記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2015年11月

マッド・デイモン主演、リドリー・スコット監督の映画『オデッセイ』(原題:The Martian)を見てきた。中国では先週から公開されているが、日本では2016年2月5日とのこと。どんだけタイムラグあるねん!という感じ。ちなみにアメリカでは先月頭に公開かな。

本作品は2011年に出版されたアンディ・ウィアーの人気小説『火星の人』が原作。宇宙を舞台にした壮大なストーリーと豪華なキャスティングで注目を集めている。あらすじをこちらのサイトから引用させてもらう。

火星へ有人飛行のミッションに参加した主人公マーク・ワトニー。火星でのミッション中に嵐に巻き込まれ、チームの仲間たちは、はぐれたマークを死亡したと判断を下します。しかし、実は生存していたマークは一人火星に取り残されてしまいます。厳しい環境の、限られた食料のみで、4年後のNASAの救出まで生き延びる決意をするマーク。一方地球では、彼を生還させようと、マークのチームたちと科学者たちが奮起します。 
内容はシンプルであるし、結果もだいたい分かるのだが、やっぱり映像で人が演じるストーリーを具体的にみると面白い。

簡単に言えば、火星に取り残された現代版ロビンソン・クルーソーである。ロビンソン・クルーソーは近代的なエートスを身につけており合理的に生活を計画し、行動していく。マット・デイモン演じるマークワトニーは、植物学者でNASAの職員なので頭はきれきれ。工学や物理学、生物学などかなりの専門知識を持っている設定のようだ。 

面白かった点を2つ紹介しよう。

まず、中国資本の影響が色濃く出ていたので吹き出した。詳しいことは書かないが、中国版のNASAみたいのがこの火星からの救出作戦をサポートする。中国資本が映画制作に投資したのか、もしくはハリウッドが中国市場を意識したのか、おそらく両方だが中国がこうしたアートの世界にもどんどん進出してくるのを実感。映画という人の無意識の領域に影響を残すものに中国が入ってくると、世界はハリウッドの下地を作られたように今後は中国がサブリミナルに効いてくるだろう。

もう一点は、ベタにアメリカのtake it easyとnever give upが軸となっており、そこはやっぱりアメリカナイズされた日本人んとしては好感を持ってしまう。そもそも火星に一人ぼっちになり食料やエネルギーなど限界がある状況で、普通はもう、一点を見つめてぼーっとするしかない。しかし超人のマークは持ち前の植物学の知識でジャガイモを育てたり、水作り出したり、遠距離移動するためのプランつくったり、数年後の救出のために長期計画を立て、一日一日を着実に生きていく。そして、なんとか地球とコンタクトできるようになり救出作戦に向けて緊張感が高まっていくが、いつでもユーモアを忘れないtake it easyな生き方は見習いたい。

ありきたりになるが、こんな途方もない問題にも諦めずに生きようとすマークは、日々のくそみたいなことに悩んでいるあなたに勇気を与えてくれるだろう。

mars


 

宮台真司、坂口恭平と高木新平の3人がよるヒル超会議「これからの生き方」で超会議している動画を見た。宮台氏をも圧倒する坂口恭平の勢いが面白く全部みてしまった。ぜひyoutubeかニコ動で見てほしい。

たくさん興味深い部分があるが、一つ紹介したい。

坂口恭平の主張はシンプルで、人はもっと五感の情報でリアルに感じた体験をもとに思考し生きていけ、というものだ。坂口が接してきたホームレスはみなそうして生きており、311より前に政府の無能ぶりや社会に依存できない現状を理解している。

その流れで坂口の発言が面白い。「子供を持つお母さん、この人達はほとんど魔術的な直観力の持ち主だ」という。ちなみに全文書き起こしはこちら
 
その後、彼は特別このことについて説明していないが、要するにこの文脈でいうと子持ちの主婦というのは坂口のいうリアルなレイヤーで生きているのである。思考停止の現代人は、政府やメディアの適当な情報に踊らされているが、主婦はこうした難しいことは難しいと不信をいだき、自分の身の回りでわかることを信頼しているということだろう。そして、そのほうが実はより正しい行動をしているのだ。

私は以前、このブログで中国のその日暮らしのフリーターがいきいきしていることを書いたが、これは同じことだ。実際に自分が確実にわかることだけを信じて生きる、これができていれば現代人を悩ます他の動物にないような問題はなくなる。 

中国人の友人でこういう考えの人がいる。その人は日本に留学し、大学院まで出た優秀な人なのだが、ひょんなことから結婚相手にどういう人を望むのかという話に。彼は、よく分からない会社に勤めている人や飲食店で働いている人などは親に会わすことできないし、絶対NGということだ。

