記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2015年11月

「あまりにも抽象的で分からない」「抽象的な表現で逃げる」「言葉だけだと抽象的なので、図を使ってほしい」など、「抽象的」という言葉を使うことがあるが、この「抽象的」とはそもそもどういう意味か?その本質に迫る。

このサイトによる「抽象的」の説明を見てみよう。

全てを表現せずに、部分的に抜き出して表現することを意味します。

辞書の大辞林は

>1、概念的で一般的なさま。
>2、事物を観念によって一面的にとらえ,実際の有り様から遠ざかっているさま。

と解説されています。

本当に簡単に意味を書くと、
「具体的ではない」と、反義語で表現した方がわかりやすいと思います。
この後にもよくわからない説明が続いているが、とても「抽象的」なので無視させていただいた。こういう分かりにくい言葉は根源的に考える必要がある。

抽象的というのを説明するには、まず言葉の本質を理解しなくてはならない。しかし、ここでソシュールやチョムスキー、ウィトゲンシュタインを説明することは無理だし、彼らも本質を捉えてるか微妙なので私が大雑把に説明したい。

まず、言葉とは何か?人間とは何か、から説明しよう。

人間は、五感から情報をインプットし、そこに特徴量を自分で設定し(実はこれが人間の神秘であり、丸山圭三郎はシンボル化能力という)概念を獲得する。こうして獲得した概念に、音声をあてがったのが言葉の始まりである。

簡単なものだと、「椅子」というのは、「座るもの」「足が4つある」「背もたれがある」「机とセットであることが多い」などいろいろな特徴を持っているが、それらのうちいくつかが満たされれば「椅子」といえるのである。今挙げた特徴は、形や構造など視覚によるもの、用途によるもの、などいろいろな見方がある。

また、竹田青嗣の言語の解説をみてみよう。

竹田によれば、言語行為とは「一般意味」を利用した各自的な意(企投的意味)の投げかけあいであり、「企投的意味」の集合的痕跡(積み重なり)として「一般意味」が成立する。この「一般意味」とはだいたい辞書的な意味であると理解してよい。この考え方は、「言語」の本質を的確に捉えており、多くの場面で応用が可能である。例えば、共通了解された一般的な意味(=本質)も、欲望相関的な意味の集合的痕跡として捉えることができる。使用頻度の高い企投的意味の集合的痕跡が一般意味として共通了解され、本質として捉えられるようになる、と言ってもよい。
 
あたりまえだが、使用頻度の高い意味ほど、その都度、周囲の共通了解も得られ、次第に自明視されるようになりやすい。コップを武器として使えば周囲は驚くはずだか何かを飲むために使えば、誰もが当然だという態度を示す。それは既にコップの一般意味として「何かを飲むための器」が共通了解されているからだ。そうした周囲の態度をそのように使う機会が増えていく。だからこそ、何かを飲むための器が共通了解されるコップの意味(本質)として沈殿し、その意味はコップを目にする度に賦活され、直観として捉えられるようになるのだ。

さて、

さきのシンボル化能力と合わせて考えてみると、まずシンボル化能力で概念を獲得するが、何人かの人間が同じような環境にいると、 同じような概念を持つ。彼らがコミュニケーションしようと、ウホウホやるだろうが、そのときに意(企投的意味)の投げかけあいが生じる。そのときに、まずはみんなが持っている概念に名前がつくだろう。今でいう「石」ならウホ、「木」ならウゴ、「水」ならヴュガなどなど。そうしてそれらを意(企投的意味)の投げかけあいとして、「移動」「飲む」「運ぶ」「集める」「探す」みたいな文脈で使われだし、その仮定で、「移動」「飲む」「運ぶ」「集める」「探す」に相当する言葉が生まれていくのである。 集合的痕跡(積み重なり)である。「てにをは」みたいなものはより企投的意味と一般意味(言葉)のギャップを埋めるために細かくつくられた言葉である。

言葉とはどういうものか、理解できただろうか。

シンボル化能力から派生するので、基本的には視覚的に人間が見れるものが中心となる。

あとは、内的によく感じるもの。

そして、人間は「空間」と「時間」という概念も獲得する。空間は、自分を鏡でみたり、ものにぶつかったり触れたり、動いて何かに近づいたりするなかで、「ある延長を持った領域内で、何かの法則の下、物体が存在する」というような「空間」の概念を得る。また、殴られて痛い、走ったら疲れる、天気が悪いと雨が降る、などから因果関係を学び、そこに前の段階から後ろの段階、さらにその両サイドの延長、といういまでいう「時間」の概念も得る。これは人間の身体の構造上確実に得る概念なので、カントはア・プリオリだといったようだ。

