記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2013年01月

自分は今オンラインゲーム業界にいるが、ゲームバブルに乗ったという側面は全くない。むしろアイテム課金とか実態の無いものでぼろ儲けしている事業はどうしたものか、と思っていたほうだ。自分の考えは一貫している。インターネットを使い面白いことをしたいということ。
学生時代はオンライン語学事業に興味があった。レアジョブなどのフィリピン英会話だ。インターネットという物理的な場所を気にせず低コストで外国の人とコミュニケーションがができ、途上国に雇用を生むとともに日本人は破格の値段で英語レッスンを受けることができる。この事業がうまくいけば、世界中でサービスの売買のプラットフォームができる、と考え興奮した。
しかし、最初に就職したのは大手EC企業だった。最初にベンチャーではなく、大手で事業のやり方など学びたかったからだ。この大企業でインターネットビジネスに関わる中で気づいたことがある。それは、面白い事業と、便利な事業は違うということ。またビジネスモデルが面白いことも違う。ECやSNS、動画サイトなどは非常に便利だが、ユーザーがわくわくするような主観的面白さはない。また、レアジョブなどのCtoCのクラウドソーシング的な事業も国際性がありビジネスモデルとして面白いが、実際のユーザーが受けるサービスはあまりおもしろくない。ただスカイプでレッスンしているだけだ。
人々が使っていて主観的に楽しく面白いものを作りたい。そしてインターネットという世界を繋ぐツールを使えば、便利なだけでなく、世界中の人とインタラクションのある面白いサービスができると思った。主観的な面白さとはエンターテイメント業界だと考えた。そして行き着いた先がオンラインゲーム業界だったという訳だ。まずはここでユーザーがワクワクし楽しいと感じるサービス(ゲーム)に関わっていきたい。

長所は短所と表裏一体である。というが、それは日本の特徴を語る上でも当てはまる。他と違う特徴を持つことは武器にもなれば、負の効果をもたらすこともある。外国で生活していると日本の異様さがよく分かる。悪い意味ではなく、他とは違うということ。島国でガラバゴス化しているということ。その特徴は日本に正負の影響を与えている。
人間は社会で生きていく中で3つの視点を持っている。自分から見た視点、相手から見た視点、上から全体を見渡す視点。日本人は極度に相手から見た視点を重視する。ちなみに中国は極度に自分からの視点を重視する。(というか自分からの視点しかない。これについては改めて書く)相手から見た視点を重視するとは、相手の気持ちを第一に考えて物事を考えるということである。
ではなぜ日本人は相手から見た視点をそこまで重視するのか。相手にいつも喜んでもらうことを考えるサービス精神満点の民族なのか。そうではない。それはルールを破った人間に対して容赦ない、という空気から生まれる。「日本人は礼儀正しく、社会のルールを守る民族である」と世界では認識されているが、日本人がこうしているのは、ルールを守らないと村八分にされて何をされるか分からないから、おとなしくしている。というのが本音のような気がする。ルールを破れば直ちに社会からはじき出されてしまうという圧力のおかげで日本人は世界でも稀にみる相手を思いやれて規律正しい民族になっている。(長所)しかしその圧力が日本社会になんともいえない圧迫感を作り出している。(短所)
長所としては、サービス精神が溢れた素晴らしい商品が生み出させること、親切で自制心の強い人が多いということが挙げられる。私は世界10カ国ほど訪れたことがあるが、日本ほど気の利いたサービスを見たことがない。加藤嘉一さんも言っていたが、深夜3時にあれだけおいしい牛丼を安全に清潔な環境で、しかも安く食べられる国はない。さらに東日本大地震での日本人の自律ある行動は世界中から賛美を浴びた。(アメリカのハリケーンカトリーナの時には強姦や強盗が多発した。)これは誇るべき日本の美点だ。
諸刃の剣の反対側には、社会全体に息苦しさがある。目に見えないタブーを山のように抱えている日本の社会。過度に相手の考えを尊重し過ぎストレスが溜まったり、企業経営では事業そのものとは関係のないことで無駄な労力が使われ国際競争力がなくなっている。またストレスが溜まっていてもそれを吐き出すと批判をあびるため内に溜め込みすぎ病んだり暴走に繋がる。
この事実を理解した上で、では日本はどうすればいいのだろうか。日本はというか、個人はどうするべきだろうか。一番いいのは、自分だけ周りに気を使わず自分の視点を重要視して生きていく。これは周りに多少迷惑を掛けても精神的に平気でいられる力と、周りに迷惑を掛けても周りから致命的な制裁を受けない立場やキャラクターが必要とされる。これができれば、息苦しい思いをせずに、世界最高峰のサービスを受けながら生きていける。ただし、すべての人がこうなると日本の特徴が消え長所がなくなるので、一部の人に限らせてもらいたい。日本がこの強みを維持するには、大部分の人に息苦しさを感じながら生きてもらうしかない。これが解消されてしまえば、日本は世界で稀に見るサービス精神と自律力を失い、新たな特徴を見出さなくてはいけない。しかし世界で特異とされる特徴を作るのは一長一短では不可能であり、日本はこの特徴を大切にするべきだ。