たしかに、中国では昔から相親というお見合いで同じカースト同士で結婚する流れがあった。カースト制度はもちろんないが、同じような育ちや収入、教育レベルというようなもの。そうしないと話も合わないし上下関係ができたりして長く続かないということなのだろうか。実は、日本でも全く同じ事情がある。外資系企業で年収何千万の人が高卒のフリーターと結婚することはほぼないだろう。

いや、そうでもない。実は世界観が広くリアルな世界をいきている人間にとってはそんなバックグラウンドは関係ない。こういう表面的なことを気にするものはかなりシミュラークルな人間社会の感情な意味に踊らされているだけ。自分で思考できない馬鹿なのだ。

前にこのブログでも書いたが、フリーターとか、末端の仕事に従事する人ほどリアルな体験に近くいきいきしており、より地球に生まれた人間としてリアリティがある。

別にそういう人のほうがいい、といっているわけではない。もちろん、いろんなことを知っていて経験している人のほうが面白いのは間違いないが、表面的な情報だけで選別することはやめたほうがいい。そういう考えのやつほど、人脈人脈といい自分の意見のないままひたする人のネットワークを広げようとする面白くないやつである。中国のほうがこの傾向は強いが日本や外国でも同じようなことはある。

まあ、僕は人間は猫の奴隷なのではないか、などかなりいろんな世界観を認めるので特殊かもしれないが経歴だけで人を判断するのはあまりにも視野が狭いといわざるおえない。 

プロブロガーのイケハヤくんの記事経由で野村證券を辞めたカルロスこと小林勝宗くんの記事を読んだ(「野村證券の辞め方。新卒入社、在籍1年半、僕は給料泥棒でしかなかった。」)この記事に限らずかなり小林くんのブログは本音で書かれており、さらに同年代で育ちも似ている(同じ早稲田だし)のでとても興味深かった。

彼の世間の捉え方や実際に行っている行動への評価は置いておいて、大企業をやめ、自分で考えて生きているところ、また、 実名で本音で発言しているところはリスペクトする。本名でやるということはこうやって勝手に人から評価されたりコメントされたり、時には誹謗中傷されることを受け入れなくてはならない。

さて、小林くんがブロガーになったことはいいとして、
ちょっと仕事について考えたい。

たしかに野村證券にいった僕の友人はみんな元気がなくなり、根っこの部分で何かに怯えているような感じをしている。それに、僕も昔ガッツ系の会社で営業をしていたので、何となくそういう仕事環境の雰囲気がわかる。

先の記事に書かれている通り、 
小林くんの場合は、辞めた理由があからさまにストレスにある。

そこで、
よくあるストレスの溜まる仕事の特徴を考えてみよう。そしてどう解決していくべきか考えよう。
  1. 単価の安い案件のプロジェクトである
  2. 競争が激化しすぎ、或いは市場の成長がない業界
  3. 人間関係をよくすることでしか売上に繋がりようがない(商品サービス自体で差別化できない)
  4. どこまで自分の仕事か明確な線引がない
  5. 付加価値が低い
野村證券の支店営業って何をしているのかよく分からないが、おそらく中小企業とかの資産運用として投信とか株、債券とか売って手数料収入得ることだろう。おそらく全部当てはまる。

1,何十億とかの案件ではなく、たくさん投信とか売ることが目的。大きいプロジェクトで、自分も企画に深く入っているような案件なら面白みがあるが、定型化した商品を売るだけの小さなもの。
2,情報化社会なので、別に証券会社から聞かなくても情報収集できる。個人投資家も増え、トレンドがもっとわからなくなっているし。
3,これは大きい。営業やその他の仕事でも人間関係は重要だが、営業において、「この人だから買う」みたいな世界観で営業成績上げるように強いられるのはきつい。それが効果的な場合もあるが、その場合は、会社が営業方法を明確に規定し、人間関係のエキスパートを雇えばいい。
4,おそらく、「この資料まとめておいて」「飲み会企画しといて」とかさらっといろいろな雑用、さらに結構なレベルでもとめられたりしているのだろう。こういうのが少しでもあると、気になって一つの仕事に集中できない。
5,2とも関わるが、この仕事って購入者へ大した付加価値がない。価値ないことをやることほど苦痛なことはない。

まあ、企業経営も簡単ではないので、これらを一瞬で解決することはできないが、上が優秀であればあるほど下はストレスなく定型化した仕事をすることができることは間違いない。末端にいる従業員はそれで自分の会社の価値を判断してみればどうだろうか。

