記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2012年12月

中国ではほぼ24時間営業に近い個人経営のレストランがいっぱいある。深夜3時、4時でも空いているところも結構ある。多分土地代が安いとか自分の人件費をゼロと考えて営業しているのだろう。深夜も営業している店があると何故か安心する。深夜でも一部の店には人が沢山集まっていることもある。いろいろな人がこんな時間も活動していると思うと何か活気を感じる。費用対効果を考え合理的な経営が浸透している先進国では見られないものだ。こういうところも中国っぽくて好きなところだ。

中国は反日を否定できない歴史がある。中国共産党の歴史的一番の業績は「日本という軍国主義勢力を倒し、国民党の蒋介石政権も倒して人民を解放したこと」だ。それ故、共産党の我々が中国をずっと統治していく、永遠に統治していく正当性がある、道義的な理由がある、と主張する。それに加えて、中国のここ最近200年くらいの歴史で良かったことと言えば抗日戦争での勝利くらいしかないので(最近の中国の歴史はアヘン戦争など列強の侵略、日清戦争敗戦、文化大革命、大躍進運動など失敗の連続なのだ。)、抗日戦争勝利で悪の侵略国日本を倒したというのを凄く誇りに思っている。それ故、反日が理由なら普段許されないデモや集会も許されてしまう。だから、反日感情が高まっても、共産党や武装警察は赤裸々に止められない。弾圧すれば建国の論理が矛盾し、民衆は政府を攻撃する。なので政府は人民が反日的な行為を犯すことにあからさまに反対できない 反日無罪「反日」は怖いけど、それでも抑えられないというジレンマのなかで、中国共産党はもがいている。このように歴史的に、建国の論理的に中国全土で反日は国への忠誠を表す存在になっている。
しかし中国の人民も時にはこの理屈を忘れてしまい共産党の支配理由を疑う。そこで共産党は定期的に歴史的業績をリマインドする必要がある。共産党は見事に軍国主義の日本を打倒したということを常に想起させる必要がある。また、中国は国内に沢山問題を抱えているため、団結を保つには外に敵を作る必要がある。日本が一番自然で適当なのだ。中国の小学生、中学生、高校生が学ぶ教科書の多くの部分に日本の侵略についての記述があったり、毎日のようにテレビで抗日戦争の映画をやっていたり、南京大虐殺紀念館には至るところに被害者30万人と書いてあったりするのは、このリマインドのためだ。
それでは、中国政治において「反日」はどのような意味を持っているか。政治闘争が激化すると、政治家は「反日」をカードに使う。派閥間で対立した時に、自分はどれくらい反日かを示すのだ。「我が国を侵略した日本に、優遇した政策を取っている!」と非難したり、「私たちはこんなに反日運動をしています!」とアピールすると競争に有利に働くのである。実際、1987年の民主化を進めていた胡耀邦総書記に対して不満を持つ勢力が、胡耀邦が日本と良好な関係を築こうとしていたのを弱点と見極め、攻撃。失脚へ導いた(これだけが理由ではないが)。彼らの目的は反日ではなく、民主化を遅らせることであったがそのために日本が使われたのだ。「反日!」は誰も異議は唱えられない。小学校から繰り返し叩きこまれている。政治家にとってこれらを否定するのは難しい。逆に非難のカードとして使われることが多い。もし尖閣問題などの反日に繋がる事件に穏便に対処しようとするなら非難され失脚の可能性もある。このように「反日」は中国全土で善とされ、中国政治では重要なカードになっている。

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