションをしたいときに役立てようと思う。

哲学とは何か。哲学にとって大切なことは「〜である」という事実よりも「なぜ〜なのか」という根拠を考える作業の中にある。考える事自体が目的。

科学は「あるがままの姿」について語る学問であり、物事が現実に「〜である」ということを、実験や観察を通じて実証的に解明するが、哲学は、主に自分自身の思索や論理を頼りにして「あるべき本質」を探し求めていく試み。

神話(ミュトス)の世界をみんながなんとなく信じている状態から、物語を疑うことが始まった。自然哲学者たちは、目の前の世界がある以上、その始まり(アルケー)がなければならないと考えた。それは神話ではなく、自分たちの言葉や論理(ロゴス)で説明した。

ソクラテスはデルフォイの神託で、自分以上の知者はいないとお告げを得た。信じられなかったが、自分は何も知らないことを自覚しているので最も知恵ある者なのだ、と理解した。対話者にたいして、エレンコス(論駁、吟味)を繰り返し、相手は理解したつもりになっている土台を崩され最終的に自分の立場を放棄しなくてはいけなかった。ソクラテスは恨まれ死刑に。

プラトンは、想起説を提起。私たちが書いている三角形は、完全な三角形(理想=イデア)に似ている三角形であり、仮の実在を通じて、三角形のイデアが思い出されて想起されている。

アリストテレスは、プラトンのアカデミイアで学んだが、プラトンがイデア界という観念的な世界を設定したのに対し、アリストテレスの哲学は生活の場を土台にしている。あらゆる認識はまず感覚的知覚が与えるものから出発する。現実に根ざし、何かについて知るとは、それの原因、原理を知ること。4つの原因を挙げている。お皿を例にすると、設計図が形相因、材料が質料因、作った人は作用因、食べ物を盛り付けるという用途は目的因。特に目的(テロス)を重視した現実主義的。

アリストテレスは幸福は習慣から生まれるとした。働き(エルゴン)という概念が大事。幸福が最もよいことであると前提とし、それでは、よい、とは何か。大工のよさは家を建てる働きの中にあるし、笛吹きの良さは笛を吹く働きにある。だから、人間のよさ(幸福)も人間固有の働きの中にあるはずだ。それでは人間固有の働きをどう実現させるか。それを倫理的徳=習慣に基づいた徳、ということだ。

習慣に基いて何をしていくのがよいかというと、それが中庸である。ようするに極端はよくないので、その中間ということ。食べ過ぎも飢えも極端でダメ。ではちょうどいい状態をどのように分かるのか。それは、その行為の目的を冷静に観想して、思慮していくこと。そしてある程度の時間をかけて習慣化されていく中で見えてくる。

食べるという行為は、生きるという目的がある。しかし食べ過ぎれば胃を壊すし、何も食べなければ死ぬ。生きるという目的を実現するためにちょうどよい状態がアリストテレスの中庸である。そのちょうどよい状態とは、絶対的なものではなく、入院中の人と育ち盛りの高校生とでは異なる。今、自分は何のためにその行為をしているのか。その行為の目的を考えているうちにちょうどよい状態が見えてくるのではないか。

デカルトはあらゆるものを疑った。自分の存在も疑ったが、我思う故に我あり、と確実な存在として私を懐疑と一体になったものとみなした。人間は死ぬと、夢をみないまま寝たような状態になる、という街のおじさんが言っていたのは、主観的には正しい。つまり夢をみていると疑えない状態ならデカルトが発見した自分すらも確実ではなくなる。

ベーコンはデカルトと対照的。デカルトは自分の思考だけを頼りに世界の成り立ちを求めていく合理論、理性主義だった。ころいに対してベーコンは正しい認識に到達するには経験が不可欠だとする経験論。現実の観察や実験に基いてしか正しい認識は得られない。種族、洞窟、市場、劇場のイドラを退けないと正しい認識できない。様々な事実から共通している性質を取り出し、事物の一般的性質を求める帰納法を考えた。

社会契約論の3者。ホッブズはリヴァイアサンで、万人の万人に対する戦いを防ぐため君主主権を認めた。絶対王政の擁護。ロックは市民政府二論で、人々は国に隷属しているわけではなく、国家が国民の信任に反した振る舞いをした場合はその政府を改廃する抵抗権があるとした。ルソーは、社会契約論で、一般意思に基づいた公共の利益の実現を目指した。

