記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)意識ファースト!意識がよければ何でもOK。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※基本殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

カテゴリ: 人間とは何か

みなさん、ゴール設定しましょう。でっかり夢にコミットしよう。そうすれば日々のいろんなことが些細なことに見えてきて惑わされずにいきいきと大きなゴールに向かっていけます。

ここでは未来の記憶を作り、ゴールに臨場感を持つ方法を苫米地さんの本から紹介します。



この本は私が苫米地さんの本を10冊程度読んだ中では一番体系的にコーチングについて述べられています。

未来 の 記憶 とは 何 かと 言え ば、 ゴール の 世界 の 記憶 です。   そこで、 ゴール を 達成 し た セルフ・イメージ の 記憶 を、 自分 の 過去 の 記憶 を 合成 し て つくり ます。 そう する と、 リアリティー が 増し ます。 もちろん、 少なくとも 物理的 な リアリティー と 同じ ところ までは、 リアリティー が 出 て くる こと に なる の です。   後 は、 それ を 何度 も 繰り返し、 同時に 高い セルフ・エスティーム を 築い て いく こと によって、 未来 の 記憶 の 方 が 目 の 前 の 現在 の 記憶 よりもより 臨場感 の 強い もの に なれなれ ば、 ゴール が 達成 さ れる、 という こと に なる わけ です。


では、この未来の記憶を定着させるのはどうすべきか?


ルー・タイス・プリンシプル では、 ワーズ、 ピクチャー、 エモーション の 相互作用 を 重視 し ます。   〜 自分 の 過去 の 情動 体験 を 語る と、 その 時 の 情動 が まるで 同じ こと を もう 1 度 体験 する かの よう に 呼び覚まさ れ ます。   言葉 は 必ず イメージ を 想起 さ せ、 イメージ は 必ず 情動 を 引っ張り 出す から です。 それ が、 言葉 が 本来 持っ て いる 強 さ です。   言葉 の イメージ 喚起 力 を 利用 する 最も 有効 な 方法 は、 アファメーション です。 自分 で それ を 書い て、 毎日、 読む こと です。 短期 的 な 視点 から 見れ ば、 アファメーション は 望ん で いる 結果 に 直結 し た 行動 を とる ため の ツール と いえ ます。

言葉、イメージ、情動を組み合わせて未来の記憶を作るのです。

さらに次のようにその具体的な内容が言われれいます。

人生 の いろいろ な 方向性 に対して、 まんべんなく ゴール を 設定 する という こと です。


まんべんなくとは以下のような項目を検討することです。

■バランスホイール
  • 家族
  • 健康
  • 先進的な健康
  • 社会性
  • キャリア
  • 老後
  • 結婚
  • 教育
  • コミュニティ・サービス
  • お金
  • 時間
  • 個人的な事柄

これでかなり具体的になりましたね!
未来の記憶を、過去のイメージや情動を駆使して言語化し、毎日語ることで臨場感を高めていくのです!

以上、私が実践するためにポイントだけをまとめました\(^o^)/
みなさんも是非やってみましょう。

個性は価値だと思う。

いくらニートで引きこもっていようが、いくら教育水準が低かろうが、いくら教養がなく一日中エロいことしかしてなくたって、いくら社会的善を追い求めようが、いくら自己の快楽にひた走ろうが、それはその人だけの個性である。いくら、同じマンションの隣で生まれ育っても、もしくは双子で同じ家で生まれ育ってもどんな似たような体験をしても、同じ経験をすることなどありえないから、個人は個性だ。

今のところ、個性というと、自分をうまく表現したり、人の意見に流されず自分の考えを押し通したりするようなときに「個性」というが、僕はそう思わない。みんなに個性がある。というか個性があるから個人が成り立つと言える。

いま世間でいう「個性」とは、社会を変えるとか、アート性を持つみたいな努力前提がある。そうではなく、個性とは、誰もがもつ性質なのである。

そうした個性を価値とみなせる社会が本当にいい。

アーレントが言っている活動とはこういう個性を表現しあい価値化していく活動だ。自分を試行錯誤し表現し、認められれば価値となる。現代と違うのは、大きな流れとして個性が定義されるのではなく、表現を通じて、みんなが違う中で、それでも共感を得るものが価値なのである。

こういう個性を価値化することは実存的に追い求めるものだから、これを社会的に実現したい。

今後のわれわれや世界の在り方は、どのような方向に進んでいくべきであろうか。ただただ目の前のことをこなす生き方はつまらない。どのような未来に自分がコミットするかを決めるべきだ。以下、大きな枠組みとして人間存在が今後どのように進んでいくべきかという三つの方向の型を概述する。どれも同時並行で進むであろうが、どこに軸があるかという話。

