記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2013年09月

これは、ちきりんさんのブログで紹介されていた言葉だが、非常によい言葉だ。多くの人間がこのように考えて生きていけば素晴らしい世界になる。(ちなみにこのエントリーは最終的に自分が何を目的にするかを述べるためのもの)

すべての子供を救うとは、ようするに世界中の人間が人に迷惑をかけたり、憎くみあったり、事故が起きたり、競争し続けないと生きていけないなどの社会の問題を減らすことと私は理解した。このような社会に自分の子供(や愛する家族や友人)を生きさせたくない。というのがこの言葉の裏にあることだろう。たしかにニュースで犯罪や事故を知ると、自分のことはさておき、自分の大切な人がもし巻き込まれたらと恐れることはよくある。こうした問題を解決できないものか。

人が犯罪や事故で他人に迷惑を掛けるのは何故か。本来、犯罪心理学とかの分野だと思うが、ここは私がゼロベースで考えてみたい。人が他人に迷惑かけるのは2つしかない。一つは、ストレスでいらついて他人に当たる。そしてもう一つはストレスでの不注意による過ち。いずれもストレスにより発生する。後はそれが故意か不注意かということ。

このストレスは何から来るのか。根本は社会の仕組みに起因する。人間は資源が限られた世界に生きている。経世済民で生きる必要がある。要するに限られた資源の中で、資源を利用して繁栄を目指すのだ。現在の社会は競争社会だ。社会の中で活躍できる能力がないと生きていけない(この能力は時代により変わる)。能力がないと社会の底辺と言われ、生きるか死ぬかの生きる意義をも疑う生活を強いられることになる。常に競争力をもっていないと生きていけないのは息苦しい。こうして多くの人が過失事故、罪を犯す。そして不安定な社会となる。

それでは今後、この社会をより良く(世界の子供を救う)するにはどうすればいいのか。そこでの解決策は2つしかない。

(1)ストレスのない社会にする
競争社会をなくせばいいのだ。例えば今議論されているベーシックインカムが導入されたらみんな必死に自分を磨く必要がなくなりリラックスした安定な精神を手に入れ平和になるかも。(刑罰による犯罪の抑止効果が減少するという意見もあるが。)

(2)誰でも楽しいことできる(ストレスを吐き出す)インフラを整える
金持ちは自分で色々なエンターテイメントを楽しむだろうが、生活がぎりぎりの人が享受できるエンターテイメントは少ない。日々のプレッシャーのある生活から溜まったストレスをどこに吐き出せばいいのか。むしろ犯罪とか事故を起す人間の多くはこのぎりぎりの人達だろう。


(1)に関しては、日本や世界の仕組みに関わることなので、中々ラジカルな変革は難しい。また、私が貢献できる方法も現状見当たらない。となると(2)が私の大義になる。私は、お金がなくとも多くの人達が楽しめるエンターテインメントを創りたい。日々のストレスなどの問題を忘れてしまうようなもの。そもそものストレスの原因を解決してくれるもの。生きがいになるようなもの。かなり抽象的だ。もう少し具体的なことはまた改めて共有したい。とはいいつつも、まだ具体的なサービスに辿り着くまでは時間がかかるだろうなあ。

まあタイトルに関連付けて結論を述べると、よりより社会のために面白いサービスを創りたいということ。ただしこれは自分が面白いと思わないとダメ。他の人のためを考えて創ったサービスは面白く無いだろうし、そもそも自分はそんなことしたくない。

本を読んでいていい概念があったので共有。スパンドレルという。もともと建築の用語で、門の入口とかにアーチをつけて強度を保つために付けられる部分のこと。この部分に本来の用途に関係ない装飾が沢山されたらしい。最初にできたときは構造的な意味があったが、いったんできあがるとそれを前提にしていろいろな飾りができる。そういうこと。

宗教もそうだ。つまり宗教は最初にできたときはお互いに殺し合わないための感情を共有するという合理的な動機があったが、そういう本能を人間が持つと、何事も信じやすくなる。だから宗教的行事なんて他の社会から見るとまったく意味のない実用性のないことだが凄いエネルギーを投入する。平和になると宗教芸術や宗教儀礼をもっと壮厳にしていく形に進化した。

ナショナリズムも同じ。最初にそれが広がったのは19世紀の国民戦争時。ハードな国際政治の中でナショナリズムを持っていないと侵略されて植民地にされてしまうので、必要に駆られてナショナリズムを作る。しかし、今の時代、戦争で潰されて国が奪われることはない。それではこのナショナリズムはどうするかというと、今はオリンピックやワールドカップに使われて様式美を作っている。