中国など途上国や新興国の優秀な若者(アイビーリーグなど、本当に優秀な学生。金だけ積んで行く留学とは違う。)は欧米の大学や大学院で学び、だいたいが欧米で就職する。こうした優秀な若者が学んだことを国に持ち帰り中国の発展に貢献する、と言われている。しかし、これは違う気がする。彼らが国に帰るか欧米に移住するかの基準は「国」ではなく「個人の満足の最大化」である。現実的には、「国のため」という動機は一番ではない。安全で安定した生活ができるか、楽しいかということが最重要である。安全で安定という面から言えば、母国の新興国よりも、先進国の方がインフラや環境、食料の面、また仕事や給料の面でも良いだろう。しかし、「楽しい」という面を忘れてはいけない。
現在中国で暮らしているとよく分かる。中国人は性格、習慣の面で特殊だ。欧米に移住できるような人でもそうしない理由がある。彼らの友達の多くは中国にいるし、食べ物の選択の幅や、遊びの場所は中国でなくては満足できない。特に、遊び場所というと中国のKTVがある。日本のキャバクラみたいなものだが、友達と女の子と一緒に酒を飲み歌いながら騒ぐというのは中国で定番だ。これは欧米ではできないし、できても物足りない。
さらに、「楽しい」にもう一つ理由がある。「社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう! 」にも書いてあったが、欧米には、これぞ欧米という人たちがいる。例えばアメリカでは、アングロサクソン系でイケイケの白人アメリカ人というイメージがあり、中国系や日系のアメリカ人はマイノリティーである。アメリカで生活する上でそれを感じずにはいられないだろう。ど真ん中のアメリカ人に何か気を遣ってしまったり肩身の狭さがあるはずだ。自分の故郷であれば、こういったことを気にせずのびのび生きていける。
欧米に移住することもできる中国人が将来定住する場所を考える上で、上述の通り中国ならではの人脈、食べ物、遊びなどのハード面に加えて、自分の国であるという精神的なソフト面も、生活の「楽しい」を考える上で欠かせない。これは多くの中国人が欧米で学び働いた後も中国に戻る事実を説明できる。さらに、彼らが国に戻っても国のために働かない、ということも示唆している。