そうすると、獲得した概念を組み合わせることで、物理的には存在しないようなものまで認識するようになる。(なぜ組み合わせるのか?それは生のエロスのため、より世界を理解したほうが繁栄できるからだ)例えば、「事業計画」というのは、物理的な物(人も含む)が時間軸でどう動くかを想定し、それを数字やある側面だけで記述したもの。かなり多数の登場人物が含まれ、切口も多様なため、「事業計画」という一つの言葉だけではとても他人と共通理解できない。


さて、ここまでの議論を理解できたらばっちりだ。

「抽象的」とは何か?という問いにスパっと答えよう。

それを一言でいうと、ぎりぎり、というか薄っすらとゲシュタルトでとらえたもの、となる。シンボル化したけどその繋ぎ部分が弱い、というようなもの。

もう少し具体的にいうと2つある。

それは、
1,特徴量が見出しにくいけど、ふわっと誰でも感じたことがあるもの。「善」とかね。文学がそういうところをたまにうまく言葉にする。
2,空間と時間の概念と、物理的は明確な存在物が組み合わされて、一目瞭然ではない状態になったもの。例えば、「都市計画」「民主主義」など。

以上。

マッド・デイモン主演、リドリー・スコット監督の映画『オデッセイ』(原題:The Martian)を見てきた。中国では先週から公開されているが、日本では2016年2月5日とのこと。どんだけタイムラグあるねん!という感じ。ちなみにアメリカでは先月頭に公開かな。

本作品は2011年に出版されたアンディ・ウィアーの人気小説『火星の人』が原作。宇宙を舞台にした壮大なストーリーと豪華なキャスティングで注目を集めている。あらすじをこちらのサイトから引用させてもらう。

火星へ有人飛行のミッションに参加した主人公マーク・ワトニー。火星でのミッション中に嵐に巻き込まれ、チームの仲間たちは、はぐれたマークを死亡したと判断を下します。しかし、実は生存していたマークは一人火星に取り残されてしまいます。厳しい環境の、限られた食料のみで、4年後のNASAの救出まで生き延びる決意をするマーク。一方地球では、彼を生還させようと、マークのチームたちと科学者たちが奮起します。 
内容はシンプルであるし、結果もだいたい分かるのだが、やっぱり映像で人が演じるストーリーを具体的にみると面白い。

簡単に言えば、火星に取り残された現代版ロビンソン・クルーソーである。ロビンソン・クルーソーは近代的なエートスを身につけており合理的に生活を計画し、行動していく。マット・デイモン演じるマークワトニーは、植物学者でNASAの職員なので頭はきれきれ。工学や物理学、生物学などかなりの専門知識を持っている設定のようだ。 

面白かった点を2つ紹介しよう。

まず、中国資本の影響が色濃く出ていたので吹き出した。詳しいことは書かないが、中国版のNASAみたいのがこの火星からの救出作戦をサポートする。中国資本が映画制作に投資したのか、もしくはハリウッドが中国市場を意識したのか、おそらく両方だが中国がこうしたアートの世界にもどんどん進出してくるのを実感。映画という人の無意識の領域に影響を残すものに中国が入ってくると、世界はハリウッドの下地を作られたように今後は中国がサブリミナルに効いてくるだろう。

もう一点は、ベタにアメリカのtake it easyとnever give upが軸となっており、そこはやっぱりアメリカナイズされた日本人んとしては好感を持ってしまう。そもそも火星に一人ぼっちになり食料やエネルギーなど限界がある状況で、普通はもう、一点を見つめてぼーっとするしかない。しかし超人のマークは持ち前の植物学の知識でジャガイモを育てたり、水作り出したり、遠距離移動するためのプランつくったり、数年後の救出のために長期計画を立て、一日一日を着実に生きていく。そして、なんとか地球とコンタクトできるようになり救出作戦に向けて緊張感が高まっていくが、いつでもユーモアを忘れないtake it easyな生き方は見習いたい。

ありきたりになるが、こんな途方もない問題にも諦めずに生きようとすマークは、日々のくそみたいなことに悩んでいるあなたに勇気を与えてくれるだろう。

mars


 

宮台真司、坂口恭平と高木新平の3人がよるヒル超会議「これからの生き方」で超会議している動画を見た。宮台氏をも圧倒する坂口恭平の勢いが面白く全部みてしまった。ぜひyoutubeかニコ動で見てほしい。

たくさん興味深い部分があるが、一つ紹介したい。

坂口恭平の主張はシンプルで、人はもっと五感の情報でリアルに感じた体験をもとに思考し生きていけ、というものだ。坂口が接してきたホームレスはみなそうして生きており、311より前に政府の無能ぶりや社会に依存できない現状を理解している。