カントは、経験論と合理論の両方が間違っているとして独自の哲学を純粋理性批判で示す。私達の認識は経験とともに始まるのだとしても、だからといってそれらがすべて経験から生じるということではない。経験論の言い分を正しいとしつつも、認識が全面的に経験に由来している主張は排除。理由として、経験だけに頼っている限り、数学の定理や自然法則などが常に正しいと言えなくなる=私達が正しい認識をしているときには必ず私達自身の認識能力が持っている枠組みがすでに認識対象の中に組み込まれているはず。認識は経験だけから成立するわけではない。

カントはまた、よさを行為の結果ではなく、行為の原因、すなわち、意志に求めた。つまりある行いが道徳的かどうかを判断する際の基準はそれがよい結果を生み出したかどうかではなくよい意志から出たことなのかによる。それでは、よい意志とはなにか。それは意志が道徳法則に従っているときだ。道徳法則を教えてくれるのは純粋理性(経験に基づかない)だ。逆にいうと純粋理性の道徳法則に従わない限りどんな意志もよいとはいえない。

私達の行為の多くは物質的な欲求やその場の状況に左右されがち、これは経験的欲望。純粋理性が発する道徳法則は、私達にとって命令の形をとりなすべき行為は義務として意識される。経験的欲望である傾向性を排して法則に従わなくてはいけない。ここで重要なのが、命令は定言命法と仮言命法に分けられる。〜ならば、と条件付きの命令は仮言命法であり、たとえその行為が望ましくとも「よい」とはいえない。条件を認めると、道徳法則に重要な普遍妥当性が損なわれるから。つまり定言命法によって意志が動かされたときに初めていつでもどこでも誰にとっても「よい」と言える。

無条件な命令に従う行為が道徳的だという主張だけ聞くと、カントの倫理学はひどく窮屈に思える。しかし、その命令そのものは自分がたてたものであるわけだから、実際には自分で自分を方向づけている=自律ということになる。そしてカントはこのようなときにだけ人間の自由が実現するとしている。人を殺してはいけないのは、何の理由もなく、単純に純粋理性がそう命じているからである。

ヘーゲルは哲学の歴史を重視し、いつも自分の思想をその流れの中に置いて考え続けていた。精神現象学で有名な弁証法や絶対精神に関する叙述をした。弁証法の説明をする。花が咲くとつぼみは消えるので、花によってつぼみは否定されたことになる。次に果実が生まれると花は消えるので同じく花は否定される。しかし本当はそうではなく、つぼきがあったからこそ花が咲き、花があったから果実ができた。それぞれが成立するための重要な要素として互いに関わっている。

何かが成立するためには、その裏側で何かが否定されなければならない。そして物事は、このような変化を経ながらより高い次元へと向かう。このように否定を通じて物事がより高い次元に発展する運動のことを止揚(アウフヘーベン)とする。

哲学の歴史でも同じことが言える。古代ギリシャのミュトス(神話)からロゴス(論理)へのシフト。歴史ではテーゼ(ある立場)がアンチテーゼ(ある立場の否定)に排除され、ジンテーゼ(より高い次元の新しい立場)が生まれる。このジンテーゼも否定され新しいジンテーゼが生まれる。こうして人間の歴史は進歩し続けるというのが彼の弁証法。

この考えの原動力は、世界精神という概念。ヘーゲルは世界精神が人間を使いながら自由を目指す運動こそが世界史にほかならないとした。つまり自由になりたいがために、ある立場への否定が生まれ、新しい立場が生まれるということ。それまでの近代思想の歴史にあてはまる。カトリックに基づく世界があったから、宗教改革や近代科学が生まれ、絶対王政があったから市民革命が起こり、合理論と経験論の対立から感と哲学が生まれ、カント哲学への批判からヘーゲルの弁証法が生まれというように対立構造やそこから生まれる変化を肯定的にとらえる考え方。

マルクスは唯物論。経済状態というのは、人々の意識に大きな影響を与える。マルクスは社会を2つの構造から成り立つとした。上部構造である政治法律文化であり、これは人間の意識が生み出すもの。それに対して生産形式である工業や農業、生産力、経済、などを下部構造と呼ぶ。社会の中でもより物質的な側面である。マルクスはこの下部構造が上部構造を規定すると考えた。経済状態や産業の発展具体により人々の意識が左右され、この考えで歴史の流れを捉えたのが唯物史観。マルクスにとって大切なことはこの下部構造を労働者が支配すること。