ちなみに、定型化した仕事ではやりがいがないではないか、という議論は的外れ。この世から単純作業をなくすにはロボット化するしかない。それまでは、そういう仕事は必要で、それをストレスできるだけ減らすよう経営者が作ることは社会にとって必須。9時17時でこうした定型化した仕事で生計をたて、他の時間で自分の方向性を考えられるようになればいい。さすがにベーシック・インカム状態にはまだ社会は発展してない。

ちなみに、僕は野村證券がブラック企業と言っているわけではない。グローバル資本主義で大きな利益を出しているのは事実である。ただ、官僚組織化し既得権益層も定着し、思考停止層も多く、構造を変えられないのだろう。今はバブル期と違って株価がずっとあがる局面ではない。外国もそうだ。そういうときに金融商品の営業をこれまでと同じやり方でやっても無理がある。まあ、こういうガッツ営業の場合、そもそもあまり状況分析して作戦立てるエートス身についてない人多いから厳しいかもしれないけど。

ただ、同じことは、日本という国自体にも言えるのであった。。。
 

このブログはつらつらと自分の考えたこと、意識に上ったことを言語化して綴っている。特に目的意識はないが、無意識にはベクトルがあるのは事実だ。

それを一言でいうと、人間の生(主観的な生)をよくしたい。楽しいもの、喜びに満ちたものにしたい、ということが根底にある。そしてそれを考えると結局、人間とは何かを問わざるえないし、生きている環境である社会やその先の自然環境、宇宙などへの理解も必要になってくる。

東大名誉教授の見田宗介さんは私とパーフェクトに同じ問題意識を共有している。(以前ブログで紹介しているが)そして、その自覚や実績面においてはかなり僕の先を行っているのは認めざるおえない。以下の著書「自我の起原」のあとがきは、僕の無意識にあるベクトルをうまく言語化している。このブログや僕の執筆している本はまさにこういうものだ。芸人風にいえば、見田さん、それ僕が言ったことにしていいですか?という感じである。

引用しておこう。

「この仕事の中で問おうとしたことは,とても単純なことである.ぼくたちの「自分」とは何か.人間というかたちをとって生きている年月の間,どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか.他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか.そういう単純な直接的な問いだけにこの仕事は照準している.
 時代の商品としての言説の様々なる意匠の向こうに,ほんとうに切実な問いと,根底をめざす思考と,地についた方法とだけを求める反時代の精神たちに,わたしはことばをとどけたい.
 虚構の経済は崩壊したといわれるけれども,虚構の言説は未だ崩壊していない.だからこの種子は逆風の中に播かれる.アクチュアルなもの,リアルなもの,実質的なものがまっすぐに語り交わされる時代を準備する世代たちの内に,青青とした思考の芽を点火することだけを願って,わたしは分類の仕様のない書物を世界の内に放ちたい.」 

「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」

シリコンバレー随一の投資家・ピーター・ティール氏は、著書「Zero to One」の冒頭で、そんな問いを投げかけていた。Paypalの創業社長であり、のちにFacebook初の外部投資家になったティール氏は、人材や会社の良し悪しを見極めるために、この質問を訊いていたようだ。

上記は、上杉くんのブログ記事から抜粋した。

もし僕がこれを問われたら迷わずこういうだろう。

主観と客観も主観の中にある、と。人間が存在を信じているというものはどれも強い信憑があるだけ。人は自分の主観から抜け出すことはできない。だからここをもとに世界がどうなっているか思考する必要がある。人間はいろんな体験を通じて、自分の価値観を編み上げていく。事実はなく、ただ解釈があるだけというニーチェの言うとおりである。

この視点を持たないものが、理解できない相手に対して激怒し、人間社会を混乱させる。先日のパリ同時テロも同じで、ISISに空爆しても根本的な解決にはならない。世界の多くの貧困、紛争地域に秩序を持たせ、一般的な教育が根付けば、人種や宗教の問題は片付く。

多くの人は客観を絶対視しているが、これよりさらに根源的なものの見方がある。こうした現象学的な見方を「知る」だけでも世界に強いインパクトがあるのではないか。 

11・13と呼ばれ、911以上のテロと騒がれたパリ同時テロであったが、多くの日本人は既にそのことを忘れているのではないだろうか。

ノンポリならノンポリでよいのだが、pray for parisの画像をシェアしたりとかfacebookのプロフィール画像を三色のトリコロールにした人は、ただの思考停止で安易なノリにとどまらず少し考えてみるべきだ。僕もノンポリなのだが、今回のテロはその実体を考えてみると、他人ごとではない。日本も2020年にオリンピックを控え、ターゲットになる可能性もある。

