記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。基本殴り書きで校正しておりません。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)現をよく存在させたい。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2016年01月

よく書いていることだが、言葉で論理で考えて、「これがよい!」と思って行動するのは、無意識的なレベルでのベクトルが非常に弱い。何か物理空間で別のベクトルに晒されれば一気に向きが変わる。

では、こういうベクトルは、どうやって強いものが形成されるのか。いいかえれば、人間の生の中心的な体験となるものは何か。

それは、人に感染し、この人素晴らしいな感染するということ。最も輝かしく信頼できることとして残るものはこれしかない。

物理空間での体験の重要性はこれまでも述べたが、原理的に社会的な動物である人間にとってもっとも軸となる体験は人の「感染」なのである。 

今日気付いたらブログの投稿予約忘れてたのでその場で一つ投稿しよう。

僕が一番頻繁に利用している上海のスターバックスから。

写真見てどこか分かったら凄い。

アイスコーヒーは特大サイズ。28元なので540円くらいかな。

というかスマホから投稿って意外と便利だな。長文は書けないけど。


現代の人間が抱える精神的な問題は全て、非人間的なことだ。地に足の着いた着実な生き方をしていればそれらの問題が脳裏に浮かぶことはない。普通に世界のなかに生きている、これだけでいいのだ。超人になる必要もないし、毎日ねていてもだめだ。シンプルに普通に生きれば良い。

意味の発生現場に立ち返り、言分け構造から抜け出し、見分け構造に近い地に根を下ろしたしっかりとした生き方をすればよい。

今の世界ではどうすればいいか?

一つは超無頓着に生きること。

もう一つは徹底して勉強して世界を理解すること。教養を磨くこと。こうすれば世界の実体、骨組みがよく分かる。 

前者はセンスだが、後者は努力でなんとかなる。 

東京にしろニューヨークにしろ北京にしろ、四季があり、けっこう暑さと寒さに苦しめられる場所って人間社会が発展していないか?

超主観的な統計結果なので、べつに客観性をもとめていないので書きたいことを書こう。

四季があることは、人間の実存にどういう影響があるか?

例えば、夏から秋になると、暑さがなくなり、肌ざむくなってきた、もうすぐ寒い冬がやってくる、という時間的な認識が発生する。そうすると、今の時間のかけがえなさや夏のいい思い出、過去の冬の思い出が押し寄せ、いいも悪いも記憶が蘇り、将来の可能性も見えてくる。

これが季節の変わり目のたびに発生する。

こうして、四季のある環境の人は、自分の記憶と未来を定期的に見直す機会を与えられ人生を充実させるために調整し、突き進む。

四季にはこういう効果があるのでは?

「街」の本質を考えたい。

僕は中国、上海なら「南京東路」、南京なら「珠江路」、東京なら「池袋」が好きだ。これらの場所には特に目的がなくてもふらっと行ってしまう。

そういう「街」とはいったい何なのか。

その要素をいくつかブレストしてみよう。 

物理的な距離
 早く帰れると安心できるし、リラックスできる
 遠いと、現実世界から引き離される
誰と会えるか
 その場所なら誰と会えるか、その友人の家や行動範囲に規定されるだろう 
 知人だけでなくそこにいる人の層 
特定の店など
 買い物
 立ち読みできる本屋とか
昔の体験
 以前そこに家族とか恋人、友人とかと何かをした記憶
社会的な象徴
 政治の街、学生街、埼玉人が多い街、ファッションの街などシンボル的なこと
その他の個人的な印象
 夜遅くまで賑わっているとか

僕にとっての「池袋」を分析してみよう。物理的には実家に近い。ドアドアで30分で余裕でいけるし最悪歩ける。誰と会えるかというと、大学のころは大学近いのでその友達とかか。でも池袋はほとんど一人でいくときに使う街である、僕にとって。むしろその舞台に自然と存在する通行人のほうが重要かも。たいしておしゃれじゃなく、一般的な、埼玉県民が多いという感じの普通な感じ。これがいい。

特定の店といえば、やはりジュンク堂書店池袋本店の存在が大きい。ここはよくいく。近くのラーメン屋も。ショッピングはあまりしないが、ユニクロとか、あとはデパートいけば僕の必要なだいたいのブランドはある。

