記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2014年12月

2014年は飛躍の年であった。ベタであるが。あまり適当に成長という言葉を使いたくないが、あらゆる方面で成長できた年であったと自負している。私のいう成長の定義は、人間社会に貢献できるための力の程度である。それぞれの分野を振り返り反省し来年の目標を考えていこう。来年の目標は来年になって明確にするので、仮、ということで。知識的なエピステーメーと言語化できないスキルであるテクネーなどに分けて見てみよう。

ちなみに今年の1月に立ててた目標はこちら。完全に忘れてたw

(1)エピステーメー
■読書
今年も数えてないのだが、ちょい読みを含めたら200冊くらいは読んだと思う。かなり本を読むスピードと理解力あ増した。今年の目標は小室直樹氏の本とか岩波文庫など内容の濃い本24冊以上読むことだったのでこれは達成できた。このプログでも読書の感想を書いている通り着実にエピステーメーは増えつつある。ただ、マルクスとマックス・ウェーバーを精読することをすっかり忘れていた。来年は実現出来る程度に古典を読もう。あと、仏教を学んでいきたい。ウパニシャッド哲学、中観、ナーガルジュナとか。あと論理学も。

■法律
先日半年間に渡って受講していたTACの通信講座を終えた。これにより法律に対する理解がグンと上がった。金銭的にも結構投資したし、やることが明確なこういう授業は知識増やすためには最高のツールだ。来年も何かの分野で受講してみるか。目下、取り入れる必要性を感じる分野は物理、生物、プログラミング。

(2)テクネー
■外国語(中国語)
当初の目標はHSK最上級を満点合格であったが、すっかり忘れていた。ただ、社内でほぼ中国語しか使わなくなったし、現地で中国語のみの友達も増えてきたので運用能力はかなり向上した。あとは、中国語の練習というよりは自分の思想及びその意見を明確にするという方が重要になりそうだ。言いたいことがはっきりしていれば言語は簡単。プログラミングも作るものが決まっていれば楽に学べるのと同じ。来年もいちおう何か明確な目標を作りたい。それとアジアという視点で見て韓国語を学んだり、もしくはグローバルにアラビア語とかスペイン語を学ぶことも考慮したい。

■中国理解
中国の歴史やチベット、ウイグル問題とか勉強しようと思っていたができなかった。来年に持ち越し。

■仕事
財務、広報、企画の提案、中国側の実オペレーション、事業戦略などなど会社のあらゆることに関わりさらに自分の考えを反映できた。現場レベルの実作業に各分野で関われたので会社の経営についてクリアに分かってきた。これは例えばMBAの知識のような机上の空論になりがちなエピステーメーではなく、実際にどういうふうに展開するか細部まで想像し実行できるテクネーであるので貴重。来年は、仕事に全力集中というのも一つの選択肢。

■プライベート
(3)身体
5月くらいからジムに行きだし週二で安定している。テニスの機会は減ったが、とりあえず週二運動をキープしよう。運動に関してはよく考えると中学生から週二回以上の運動は欠かさずにやっている。だから完全に習慣になっているようだ。こういういい習慣というか癖を他の分野でも作っていきたい。

(4)中間共同体
所謂社外活動というかプライベートでは、昨年同様に定期的な社会との繋がりといえば読書会とテニスサークルであった。これくらいが適度だと思う。最近、座禅ができる中国伝統文化を学べる場を友人に紹介してもらったので、来年はこちらにもちょくちょく関わっていこう。また、仏教を学べる環境も整えていきたい。

(5)アウトプット
ブログを中心に自分の思考や意見をまとめてきた。ほぼ毎日のように書いているのでこの作業にはなれてきたいし、自分が何を考えているのかどんどんクリアになっていく。三万字程度の短編だが、もう仕上がる予定である。特に目標なく取り組んできたが、来年はどうしようか。正直な話、小説なりマンガなり映画なりで自分の思想を社会に広めることは恐らく自分の人生の今後の軸になるだろう。一番コアな部分なので真剣に考えていきたい。

(6)思想
アウトプットで自分の世界観を短編にまとめたことにより自分の思想がかなり明確になった。これは理想ではなく、ほぼ自分が信じきっている考え方なのでこれを尺度にあらゆることを考えていけばもう迷うことはない。もちろんこの考え方も変わっていくことはあるだろうが。来年はさらに腑に落ちない部分を明確にしていきたい。