その流れで坂口の発言が面白い。「子供を持つお母さん、この人達はほとんど魔術的な直観力の持ち主だ」という。ちなみに全文書き起こしはこちら
 
その後、彼は特別このことについて説明していないが、要するにこの文脈でいうと子持ちの主婦というのは坂口のいうリアルなレイヤーで生きているのである。思考停止の現代人は、政府やメディアの適当な情報に踊らされているが、主婦はこうした難しいことは難しいと不信をいだき、自分の身の回りでわかることを信頼しているということだろう。そして、そのほうが実はより正しい行動をしているのだ。

私は以前、このブログで中国のその日暮らしのフリーターがいきいきしていることを書いたが、これは同じことだ。実際に自分が確実にわかることだけを信じて生きる、これができていれば現代人を悩ます他の動物にないような問題はなくなる。 

中国人の友人でこういう考えの人がいる。その人は日本に留学し、大学院まで出た優秀な人なのだが、ひょんなことから結婚相手にどういう人を望むのかという話に。彼は、よく分からない会社に勤めている人や飲食店で働いている人などは親に会わすことできないし、絶対NGということだ。

たしかに、中国では昔から相親というお見合いで同じカースト同士で結婚する流れがあった。カースト制度はもちろんないが、同じような育ちや収入、教育レベルというようなもの。そうしないと話も合わないし上下関係ができたりして長く続かないということなのだろうか。実は、日本でも全く同じ事情がある。外資系企業で年収何千万の人が高卒のフリーターと結婚することはほぼないだろう。

いや、そうでもない。実は世界観が広くリアルな世界をいきている人間にとってはそんなバックグラウンドは関係ない。こういう表面的なことを気にするものはかなりシミュラークルな人間社会の感情な意味に踊らされているだけ。自分で思考できない馬鹿なのだ。

前にこのブログでも書いたが、フリーターとか、末端の仕事に従事する人ほどリアルな体験に近くいきいきしており、より地球に生まれた人間としてリアリティがある。

別にそういう人のほうがいい、といっているわけではない。もちろん、いろんなことを知っていて経験している人のほうが面白いのは間違いないが、表面的な情報だけで選別することはやめたほうがいい。そういう考えのやつほど、人脈人脈といい自分の意見のないままひたする人のネットワークを広げようとする面白くないやつである。中国のほうがこの傾向は強いが日本や外国でも同じようなことはある。

まあ、僕は人間は猫の奴隷なのではないか、などかなりいろんな世界観を認めるので特殊かもしれないが経歴だけで人を判断するのはあまりにも視野が狭いといわざるおえない。 

プロブロガーのイケハヤくんの記事経由で野村證券を辞めたカルロスこと小林勝宗くんの記事を読んだ(「野村證券の辞め方。新卒入社、在籍1年半、僕は給料泥棒でしかなかった。」)この記事に限らずかなり小林くんのブログは本音で書かれており、さらに同年代で育ちも似ている(同じ早稲田だし)のでとても興味深かった。

彼の世間の捉え方や実際に行っている行動への評価は置いておいて、大企業をやめ、自分で考えて生きているところ、また、 実名で本音で発言しているところはリスペクトする。本名でやるということはこうやって勝手に人から評価されたりコメントされたり、時には誹謗中傷されることを受け入れなくてはならない。

さて、小林くんがブロガーになったことはいいとして、
ちょっと仕事について考えたい。

たしかに野村證券にいった僕の友人はみんな元気がなくなり、根っこの部分で何かに怯えているような感じをしている。それに、僕も昔ガッツ系の会社で営業をしていたので、何となくそういう仕事環境の雰囲気がわかる。

先の記事に書かれている通り、 
小林くんの場合は、辞めた理由があからさまにストレスにある。

そこで、
よくあるストレスの溜まる仕事の特徴を考えてみよう。そしてどう解決していくべきか考えよう。
  1. 単価の安い案件のプロジェクトである
  2. 競争が激化しすぎ、或いは市場の成長がない業界
  3. 人間関係をよくすることでしか売上に繋がりようがない(商品サービス自体で差別化できない)
  4. どこまで自分の仕事か明確な線引がない
  5. 付加価値が低い
野村證券の支店営業って何をしているのかよく分からないが、おそらく中小企業とかの資産運用として投信とか株、債券とか売って手数料収入得ることだろう。おそらく全部当てはまる。

1,何十億とかの案件ではなく、たくさん投信とか売ることが目的。大きいプロジェクトで、自分も企画に深く入っているような案件なら面白みがあるが、定型化した商品を売るだけの小さなもの。
2,情報化社会なので、別に証券会社から聞かなくても情報収集できる。個人投資家も増え、トレンドがもっとわからなくなっているし。
3,これは大きい。営業やその他の仕事でも人間関係は重要だが、営業において、「この人だから買う」みたいな世界観で営業成績上げるように強いられるのはきつい。それが効果的な場合もあるが、その場合は、会社が営業方法を明確に規定し、人間関係のエキスパートを雇えばいい。
4,おそらく、「この資料まとめておいて」「飲み会企画しといて」とかさらっといろいろな雑用、さらに結構なレベルでもとめられたりしているのだろう。こういうのが少しでもあると、気になって一つの仕事に集中できない。
5,2とも関わるが、この仕事って購入者へ大した付加価値がない。価値ないことをやることほど苦痛なことはない。