昔の体験は大きいだろう。家族で幼稚園、小学校のころよく買い物や夕飯を食べた温かい思い出がある。今ふと思い出したが、池袋のサンシャインに行きたいと泣いてねだった幼い時期もあった。何か買いものするとか、家族全員で会話するとかそういう可能性を当時欲していたのだろう。今でもその思いは顕在しないが無意識にあるようだ。

社会的な象徴はあまりない。池袋はまああまり個性を主張しない中流的な感じがあるが、そこがよい。そういう社会的な認識も自分の判断に入っているのかもしれない。その他個人的には、北口界隈など夜遅くまで人の営みが続いているという安心感というか何かはある。よく分からないが。

以上、「池袋」についての私の概念を多角的に論じた。

街の本質とは、上記に関する記憶が一体となり一つのゲシュタルトを形成しているのだ。だからひと事で言えることでもないし、極めて抽象的な概念。
 

昨日の「雨漏りバケツ問題」をネットで調べていたら、宮台真司が一橋大学で公演したときのまとめが「ヘタレ営業マンの奮闘」ブログにあったので、お借りする。日本の問題の深いところが分かる。こうした自己の欠点を認識することは、フロイトにおける精神病の治療と同じく問題解決に一役買うはず。


①日本がダメになった理由は
「市場と共同してやっていくマインドセットがないままきちゃったから」

ということだそうです。

問題は急に出てきたわけじゃない。問題はもともとあったけど、経済が回っているうちは露呈してこなかった。
経済が回らなくなると、問題が露呈してきて今のような日本の貧困とか無縁社会になっている。

日本はアメリカの経済をマネをしてきた。

けれども、アメリカ人と日本人では市場に対する姿勢が違っていた。

日本はアメリカ経済を「市場原理主義」だと思っていた。

むき出しの個人が市場でもまれて成功を掴むのだと思っていた。

しかし、違う。
アングロサクソン系の人々は以下2つの特徴がある。

①家族主義である。 家族を死ぬ気で守る。帰るべきホームベースがあるから戦える。
②市場での戦いで敗れてしまった人を救うシステムがある。ボランティアとか、チャリティとか、宗教とか。ボランティアをすることが社会的地位を高めることにもなる。


つまり、アメリカ人は
「むき出しの個人が市場でもまれる」市場原理主義ではない。
上記のようなマインドがある。

日本人には上記のようなマインドはない。

だから、日本人は市場で負けると、助けてくれる人もいないし、
行政に頼るしかないわけ。

「政府助けてくれよ」

「政府は何やってんだ」

ってさ。 なんかさみしいよな。


経済が成長してて、市場から追い出されちゃう人が少ないうちはまだ行政が対応できてた。だから問題はそんなに大きくなってなかった。

きっかけは1997年の平成不況。 山一證券の倒産。

ここら辺から経済が回らなくなってきてる。

自殺者数も増加。

1997年以前は 2万4千人台。

1998年以降は 3万人台。

一気に日本社会が変化したんだね。


この日本の不況の原因はもちろん「グローバリゼーション」よ。

「グローバリゼーション」 → 「資本移動の自由化」 → 「BRICsの台頭」


この動きに対して政府も手を打ってきた。

①大企業身軽政策。

日本は製造業の国。
ほうっておけば、この分野は中国やインドに絶対負ける。

これからもこの分野で外貨を稼ぎ続けたいなら、製造業の大企業に競争力をつけないと!
つまり、身軽にしないと!

それで、非正規社員解禁。これが小泉・竹中路線。

②環境でリード

民主党政権になって今度は「環境でリード」という目標が掲げられた。

この政策、実は、「地球」なんてまったく意識してない
ってことを知ったのはボクにとっては収穫。

要は日本が生き残るためにはどうするか、を考えた上での結論。

日本は技術がある。その技術力でリードし、新興国がなかなか
追いつけない分野はどこだ?

って考えた結果が環境だった。

Co2削減目標なんて、製造業の足を引っ張るやんけ!

って、当たり前じゃん。産業構造改革しようぜってのがこの政策の意図。


別に、地球なんてどうでもいいんだよね。いや、大事だけど。

そもそも地球温暖化の原因はCo2なのか?