キルケゴールはヘーゲル哲学を徹底的に批判した。世界の歴史全体を見渡すようなヘーゲル哲学の体系性、客観性は馬鹿げたもの。根本的なのは、自分にとって真理であるような真理(主体的真理)を見つけること。そのためならいつでも行きたり死んだりできるそういう理念(イデー)を見つけること。客観的真理を見つけてもなんの役にもたたない。もし主体的真理の下に自分を方向づけていければ、その人生は実存的な生き方となる。

キルケゴールによると実存の姿には三段階ある。(1)美的実存:刹那的な快楽を求めて彷徨う人間。それを続けていると虚しくなり絶望する。まっとうに生きることも出来ないし死ぬこともできない。そこで決断して次のステップへ。(2)倫理的実存:家族や社会の一因として責任や義務とともにいきるが、良心的であればあるほど、道徳と合致しない自分へ罪の意識を抱いて絶望する。(3)宗教的実存:神の前に独りで立ち、侵攻への情熱とともに神との呼応関係に生きることで絶望から救済される。

 

ちょっと前の話になるが、日本の政府が尖閣を国有化すると発表後、中国全土で多くのデモが行われた。日中国交正常化以降最大規模であった。私は南京にいるので、特に家族や友人から心配された。他の都市では日本のスーパーや飲食店を破壊する行為が見られたものの南京ではそうした破壊行為はなかった。これは推測に過ぎないが南京でこのような暴動が本格的になれば収集がつかなくなるので政府が厳重に管理しているのだろう。
実は、国有化発表後、最初の週末であった2012年9月15日に南京の中心地で行われたデモを見に行った。私が見に行ったのは新街口という南京で一番賑やかな場所。何千人という野次馬と、公安、多くの人で埋め尽くされていた。生でデモを見た感想を言えば、「日本のお祭りのようだ」と感じた。お神輿が街の通りをゆっくり進んでいき、路上から多くの人が集まって一緒に盛り上がる。みんな活気に溢れ笑顔さえある。日本に対して怒りを露にしているとは思えなかった。このデモは一体何なのか。じっくり考えてみることにした。
これまで中国の歴史や日中関係に著名な方々の著書は結構読んできた。また、中国に来てからはその文化や慣習についても調べてきた。今回のデモについて、自分の知識・経験や日中関係の専門家の意見をもとに中国での反日でもについてまとめた。
今回のデモの構造を整理した。人民にはデモをする2つの動機があり、それらの人民の動きを中国共産党が別の理由で支援した、という構造である。まず人民の2つの動機とは(1)共産党の現体制への不満の表れ(2)格差問題等、日々の生活の不満が一気に吹き出した、ということだ。そして(3)それを政府が公認で認め、支援した(むしろ誘導した)。なぜなら18党大会を前に、共産党上層部の権力闘争の中で反日行動を取れば有利になるからだ。それではひとつずつ説明しよう。
今回のデモの映像などを見ると、反日デモで主張されていることは尖閣問題だけではなく、毛沢東の肖像画が掲げられていたりもするので、現体制への不満の現れがあると見られる。言論の統制、人治主義、民主化運動の弾圧、選挙の未実施、少数民族への抑圧などなど政府に対しての批判がデモに現れたのである。後に述べるが、今回は反日デモとして政府に許可されていたデモだが、このように反政府に繋がることを政府が一番恐れている。
また、中国で広がる格差問題等の人民の鬱積した不満が、尖閣問題をきっかけに一気に爆発したという側面もある。上海や北京など世界の中でも輝かしい発展をしている都市がある反面、都市に出稼ぎにくる農民工、就職できない若者、地方の農民など、かなりギリギリの生活をしている人民が沢山いる。自分も南京で生活しており、寝ているとき以外はずっと単純作業に没頭するような人や、時間はあるが金がないので毎日毎日同じ生活で飽き飽きしている人など、現状に不満を持つ人は間近で見てきた。
こうした不満を持つ人民がデモで鬱憤を晴らしているのは事実であるが、そこに政府の支援がなければデモは起こらない。通常、政府の許可なしにデモを行うことはできない。18党大会を目前に控え、中国共産党上層部の権力闘争が反日デモという形を持って激化している。どういうことかというと、以前のエントリーでも紹介したが、中国にとって「反日」とは建国の建前であり、誰も否定できない誇らしい事実なのである。特に政治家にとってはこれを否定することはできず、むしろ反日的な行動をすれば評価に繋がる。それ故、五年に一度の全人代の改選に伴い、反日を積極的に利用している。「我々の管轄ではこれだけ反日活動をやった。」などで評価されるのである。しかし、かといって反日感情が社会に充満すると、それはやがて反共産党になる可能性があるので節度は保つ必要がある。
このように人民のストレス発散と政府の権力闘争というモチベーションが重なり、国交回復後最大規模のデモとなったのである。こうしてデモの背景を理解すると、私が最初に感じた「お祭り騒ぎ」というのも説明がつく。今後の反日運動についてだが、上記の通り、政府も反日というカードを使い過ぎると反政府に転じるリスクがあるが、尖閣諸島周辺の茶番は、党大会終了も続く可能性がある。なぜなら日本政府から何かしら得ることはできないかという思惑もあるだろうし、全人代決定後も各派との争いのため強硬姿勢を続ける必要があるからだ。こうしたデモの構造を理解すると、単純に尖閣問題が解決すれば日中関係が良くなる訳でないことが分かる。根本的な問題を解決するには、中国の国内政治の安定が必要だ。
※写真は2012年9月15日、江蘇省南京市白下区の新街口という繁華街でのデモの様子