まあ、企業経営も簡単ではないので、これらを一瞬で解決することはできないが、上が優秀であればあるほど下はストレスなく定型化した仕事をすることができることは間違いない。末端にいる従業員はそれで自分の会社の価値を判断してみればどうだろうか。

ちなみに、定型化した仕事ではやりがいがないではないか、という議論は的外れ。この世から単純作業をなくすにはロボット化するしかない。それまでは、そういう仕事は必要で、それをストレスできるだけ減らすよう経営者が作ることは社会にとって必須。9時17時でこうした定型化した仕事で生計をたて、他の時間で自分の方向性を考えられるようになればいい。さすがにベーシック・インカム状態にはまだ社会は発展してない。

ちなみに、僕は野村證券がブラック企業と言っているわけではない。グローバル資本主義で大きな利益を出しているのは事実である。ただ、官僚組織化し既得権益層も定着し、思考停止層も多く、構造を変えられないのだろう。今はバブル期と違って株価がずっとあがる局面ではない。外国もそうだ。そういうときに金融商品の営業をこれまでと同じやり方でやっても無理がある。まあ、こういうガッツ営業の場合、そもそもあまり状況分析して作戦立てるエートス身についてない人多いから厳しいかもしれないけど。

ただ、同じことは、日本という国自体にも言えるのであった。。。
 

このブログはつらつらと自分の考えたこと、意識に上ったことを言語化して綴っている。特に目的意識はないが、無意識にはベクトルがあるのは事実だ。

それを一言でいうと、人間の生(主観的な生)をよくしたい。楽しいもの、喜びに満ちたものにしたい、ということが根底にある。そしてそれを考えると結局、人間とは何かを問わざるえないし、生きている環境である社会やその先の自然環境、宇宙などへの理解も必要になってくる。

東大名誉教授の見田宗介さんは私とパーフェクトに同じ問題意識を共有している。(以前ブログで紹介しているが)そして、その自覚や実績面においてはかなり僕の先を行っているのは認めざるおえない。以下の著書「自我の起原」のあとがきは、僕の無意識にあるベクトルをうまく言語化している。このブログや僕の執筆している本はまさにこういうものだ。芸人風にいえば、見田さん、それ僕が言ったことにしていいですか?という感じである。

引用しておこう。

「この仕事の中で問おうとしたことは,とても単純なことである.ぼくたちの「自分」とは何か.人間というかたちをとって生きている年月の間,どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか.他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか.そういう単純な直接的な問いだけにこの仕事は照準している.
 時代の商品としての言説の様々なる意匠の向こうに,ほんとうに切実な問いと,根底をめざす思考と,地についた方法とだけを求める反時代の精神たちに,わたしはことばをとどけたい.
 虚構の経済は崩壊したといわれるけれども,虚構の言説は未だ崩壊していない.だからこの種子は逆風の中に播かれる.アクチュアルなもの,リアルなもの,実質的なものがまっすぐに語り交わされる時代を準備する世代たちの内に,青青とした思考の芽を点火することだけを願って,わたしは分類の仕様のない書物を世界の内に放ちたい.」 

「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」

シリコンバレー随一の投資家・ピーター・ティール氏は、著書「Zero to One」の冒頭で、そんな問いを投げかけていた。Paypalの創業社長であり、のちにFacebook初の外部投資家になったティール氏は、人材や会社の良し悪しを見極めるために、この質問を訊いていたようだ。

上記は、上杉くんのブログ記事から抜粋した。

もし僕がこれを問われたら迷わずこういうだろう。

主観と客観も主観の中にある、と。人間が存在を信じているというものはどれも強い信憑があるだけ。人は自分の主観から抜け出すことはできない。だからここをもとに世界がどうなっているか思考する必要がある。人間はいろんな体験を通じて、自分の価値観を編み上げていく。事実はなく、ただ解釈があるだけというニーチェの言うとおりである。

この視点を持たないものが、理解できない相手に対して激怒し、人間社会を混乱させる。先日のパリ同時テロも同じで、ISISに空爆しても根本的な解決にはならない。世界の多くの貧困、紛争地域に秩序を持たせ、一般的な教育が根付けば、人種や宗教の問題は片付く。

多くの人は客観を絶対視しているが、これよりさらに根源的なものの見方がある。こうした現象学的な見方を「知る」だけでも世界に強いインパクトがあるのではないか。 

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