Co2を減らせば環境は改善する! は先進国が新興国を困らせるために
勝手に作り出したムードかも。


③ゆとり教育

クラスの下の生徒を救いましょう。
個性を尊重しましょう。

これは、表向き。

財界が期待したのは、消費。

日本は新しいものをクリエイトしなければいけません。
でも、大多数の人は何かをクリエイトする仕事に就けません。

そういう人には「良い消費者」になってもらいましょう。
それで、日本経済を回そうという狙い。

土曜日学校お休みにして、連休作って、家族で旅行に行きましょう。レジャーしましょう。
貯金を使って消費しましょう。

そういう狙い。

ショッキングだよね。

経済回すための政策でアホが大量生産されて、「ゆとり世代」とか言われて、
企業に「いらない」って言われて。


どーすりゃいいの日本。

テーマの②これからどう生きればいいのか についてか結論は言ってなかったような。すんません。



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この講演で宮台氏が特に強く言ってたこと。


行政が対応するとか、 「死にたい」って言う人に「生きてれば希望はありますよ」とか言うことは

雨漏りしているところに、バケツを差し出すようなものなの。

でも、問題の本質はバケツを差し出しても解決しないの。

「雨漏り」を解決しないと!!

って言ってた。


当然、雨漏りしてればバケツの需要はあるから、
バケツを一生懸命差し出して役人は「いい仕事をした」と考えているわけ。

応急処置的な対応をずーっとしてて、それで政府も役人も
「いい仕事した」って思ってたら、永遠に問題は解決しないね。

そして、一般の人々も問題の本質に気づいていなかったら
「早くバケツをくれよー!」って訴えることしかしないよね。

これじゃあ、バケツ代で国の借金が増えて日本は破綻しちゃう。

ボクも初めて知ることが多く、自分の無知さを思い知りました。

この講演を聴いて思ったのは、

これから、新聞やニュースで言っていることをそのまま受け取るのではなく、
様々な情報、本などを元に、物事の本質まで知って考えた上で
自分の意見を形成しようと思いました。

ありきたりだけど、これを強く意識しました。

特に本を読むっていうのが重要だね。

表面だけをすくった新聞やニュースだけじゃなく、知識人が深く考えた上での意見を考えてみてやっと物事の本質がみえる気がした。

まぁ、自分が知識人になればいいんだけど(笑

まだまだ頭の悪いボクは人のアウトプットを吸収するので精一杯あせる


そんな講演でした。
一方で、自分の自己実現につながらないような仕事を与えられ、

 要するに、
自分探しとかいってねえで、
自分を操って幸せになれ!ってこと。 

僕は中国に3年半もいるので、日本に帰ると友人などからこう聞かれることが多い。

表面的なことをいえば、秩序がない、というのは一番大きな違いで誰もがカルチャーショックを受ける。列に並ばない、割り込みしまくる、電車で降りるより先にめっちゃ乗ってくる、足踏んでも謝らない、普通にぶつかりまくる、などなど。仕事でいえば、言われたこと以外はやらないし、率先してさぼろうとする。性悪説でマネジメントしないといけない。


でも、もっと根本的なことでいうとどうだろうか。

ビジネスにおいても言えるが、人間関係というのは重要。現代の日本において、人間関係はどんどん希薄化していく。家族でさえも。

ちょっと補助線に宮台真司が言っていたことを引くと、彼曰く、現代の女は余裕でナンパできるらしい。現実のパートナーにあまり期待していないし実利も得ていない。ディープなコミットメントしらないので、クサイ言葉でころっと落ちる。

これが日本人。

中国人は、もっとディープな人間関係を持っている。これは主に血縁関係など家族であるが、そのネットワーク内での気遣い合いは、相当ディープ。見返り求めず頼めば何でもしてくれるような温かいものである。親戚とも親しい。

こういうバックグラウンドがあるかないかで、普段の生活のスタイルや心持ちも大きく変わるのではないか?

日本人は一見、すぐに仲良くなるが、利害をかなり深く共有するようにはなりづらい。家族ですらそういう場合もある。翻って中国もたしかに表面上は誰とでも仲良くするが、日本と同じく薄い関係に留める。ただ、誰もが本当に信じれる血縁関係などのネットワークを持ちそこにフルコミットして生を進行している。

この違いは、表面上では見えにくいが、性格やコミュニケーションなどにも顕になる日中の違いの本質なのではないだろうか。


 

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