経営組織論の世界的権威ロンドン・ビジネススクール教授のリンダ・グラットンさんの著書、ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図。久しぶりに面白い本だった。というか、最近、政治経済、哲学とか堅い本しか読んでいなかったので、このようなクリエイティブな感じの本に癒された。読み始めたら止まらなくなり一日で読んでしまった。この本の説明と、自分の感想を書こう。
【本の内容】
今後数十年の世界を形作る32の現象を説明し、未来に生きる架空の人物のストーリーを紹介し、未来の働きかたによる暗い現実と明るい未来を描いている。そして、こうした変化に対して個人はどのように対応すべきかを3つのシフトの必要性から講じている。
以下がこれから数十年で起きる32の現象だ。これに伴う人々への良い影響と悪い影響についての説明は長くなるので省略させてもらう。本の中では、架空のストーリーを用いて分かりやすく解説しているので是非一読していただきたい。
テクノロジーの発展
1. 安価な携帯端末などでますます複雑なテクノロジーを活用できるようになる。
2. 世界の50億人がインターネットで結ばれ、グローバルな意識が形成される。
3. 地球上のいたるところでクラウドを利用できるようになる。
4. 生産性が向上し続ける。重要なのはテクノロジーよりも企業文化、協力関係、チームワーク。
5. ソーシャルな参加が活発になる。CGMが増え、群衆の知恵がイノベーションを起こす。
6. 知識のデジタル化が進む。オンライン教育。
7. メガ企業とミニ起業家が台頭。
8. バーチャル空間で働き、アバターを利用することが当たり前になる。
9. 人工知能アシスタントが普及する。膨大な情報の整理や優先順位。
10. テクノロジーが人間の労働者に取って代わる。ロボット。
グローバル化の進展
11. 24時間週7日休まないグローバルな世界が出現。
12. 新興国が台頭。
13. 中国とインドの経済がめざましく成長。
14. 倹約型イノベーションの道が開ける。途上国でもコスト抑えてイノベーション起こせる。
15. 新たな人材輩出大国、中国とインドの台頭。
16. 世界中で都市化が進む。
17. バブルの形成と崩壊が繰り返される。
18. 世界の様々な地域に貧困層が出現する。
人口構成の変化と長寿化
19. Y世代の影響力が拡大する。仕事に面白さを求める志向が組織の在り方、仕事の環境を変える。
20. 寿命が長くなる。60歳以降も働くようになる。
21. ベビーブーム世代の一部が貧しい老後を迎える。寿命が伸びるが仕事なし。
22. 国境を超えた移住が活発になる。
社会の変化
23. 家族のあり方が変わる。
24. 自分を見つめなおす人が増える。接する人の多様性が増え自分について考える。
25. 女性の力が強くなる。
26. バランス重視の生き方を選ぶ男性が増える。
27. 大企業や政府に対する不信感が強まる。
28. 幸福感が弱まる。
29. 余暇時間が増える。
エネルギーと環境問題の深刻化
30. エネルギー価格が上昇する。
31. 環境破壊で住居を追われる人が出てくる
32. 持続可能性を重んじる文化が形成される。
こうした32の現象により、数十年後の変化する社会を生き抜くために必要な3つのシフトを提案している。以下の三種類の資本の強化を切り口にこの3つのシフトを解説している。以下それぞれ記述。
(1)知的資本(専門技能の連続的習得 + セルフマーケティング)
昔は幅広い分野の知識と技能を持つ人材が評価されたが、グローバル化により、あなたと同種の知識や技能をもっていて、より早く安くうまく行う人材が世界中に沢山いる。そのため時間と労力を費やして専門知識と技能を高めなくてはならない。広く浅い知識をもったゼネラリストではダメなのだ。彼らが生きられたのは、ゼネラリストと会社の間には、社員がその会社でしか通用しない技能や知識に磨きをかけるのと引換に、会社が終身雇用を保障するという契約があった。フォード自動車の上級管理職に必要な神役や知識は特有なものでお菓子メーカーに転職しても管理職は務まらない。深い専門の能力が必要なのだ。しかし変化の早い世界ではそうした技能が簡単に陳腐化する可能性があるので関連分野や全く別の分野にも深い技能を伸ばすべきだ。要するにいくつかの専門技能を連続的に習得しなくてはいけない。さらに、これまでは会社が社員の能力と経験を証明してくれていたが、これからは自分で自分をマーケティングする必要がある。
(2)人間関係資本(人的ネットワークの強さと幅広さ)