以上、だいたい今年やってきた分野について振り返った。昨今の風潮として「ワークライフバランスとか言わずに自分のやりたいことにひたすら集中しろ、それが一番の成長に繋がる」みたいなのがあるが、私は必ずしも賛成できない。たしかに一つのことに没頭することはいいことだが、そうすると短期的なことばかりに取り組んでしまい長期的にそれを発展させるために必要な知識や能力が無視されてしまうからだ。楽天の三木谷さんやライフネットの岩瀬さんも恐らく経営で忙しすぎて壮大な長期のビジョンに対して時間を割けないのではないか。しかし、そうは言っても手広くやり過ぎもよろしくない。今年はいろいろ学んだので来年はどれか一つに集中したい。

また、このような良い環境に身を置けていること、さらにこれまで自分が経験出来たことは周囲の助けによるものであることを自覚し謙虚に精進していくことを忘れてはいけない。「終わりよければ全てよし」をモットーに気楽にやっていこうと思う。

今年は古典を24冊読むことを目標にしていたが結局3冊くらいしか読んだ記憶がない。なぜ古典を読むのか?それはノルウェイの森の永沢さんが言ってるから。

永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかはるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手に取ろうとしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った

『現代文学を信用しないというわけじゃない。ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い』

『永沢さんはどんな作家が好きなんですか?』と僕は訊ねてみた。

『バルザック、ダンテ、ジョセフ・コンラッド、ディッケンズ』と彼は即座に答えた。

『あまり今日性のある作家とはいえないですね』

『だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない。(・・・)』」(村上春樹『ノルウェイの森(上)』p.66,67)

永沢さんの真意とはよくわからない。私は少なからず古典を読み、自分で物を書く作業を続けてきた結果、何故古典を読むべきか明確に分かってきた。だから今年こそは読みたい。何故古典を読むことがいいのか、そもそも古典の定義からその理由については来年説明しよう。 

ちなみにノルウェイの森の永沢さんとか、海辺のカフカの大島さんは、村上春樹が自分が他人やに対して主張したいことと自分に言い聞かせたいことを言わせているようにしか思えない。 恐らく彼の理想の知識や思想を持った人なのだろう。

ちきりんがブログで「健康寿命を延ばす本当の要因」について書いていた。要約すると、世の中にはお金と手間を惜しまず、玄米や有機野菜など「からだに良いモノ」を食べ、定期的に運動するなど、いろいろ気を使ってる人も多いが、実際に長生きしている人ってそんなの気にしないで生きている。自由に主体的に生き、必死で考えたり心からワクワクしたりしながら、いい刺激を(自分に)与え続けること、が長生きの秘訣なのではないか、ということ。

これは本当にそう思う。中国を見ていればよく分かる。中国では平均的な日本人よりはるかに不衛生で栄養価のない食生活で不健康な生活を送っている人は多い。しかし、生きるために必死にお金を稼ぎ、時には友達と遊び何かこう動物的に生き生きしている人が多い。そういう長生きしたおじいちゃんおばあちゃんをよく見る。逆に中国でも下手に学歴があったり知識が多い人だと日本人と同じように心配ばかりしている。

そもそも、この世に人間の健康を司る真理があるとしても、既存の栄養学とか生理学とかでその真理の1%も説明していないだろう。というか全く的外れかもしれない。むしろプラシーボ効果的にこれを食べれば健康になると信じこむことのほうがよっぽど身体にいい気がする。

健康のこともそうだが、貯金とかキャリアとか他人からの目とかに現代人は囚われすぎている。情報が多すぎてどれも十分に吟味できていないのだ。ならどうすればいいか。それは世の中のものは空想であり、自分の意識だけが絶対的らしいという考えのもと、あらゆるものを仮の役割として捉えながら適当に生きることだ。これはおそらく仏教思想の本質である。もちろん、仏教を学ばなくてももともとそういう考え方をしている人も多くいる。そういう人は勝手に長生きしているものだ。