過去を振り返りたい。過去と言っても今年ではなく、人類の歴史である。歴史を振り返り、現在の日本の未来について考えたい。物事を見るには時間軸が重要だ。時間軸が変われば評価や意思決定が変わる。例えば、お金の使い方。明日死ぬと分かっていればその日に全て消費して遊びまくるという選択肢もありになる。しかしいつ死ぬか分からない、できるだけ長くいきたいのであれば将来を見据えて貯金しながら計画を立ててお金を管理する必要がある。世界の多くの人が共通に持っている価値観、個人の価値観なども時間軸で変わる。
私たちは「流れ」の中で生きており、価値観もそれに沿って形成されている。今日はこの流れを人類の歴史とともに振り返ってみる。普通の日本人は、生まれて親に育てられ、学校で教育を受け、会社で働き、子供を作り、引退し、ゆっくりしてから死を迎える。多くの人はこのような一生を歩むわけだが、なぜそのようになっているのか、なぜ現在、自分の周り、ひとつの国の中で、また世界で共有の価値観があるのか。
私が言う流れの概念についてであるが、私たちは生まれ教育を受け社会に出て働くという決められた道筋というのは、人間が互いに平和に、より快適に生きていけることを追い求めた結果、このような流れに沿うことが最適になっているということ、である。では人類の歴史を見てみよう。
猿人、原人の歴史は数百万年、新人の歴史が3,4万年、そして文明が生まれて約7千年。文明の歴史は人類の歴史の中でほんのわずか。文明の誕生は農耕の始まりと切り離して考えられない。遡ること約7千年、それまで人間は狩猟採集により生活を営んできた。それぞれ自分の住む場所で手に入る動植物を生きる糧にしてきた。人間の暮らしは生態系と一致していたのだ。まさに自然のサイクルに合わせて生活していたのである。
農業が導入されて文明が始まる。今までの狩猟採集に頼っていた不安定な生活から、定住しながら一定の食料を得ることが可能になったのである。自ら生産する力を得たのだ。これにより社会を計画的に運営できるようになった。農業に少数の人々が従事すれば、より安定した生活を送るため、他の人々は余暇に服や家、 陶器などを作るようになった。
この安定を得るために人々は集団で生活するようになり、社会が形成される。各地で作られるこのような集団(ポリス)は農作地を廻って対立することになる。ここで政治が生まれる。農耕という生産力を得て、安定した生活を求めた人間は集団行動をする必要が生まれ、みんなが納得する意思決定を行うために政治が必要になった。農作地を廻り他の集団と対立する必要があり、その中で集団としてまとまる必要があったからである。この意思決定の正統性については以前のエントリーを参照していただきたい。
また、政治が機能し、農耕が少人数で行えるようになると、手の空いた農耕者以外の人間がさらなる生活の安定を求めて衣服、陶器、家などを作りだし、そこから新しい職業が生まれる。これらの農耕以外の職業の誕生により、医療の発達、住居や衣服などの性能の向上により、感染や環境により死ぬことも減り、人間は次第に繁栄していく。生活が安定してくるとさらなる安定や、安定から一歩進んで娯楽を求めて新たな発明が次々と生まれてくる。集団内では人同士が利害や憎悪から争わないように政治により法律が作られ、それらを規制しだす。当初は抜け目だらけで、改良に改良を重ね現在のような複雑な法体系ができたのである。これに関しては現在も発展中である。
ここから話は飛躍するが、このような過程が進み、世界の多くのそれぞれの地域で、比較的大きな纏まりである国というものが誕生していく。国同士は、それぞれ自分の集団の利益を最大化すべく行動する。また、中には自分の集団が世界を制覇するような目標を持ち、次々と領土を広げていくような帝国主義も現れる。
帝国主義的な国があると、他のそうでない国も自国を守るため戦わなければいけない。こうして戦争により集団が合併、吸収されてまとまっていく。2つの世界大戦もこれらの延長上である。こうした流れが現在も続いているのである。そして現在は150カ国か何だか知らないが、それくらいに国がまとまり、それらのいくつかの国で戦争などが未だに残っているのであろう。
こうやって長い時間軸で世の中を見ると、現在の自分の環境も、国同士の縄張り争いの延長であることが分かる。日本という閉ざされた国で当たり前と思われていることが、海外からはガラパゴスと言われているのは、敗戦後アメリカに支配されながらも世界2位の大国となる過程で培われたものであり、現在の世界政治経済ではむしろお荷物になっているのも分かる。簡単な例で言えば、日本の資本主義は政府主導で発展し、戦後の経済成長などは戦争特需によるものだが、その頃はやることが決まっていたので従順な人間を量産すればよかったのだ。今でもこの文化が残っているのは世界での競争力に遺恨を残している。日本は1990年までで見れば国同士の戦いに勝っていたがそれ以降の計画がなかった。
ただし、こうした日本の特徴を過去の遺産とするのはもったいない。現在のような答えのない問題に溢れている状態では活かすのが難しいが、一旦目的を設定できれば強みを発揮する。悪く言えば、「自分がない日本」、よく言えば「臨機応変な日本」。日本という国は異様な国で、アメリカを鬼畜米兵と言っていたと思えば、敗戦後のマッカーサー最高的な状況は何なのか。これは諸刃の剣である。
日本の未来をどうするか、ということについて私の意見を言えば、超優秀な集団を集め、30〜40年の時間軸で世界経済で成長する国の戦略を作らせて、それを徹底的に実行することだ。日本が世界で飛び抜けている才能は、一致団結した自分のない国民なのだ。30〜40年という短いスパンで国を動かせる国は少ない。この分野が日本の強みである。他の国は過去やってきた国策から180度転換などできない。いくら外部環境が変わっていても国民を変えられないのだ。しかし日本は問題ない。
大雑把に世の中の流れを掴み、日本の将来について述べた。このように大きな視点で物事を見ると、小さなことにこだわる必要がなくなる。昔は私も周りの人の言うことや人間関係でストレスを感じることがあったが、留学したり知識が増える中で、全く気にしなくなった。そもそも多くの人が現実を見すぎて息苦しくなっているのではないか。私はこのような本質に迫った考え方をすれば、もっと楽に現状を直視できると思うし、無駄な萎縮や見下しなどなくなると思う。多くのひとがこのような目線で世界をみることで、もっと快適な世界になるだろう。


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