生活に喜びを与えてくれる深い人間関係と、多様な情報や発想を与えてくれる広く浅い人間関係。未来では、オンライン上での在宅勤務が増え、エネルギー高により交通も抑制されるため孤独が深まる。また、変化が激しく競争も厳しい世界では多様な価値観を持つ人々とつながり合ってイノベーションを起こすことが求められるからだ。
(3)情緒的資本(情熱を抱ける有意義な経験をするための能力)
自分自身について理解し、自分のおこなう選択について深く考える能力。さらに勇気ある行動のための強靭な精神を育む能力。未来では豊かさや贅沢よりも、幸せや再生に価値が置かれる。そういう時代に生きていくには自分をしっかり理解し、やりたいことを見出し実行する能力が求められる。
【感想】
この本に書いてあることにはほぼ全て同意できた。32個の現象についてであるが、これは全て現実的だと感じる。むしろ既に起きていることもある。特に自分が関心を持ったのが、19番目の「Y世代に関する現象」と、3つのシフトの1つ目「連続的に高度な能力を獲得する必要がある」という2点だ。それぞれについて自分が思ったことを述べる。
19番目の「Y世代の影響力が拡大する。仕事に面白さを求める志向が組織の在り方、仕事の環境を変える。」という現象。Y世代とは1980年から1995年に生まれた層で私(1986年生まれ)の世代だ。この現象、まさに私自身が起こしていることだ。新卒で大企業に入って、色々いい経験をさせてもらったのだが、もっと自由に(時間の自由と仕事の選択の自由)があれば非常に楽しい生き方ができると思い、直ぐに退職し、現在の中国のネットベンチャーにいる。私のように自分でもっと自分に適切な場所を見つけることができれば多くの人が転職するだろう。
大企業の現在の採用の戦略を見ていると、高い給料だとか社員の多様性などを押し出している所が多いが、今後のトレンドに沿うならY世代の真理をしっかり掴むべきだ。要するに、働き方の自由を与えるのだ。業務量を減らすと共に給料を減らし、9時17時くらいの勤務や在宅ワークも認めたり、会社以外に自分を見つめなおす時間や自己表現の時間を与えてやるのだ。会社でそうしたことを実現しろ、というのは現実問題、無理な話だ。現在、優秀な人材(国立大、早慶の学生)を引き付けている企業は大体が、激務+高給料の投資銀行、コンサル、広告、テレビ、商社などであるが、フレキシブル+低給料(または、そこそこの給料)がこうした学生を今後奪うのではないか。
次に3つのシフトの1つ目、専門技能を連続的にということだが、これは中々厳しい現実になりそうだ。本書では高度な専門技能を修得するためには1万時間以上の訓練が必要とされる、と記述がある。1万時間とは1日3時間やっても9年以上かかる。毎日仕事で技能を磨けるとして1日9時間投資できるなら3年ちょっとか。インターネット・マーケティングプランナーであれば様々な媒体の特性を理解し、またそれぞれの利用方法、それぞれの人脈を築き上げ、顧客に効果的なネットマーケティングを提供できる能力などがそれにあたるか。
それだけの時間が必要な能力として自分は持っていない。一刻も早く獲得すべく現在開発中だ。とはいっても、自分は広く浅く(いや広くそこそこ深く、だと思っている)経験をしてきたタイプなので専門技能を提供してずっと生きていこうとは考えていない。(ただし経済的に必要性が出てくれば別の話。)現状では、世の中を広く見渡し、これまでの経験から世界中から広く協力者を募いプロジェクトなり事業を起こしたいと考えている。これに全力で挑戦する。そうすれば海外での事業立ち上げや運営など高度な技能となるはず。
余談だが、以下の通り、出生した年により世代が分類されている。同じ時期に生まれた人は物事に関する姿勢や将来に対して抱く期待が似ているらしい。たいてい同じような育て方をされ、似たような経験をして育つ。そうした共通の経験は、その人が仕事の場で決定権や予算を手にした時にどう振る舞うかに影響する。また、10代の時の経験はその人の道徳的、政治的な志向を大きく左右する。
考えてみれば、同じ世代の人とは同じ言語で同じトーンで話せて話が合う。私の世代は漫画のドラゴンボール、サザエさん、ちびまる子ちゃん、などを見て育った。お笑いではダウンタウン、さまぁ~ず、爆笑問題など。スポーツではプロ野球、Jリーグ。善悪の価値観など漫画やテレビからかなり影響を受けているだろう。組織ではどういう人間が良いのか、人としてこれはやってはいけない、など無意識な判断基準になっていることがあるはずだ。
伝統主義者世代1928〜1945年
ベビーブーム世代1945〜1964年
X世代1965〜1979年
Y世代1980〜1995年
Z世代1995年以降