丸山眞男が「民主主義をめざしての日々の努力のなかにはじめて民主主義は見出される。」と言っていたが、これは法治主義も同じである。法律の勉強をしてみて分かったが、法を立法しただけでは社会は何も変わらない。それを立法の趣旨、条文、判例などを組み合わせてあらゆる他の法曹や一般人の批判にさらされながら紛争に当てはめて解決していく。この過程の中に法治主義がある。

弁護士や検察、裁判官がただ単に法律を沢山丸暗記しているだけでは意味がないのが分かるだろう。各条文にはその裏に過去に蓄積された解釈や判例など山ほどある。法律が制定された当初はいろいろな矛盾や抜け穴があっただろうが長い歴史の中で徐々にうまく機能するようになっているのだ。それは法律の運用という言語化できない社会全体のテクネーが社会に浸透してきたのだ。弁護士や検察、裁判所を中心に社会の構成員が法律を理解し、話題にできるようになっているのだ。

日本はまだまだ一般市民に法的な考え方は浸透していないが、法律で問題を解決できる、法律を運用できる社会はある程度整っている。これを他の発展途上国でやろうとすると同じく長い歴史が必要。そして、冒頭の丸山眞男の言葉のように社会の構成員が常に法律というものがどういうものか分かり、例えば裁判所の憲法違反の判決などに対してあらゆる方向から批判されるような社会、これこそが法治主義であるのだ。ただしい判決などは存在しない。しかし、ひとつひとつの法律の条文や判決などに対して社会の構成員全体が目を光らせている状態、これが法治主義である。

ちなみに中国では法治主義が根付くのはかなり難しい。現在でもそうだが政府(行政)の裁量が強いし、法律より政策が先ずる状態が何百年も続いているので、その浸透されたエートスを今後変えていけるのか。むしろ三権分立とかしないで中国独自の政府主導を中心の新しい社会のあり方を議論したほうがい早そう。 

ちょっと前のエントリーで物理空間とはどういうものか定義した。それは簡単にいえば、「リアルで臨場感があるために、心象に影響を与えやすいインプット」ということができた。

もともと、言語もメディアも印刷技術も紙も書くものもなかった時代はほとんど物理空間が中心の社会であったはず。人とのコミュニケーションも五官の作用で認識される臨場感のあるものが中心であった。しかし、今は文字や絵のコミュニケーションであったり、人とのコミュニケーション以外でもその世界がゲームであったりインターネットだったりでどんどん臨場感がない情報空間へ移行している。

これは悪いことか?よくある指摘は、こうして情報空間中心の生き方に慣れた若者などは物理空間で適切に振る舞えなかったり、すぐに傷ついたりしてしまうということ。しかし、私からしてみればこれは一つのトレンドであり善悪のあるものではない。たしかに今のような物理空間から情報空間への過度期には物理空間もまだ重要視されるため、そこでのパフォーマンスが重要になる。そのため、情報空間に移った人間は批判されるのだろう。

たしかに自分自身にとってもやはり臨場感のある物理空間のほうが生き生きするし、情報空間への移行がもっと進んだら何か寂しい気がする。いずれにせよ、私は唯識で、物理空間も情報空間の区別も特にしていないので人間の価値観が変わっているだけの現象にしかみえない。

TAC司法試験対策である中村充講師の「4A基礎講座リバイバルパック」を受講し終わり、法律って大体どういうものかイメージができた。

法律の目的は、「問題の公平な処理を正統性を持って実施する」ことだと言える。(もちろんその背景には人権など実現する価値がある。)どういうことか。まず、「問題の公平な処理」について。法律で決められていることっていうのはだいたい一般的にその時代の人がこうあるべきだという価値観になっている。例えば、人殺したら死刑という人もいれば、更生するため禁錮刑で20年という人もいれば、証拠が100%間違いないとはいえないので刑などできない、人権のため死刑はだめなどいろんな意見があるが、それが平均的にまとまり一般的な常識れべるに落ち着いた見解みたいなのが法律になっていると言える。(もちろん恣意的にどこかの団体に利益が出るようにできた法律もあるだろうが、通るにはある程度の常識的価値でないとだめ)なので、意外と法律って難しいものではなく常識的な価値観持っていれば普通に判断していれば分かる。