それで私が何がいいたいかというと、人間社会も成熟し、宗教とか国境に頼らなくても社会契約がみんなに理解されたこのポスト構造主義社会であれば、どんどん国を超えて世界のあり方について議論して世界を一つの共同体としてより良くしていこう。ということ。昔から言われ続けているけどそろそろやろうじゃないか。

ゲーミフィケーションという言葉は久しく注目を浴びている。ソーシャルゲームなど人々が夢中になってしまうゲームなどは、人の欲望を理解して、うまく課金させる仕組みを作っている。ゲーミフィケーションはこのように人間の欲望を理解し、人間のモチベーションをコントロールし、何か(ゲームの場合は課金)をさせるよう仕向けることができる。これを社会問題の解決に役立てよう、みたいな話だ。

私はこの考え方を野暮だと思う。せっかく欲望分析して、何か創るなら、社会問題の解決ではなく、とことんその欲望を満たす超面白いサービスを創ればいいじゃないか。

人間はワインと同じで気候の産物である。

ヘンリー・キッシンジャーという国際政治学者の言葉だ。人はその土地と風土の創造物だ。誰もが自分の生まれ育った土地や先祖への愛情を抱いている。だからあらゆる人達と付き合うには世界中の歴史と地理を学び、相手の背景をしる努力をすべきだ。ということだ。

5000年の人間の歴史を学ぶ必要がある。歴史は文字による記録をベースにするため、メソポタミア文明の文字が誕生した5000年前を歴史の起源と考える。これらを、どう学ぶか。沢山の人と会い、沢山の本を読み、沢山旅をする。

と、いうのはオンライン保険のネットライフの出口社長のご意見である。私は彼の意見に同意するが、彼の主張の理由が記されてなかったので、私が独自に説明したい。

人間社会を理解するためには、人間の歴史を学ぶ必要がある。人間の歴史とは、今まで地球上に生まれ死んでいった無数の全ての人間が考えた概念、実際にとった行動のことだ。全ての行動はその人間の考えた概念により引き起こされるので、人々がどう考えたか、どういう概念を持っていたかを理解することが人間社会を理解すべきだ。歴史を学ぶとはそういうことだ。

人の思考能力、想像能力は限られている。パソコンでいうCPU、情報の処理能力。人間はある事柄の未来がどうなるか、こうなったらどうなるか、など思考するとき、言語化したり、文字に書きながらでないと思考を進めることができない。適切な言葉を使いながら思考を進めなくてはいけない。

これらの思考を進める上で最重要なのは、言葉だ。人間は知っている概念(言葉)でしか思考できない。知らない言葉は頭の中に浮かび上がってこない。もし浮かんでも儚いもので消えてしまう。

物事を考えるときに、いろいろな概念で分析したり将来を予測したりするには、言葉を沢山知っている必要がある。多様な概念を知っていなくてはいけない。言葉に限らず、考え方もそうだ。資本主義の考え方、共産主義、平等主義、などなど、また、例えば自分の住んでいる街をどのように捉えるか、などなど人によって考え方は無数にある。これらをなるべく知ることが思考の土台となる。

最善の方法は本を読むことだ。人の考えや彼らが作った概念などが一番明確に表現されている。口頭で話していることは声の調子やボディーランゲージなどノンバーバルな雑音が入り正しい概念の理解を阻害する。また、主語や述語など曖昧になりがちな口頭表現に対し、本は厳格だ。著者が曖昧な表現や文法を使うことは本では許されない。

次に重要な方法は人に会って口頭で話をすることだ。これは上述の通り確かに表現されている概念に雑音はかかるが、一部の概念は未だ文章にするほど明確になっていないことがある。そのような概念はノンバーバルな表現方法なども含めて一部はあいまいさを残してでも価値ある概念となる。さらに多くの人はいちいち自分の考えた概念を文章化しない。多くの人と接して様々な概念を吸収するには、人と会ってそれらを吸収する必要がある。

最後に旅をすることとは、要するにもっと多くの人と会う、もっと違った環境で違う概念を持ってそうな人と会う、もっと違う環境で創られたアウトプット(街並みや風景)を知るということだ。

このようにして様々な概念をしることを教養というのだろう。教養というあいまいな言葉の定義で誰かが「教養とは他の見方が存在し得ること」だと定義した。今、私が説明したことも同じことだ。世界には無数のオリジナルの概念が存在すること、その事実を理解し、少しでも多く吸収し、自分も概念を創りだす、これが教養というものだ。