パリ同時テロから約2週間が経った今、僕なりに再度このテロについて考えてみた。というか、宮台真司と東浩紀がこの件について述べていたことの中で賛成するものを自分の言葉でまとめ、さらに一部敷衍している。

■パリの自爆テロだけ特別しするのはおかしい!?→特別視して当然
まず、このテロの後によく言われてたことの一つに、こういうのがある。シリアやナイジェリア、カメルーンとか世界のいたるところで自爆テロは起き続けている。被害者の数がもっと多いのもある。なぜパリだけ特別視するのか?というもの。

これは、文字情報しか理解できない馬鹿の言い分である。パリという場所は世界的にみても特別な意味を持つ。国際政治での地位はもちろん、フランス革命があり、人権宣言があり、歴史的経緯を考えても然り、いろいろ問題はあれ多文化共生で現代の世界を形作っている人間の英知の中心である。現に、だからこれだけ世界中で報道され、多くの人がショックを受けている。

■このテロの意味するもの
このテロは、どんな厳戒体制しいても怨念があれば防ぎようがない、ことを露呈している。1月にパリでテロがありかなりの警戒体制があったにも関わらず多発的に起きている。911がアメリカを変えたように、パリ同時テロはヨーロッパを変える大きな出来事である。

また、前述の通りパリはもちろんヨーロッパは世界で見ても特殊な意味を持つ場所。多くの文化があり多様を受け入れる風土が長い歴史で培われてきた。国境をなくし、リベラルの理想、開放性を体現したシンボル的な場所である。

人間が創りだしたリベラルの理想としてEUは統合されていったが、今後、こうしたテロを受けて、国境がより明確になっていき、監視社会になっていくかもしれない。


■最近のテロの目的は?→何をしたら世界がよくなるか分からない苛立ち
今回のテロや一連の自爆テロは、国家の要人を狙ったり政治への圧力という類のものではない。彼らがやろうとしていた政策をやめされるため、といったものではない。

では何か?それは、シンボルへの攻撃。豊かさに対する拒否なのである。

今、世界は混乱している。どうやれば何十億人もの人間が共生できる社会が築けるのか分からないのである。仮に分かったとしても、既に各地域で全く違う多様な生活を営んでいるのにおうやって実施すればいいのかも全く答えがない。

今回のテロリストもそうだが、基本的に「どこか世界を牛耳る大きな政府を倒せば世界がよくなる」という世界観は誰も持っていない。ピンポインで悪いやつ、この世界の責任者に攻撃するような昔のテロとは違う。世界そのものへの怒りとなっている。

ISISも実際は、コーラン読んで、それに共感してどうこうの話ではない。彼らの動機はもっと物理的な現実での身近な体験である。世界は自由になっているとなっているというが、オレはどうなんだ!?という貧困、紛争地域の人間たちのルサンチマンが根源にある。

だから、彼らの標的は、自由で先進国の象徴、パリので豊かなライフを楽しんでいる人々への攻撃であった。サッカースタジアム、コンサート会場、レストランなど一般人が人生を楽しむ場所である。

これからのテロは幸せに生きているところが狙われる。


■原因
東浩紀が指摘しているが、インターネットの発展により、発展途上国であろうと人生を比較する対象が多くなりすぎた。シリアでも世界中の情報入ってくる。裕福な人々の生活を見て、なんでオレこんなんなの、というフラストレーションがたまる。インターネットが創りだした怨念の拡散である。
■根本的な原因
これは前回、このブログでも書いたが、世界の貧困や紛争地域の人間が苛立ち、コーランなどの世界観とくっついて命がけで怨念の発散する、というシンプルな構造。問題はシンプルであるが、世界のこうした問題をどうやって解決するかは難しい問題。60億人がそれぞれ既得権益を少なからず持っていきているので、何かを少しでも変えるのに相当な努力が必要。

なので、空爆しても問題の根本解決にはならない 。ただ、それは政治家として、自分の地位の維持、国民感情を組んだりするために必要なことなのだ。中国の官制デモみたいに全く意味がなく迷惑な話である。

■日本への影響
2020年オリンピックは、もしかするとやばい。今まで日本は中東を怒らせてはないが、根本原因がこういうものだと、世界の平和をいちおう理念とするオリンピック、さらに世界中の国家が集まる場所という特別な場所化する彼らのかっこうの標的になってしまう。 

↑このページのトップヘ