次に、「正統性を持って実施する」とはどういうことか。それは、実際に法律に基いて何かをするときにいちいち反論の対応をしていては何もできないので、もう決まったものは絶対やる、という正統性をみんなに理解してもらうために存在する。世の中諸行無常で、絶対というものはないが、ある程度明確にルールがないと集団で分業できない。そのためのルールの正統性を持たすのが法律であり、それをみんなが納得するために、民主主義が取られている。この正統性っていうのはどんな集団でもかなり重要。会社やスポーツチームでも同じで、何故これを私がやるのか、おまえがやるのか、というのに理由なんて突き詰めたらないけど、それをあると決めるのが正統性である。日本の企業組織では法治主義的に明確に役割や職権が設定、運用されていないが欧米ではより明確である。

社会で多人数と関わって何かを行うには「問題の公平な処理を正統性を持って実施する」を実現する法律が必要不可欠であり、その代替はいまのところない。

法律を学ぶためにTACのオンライン講座を7月から約半年受講し先日ついにフィニッシュした。私が受けたのは法科大学院、予備試験、司法試験への対策用の講座のパックだったので、もちろんこれらの受験を前提としている授業であるが、自分の場合、弁護士や検察になる意向はなく、受講の目的は
  1. 社会が機能する上でどういう法律があるのか
  2. 実際にどう使われて問題が解決されるのか
  3. それを踏まえてどうやって予防的に行動するか
など広く法律についての理解を深めて、近くは契約書などに関わることの多い自分の仕事に、遠くには社会の構造を法治主義的な観点でみるために役立てようという目的であった。だったら、法律関係の本読めばいいと言われるだろう。実際に結構本は読んだが、やっぱり具体的に法を使った事例を考えたり、人から教わらないと頭に入ってこない。それにこの手の体系的でボリュームのある勉強は、一定期間集中してやらないと理解できないので、モチベーションの維持が不可欠となる。そういう意味で本講義を受講したが、結果的に大きな学びとなった。要は上述の目的を全てある程度達成できたし、今後どうやったらもっと深く学べるかという方向性も分かった。

私が受講したのは、「4A基礎講座リバイバルパック」という一年くらい前の講座で全部一気にウェブ上にアップされるので自分のペースで学べる。大体30万円弱であった。このパックには64回の「論文解法パターン講義」と31回の「知識集中完成講義」が入っている。1回の講義は3時間前後なのでそれが95回ということ。これを確実にこなせば、実際司法試験に受かる最低限の知識と実力が着く。

私が受講したのは、中村 充 (なかむら みつる)講師(TAC・Wセミナー 専任講師)の講座である。理由はネットで検索して評判が一番よかったのと、知り合いの弁護士にもOKと言われ、さらに安かったからだ。中村講師曰く、「あらゆる法的問題は、彼が考案した“4段階アルゴリズム”( (1)当事者確定 (2)言い分 (3)法的構成 (4)あてはめ ) 「だけ」で解ける。司法試験合格に向けて最も有効な対策は、本試験と同じことをすること=本試験問題を解くこと。単に知識の存在・内容を頭で把握するだけでなく、実戦での“知識の使い方”を、身体に叩き込んで欲しい。」とのこと。

実際、試験対策で受講していない自分であるが、知識をある程度効率よく吸収するためには試験勉強対策がよいと思い選んだ。おそらく、伊藤塾などではもっと法律がそもそも何なのか、社会での意義など大局的なところから説明するため、あまりにも範囲が広くなり勉強の焦点がブレる。さらに私の場合、法律がどういうものとか世界史での位置づけとか憲法の意義とかは既に学んでいたので、より具体的な使い方や問題の解き方が知りたかったのでちょうどよかった。

実際の講義は、3時間前後の95回の授業のうち全く無駄なところがない。効率化の一方、ちょくちょくある講師のネタ的な雑談があることで、法律を学ぶ面白さとテレビ番組を見ているような面白さを両方楽しめるのでモチベーションを持続しやすかった。また、条文の細かいところまで深く考察し理解している条文フェチぶりは、講義の信頼性を高め授業に集中させてくれた。

最後に、法律を学びたいなら弁護士を目指していなくても司法試験や予備試験対策は役立つこと、また単純に面白いということを強調したい。今後、この講義や法律関係の読書から学んだことや感想を何回か書いていきたい。

■参考


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