最近、日本でもかなり浸透してきたのではないだろうか。自分は2006年、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」を読んで以来この概念に魅了された。(この本にはクラウドソーシングについて直接記述はないが、ヒントが沢山ある)今回はクラウドソーシングの定義と種類について説明する。
まず定義だが、ウィキペディアの定義は以下の通り。(ちなみにご存知の、何でもかんでもウェブ上に置いておくクラウドは雲のcloudで、今言っているクラウドソーシングは群衆のcrowdである。)
「クラウドソーシング(crowdsourcing)は、不特定多数の人に業務を委託するという新しい雇用形態。群衆(crowd)と業務委託(sourcing)を組み合わせた造語で。従来、アウトソーシングという形で企業などが、外部に専門性の高い業務を外注するというトレンドがあったが、昨今では、インターネットの普及により社外の「不特定多数」の人にそのような業務を外注するというケースが増えている。それらを総称し、クラウドソーシングと呼ばれている。 知的生産力やコンテンツなどを、多数の人々から調達・集約し、事業成果を得ることを目的にしている。たとえば、P&G;は商品開発に、ボーイングは機体組み立てにそのような手法を取り入れている。」
大まかに言えば「世界中のどの個人とでも繋がれて、一緒にプロジェクトをしたり、協力したり、討論したり、仕事を依頼できる」ことである。クラウドソーシングの発展を意図する一番有名っぽい組織であるcrowdsourcing.orgはクラウドソーシングを以下のように5分類している。
  1. Crowd Funding。オンライン上で投資家やスポンサー、寄付者などが営利や非営利の組織、企業に金銭の拠出を行う。クラウドソーシングでは、多くの人々から新しいプロジェクトや会社設立のための資金を集めることができる。資金提供の方法は寄付やスポンサーとして見返りを求めないもの、貸付、株式の3つの形態がある。
  2. Crowd Labor。世界中、物理的な場所に関係なくオンデマンドで単純作業からスキルのいる仕事まで依頼することができる。クラウドソーシングにより、需要と供給がマッチする。
  3. Crowd Creativity。世界中のクリエイティブの才能を持った人たちにデザインやアート、メディア、コンテンツの作成を依頼できる。オリジナルの製品やコンセプト、写真や広告、フィルム、ビデオの制作、グラフィックデザイン、アパレル、消費財、ブランドコンセプトなどクリエイティブなもの全て。
  4. Distributed Knowledge。世界各地の様々な人からの情報源や知的資産の開発。クラウドソーシングにより知識や情報をオープンなQ&A;やユーザー投稿型知識共有システム、ニュース、ジャーナリズムや将来予測などを通じて開発、統合、共有する。
  5. Open Innovation。組織や企業内だけでなく世界中の個人の持つアイデアを活用して新しいイノベーションを起こす。研究開発などに使われる。
以下の画像はcrowdsourcing.orgによるクラウドソーシングの分類とそれに当てはまる具体的ウェブサービス。2011年のもので8つの分類になっているが、現在は5つなので上記解説は5つにした。
crowdsourcing.orgによるクラウドソーシングの分類
今後これらの分類を参考にしながら、具体的にアメリカ、オーストラリア、中国、日本のCOOLなクラウドソーシングのサービスを紹介する。また、自分が興味があるクラウドソーシングの側面・理想を説明したいと思う。

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