本を読んでいたら面白い概念を見つけた。

人類の15%は殺されていた。人類の祖先がアフリカで最初に生まれて200万年、今のホモ・サピエンスが10万前、農耕社会になったのは1万年以内。遺伝子的に見ても人類の歴史の99%は狩猟採集社会であった。その頃は石をもって一撃で人を殺して、強奪するのが合理的だった。考古学的にも人間の頭蓋骨にダメージを受けた遺骨の数などから判断して人類の15%が殺されていたとしている。

我々の遺伝子はそれに最適化している。そういう社会では基本、殺されるわけなので、何よりも殺されないように行動することが生存の絶対条件。特に1万年前までは氷河期だったので食がすくなく、奪い合い殺し合いが続いたの見られる。

そこで重要なのは、同じ集団内では殺し合わないこと、他方、他の集団との戦いでは相手を殺す。集団内では利他的だが、集団同士では排他的という行動が支配的になる。人間にとっての最大のリスクは殺されること。まず、身内では殺しあってはいけないという感情を埋め込む。遺伝子を共有する家族などは感情を共有する。愛情。

それでは、遺伝子を共有しないものどうするのか。答えは、祖先信仰や自然信仰のようなもので人々を結びつけて互いに殺し合わないようにする。同じ神を恐れたり、同じ神に服従し、苦楽を共にすれば親近感を抱き殺すのは躊躇うだろう。だからあまり実用的でないのに宗教はどの地域にも見られる。

今の自分の仕事は日本のモバイルゲームを中国で配信・運営して収益を上げることだ。よく人から、ゲームにはもともと興味があったのか、と聞かれる。これに対する答えを説明しておこう。多くの人は、ゲーム=ドラクエやファイナルファンタジー、ストリートファイター、WoW、StarCraftなどのコンソールやPCゲームなどある程度歴史があり、大作と認知しているようだ。私はこれらのゲームに対してあまり興味が無い。

私がモバイルゲームに関わっているのは、モバイルゲームの以下の特徴があるからだ。
(1)オンラインで体験するもの
(2)モバイル
(3)エンターテイメント
(4)B2C

そして何故中国かというと
(5)海外でインターネットサービスで成功したい
(6)今後世界一になる巨大市場
(7)個人的に好き

それではそれぞれ説明しよう。

(1)オンラインで体験するもの
オンラインで体験するサービスは、2つの大きな面白さを秘めている。一つは、物理的な場所を超えて世界中のユーザーが一つの世界で同時にインタラクションをすることができること。もう一つはビジネス側から見れば世界中で一気にスケールできること。

(2)モバイルであること
モバイルであることは(1)を加速させる。モバイルであれば四六時中ユーザーはオンラインでいることができる。それ故、世界中の多くの人が同時に繋がることができる。

(3)エンターテイメントである
私は仕事(人生の大半を占めるもの)として関わるものはエンターテイメントな商品やサービスに関わりたいと思っている。何故なら人の人生は主観である。他の誰がどう言おうとその人が楽しければ良いのである。毎日、仕事や個人的な悩みなどで疲れている生活では生きている意味がない。毎日が楽しくなるようなエンターテイメントを多くの人に体験してもらいたい。

(4)B2C
これは上述の(3)の理由と近いが、人に楽しい経験を提供するには、B2Cのほうが適している。B2Bは法人向けなのだから、法人は感情もないだろう。

ここまでは、何故モバイルゲームか、という理由だが。ここまで見てもらうと、これが普通の人が思い浮かべるゲーム、部屋に閉じこもって一人で遊ぶ不健康なもの、とは違うということが分かる。この定義で言えば、ユーザーが楽しめるインターネット上で提供されているサービスの多くが当てはまる。オンライン語学サービス、EC、ネットサーフィン、オンライン証券、ブログ、などなど全てそうだ。

ここからは中国の理由。

(5)海外でインターネットサービスで成功したい
インターネットは、世界にスケールできるので、まずどこかの海外で成功することは大事な第一歩である。

(6)今後世界一になる巨大市場
13億の人口を抱える巨大市場、成長著しい。ビッグリターンも狙える。

(7)個人的に好き

中国は食べ物美味しい、人が面白い、日本と文化が大きく違う、と魅力が多くある。世界史や異文化が好きな私にとって適している。アメリカ、オーストラリアに留学中に、現地人と交わろうとせず自分たちのコミュニティを作ってしまう彼らの国民性には常に関心を抱いてきた。

こういう理由で現在の仕事をしている。今の仕事は上記の7つの理由を満たしているが、私は満足できない。現在のモバイルゲームでは、3のエンターテインメント性がまだまだ私の納得できるものではない。それでは何故今のモバイルゲーム(パズドラとか)のエンターテインメント性に私が満足しないのか、またの機会に書こう。

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