1 人間性キープ型
自由の相互承認を土台に、一人ひとりが個人を表現できる時代(今は表現どころか生存するのがやっと、あるいは生存できない人も大勢いる)。よりよいものを表現し、承認を重ねる。最低限の生活は保証されているが、承認の競争は残る。アーレントのいう活動が人間の条件となる。喜怒哀楽、波乱万丈に富んだ個性的な生が人間的である(よいもの)だと考える。ある意味ここに到達すれば人間社会は最終形態と考える。現在の状況からここに到達するために働かなくても生きていける社会がまず目指される。いわゆる知識人や文化人でこういう考え方の人が多いのではないか。

2 意識状態の最適化型
意識状態ベースでよい状態を定義し、それを実現する社会を目指す。行き着く先は生まれてから死ぬまでのあらゆることが仕組まれている(が最高に楽しい)完全に予定調和の世界。意識状態が全てなので人間という概念に固執する必要はない。『ウェルビーイングの設計』で書かれているような取り組みの徹底した実現。こうなるともしかしたら意識がどんどん閉じて消滅するかもしれない。SF小説『ハーモニー』で描かれるような世界。SF好き、現実離れした考え方を好む人が支持する。

ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術
ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ
ビー・エヌ・エヌ新社
2017-01-24





3 ガンガンいこうぜ型
あまり打算的にならず未知の面白そうなことにとりあえずガンガン取り組んでいく。人間がどんどん宇宙へ進出。事実的な道の領域で突き進む。意識のアップロード、仮想現実など。人間の概念に固執しないでただどんどん新しいこと現実化していく道。人同士のコミュニケーションも不要或いは任意と見なされ、今の人間存在と全くことなった在り方に変わる可能性を秘めている。ホリエモンや落合陽一氏など行動型で未来に希望を持つものが抱く型。

僕はどれだろう…

あなたはどうでしょう?

以下の人工知能の未来を問うNHKスペシャルで面白い場面があった。

 

ある企業の人事部では離職率を下げるために新入社員に定期的に相談の機会を設けている。人事は彼彼女たちにいろいろな質問をし相談に乗る。この結果を多く集め実際の離職のデータとともに解析する。さまざまなパターンを見出しAIは結果を導く(これをAIと呼んでいいのかは措く)。この結果は人間からは理屈が分からなかったが、後日AIの言う通りになるケースが頻発する。

人間は、こうしてAIの弾き出す結果に信頼を寄せるが、理屈も分からないでこれを信じ新入社員に対策を取ることに違和感を感じる。そもそもどうやって何をやってあげればいいのか分からないであろう(笑)

似たようなことは昔からあったはずだ。理屈は分からないがAIはそう言っている。こう言う場合どうすればいいのだろか。結局は感受性に依る。人事の相談レベルであればこれを鵜呑みにして、新入社員の相談を増やすなど対策を取るのは問題ないだろう。しかし、このドキュメントで紹介されているような刑務所の囚人に対する対応など重めの判断はかなり慎重にならざるをえない。

今後、人間のようにコミュニケーションの取れるAIが出て来るだろう。これらへの接し方も感受性次第だ。そもそも、原理的にわれわれは他者が意識を持つかどうか分からない。人間ですらそうなのだから、猫も犬も、サルも石も桜も意識を持つか否か分からない。それと面と向かって接してみて「意識を持たないモノ」として扱えるか否かの感受性に依る。

人間同士でも感受性はバラバラだ。先日の障害者殺害事件のように障害者をモノのように扱うような感受性を持つ反社会的な人間もいる。猫を子供のように可愛がり死んだら大泣きする人もいれば、猫を殺して食ってしまう感受性を持つ者もいる。結局は人間の感受性に依るのだ。映画herの主人公のように、姿形もない音声だけでも会話がうまくできれば恋をする。

今後、こうしたきわどい判断をしなければならない機会が増えるだろう。社会学者のユルゲン・ハーバーマスは、こうした変化にゆっくり着実に対応してゆこうと提言している。 

なぜ街に行きたくなるか。僕は昔から暇があると池袋の人混みを通り、そこそこ人のいるカフェで読書やぼーっとするのが好きだった。今もこうして新宿のカフェでぼーっとしている。

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こうやっていろんな人々がいるごちゃごちゃした都会が好きだ。上海にいるときもそうだった。

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なぜなのだろう。そこに生の本質を掴み取る契機があるのではないかと考えていた。

なぜ街に来てしまうのだろう。それが最近分かってきた。

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それは無根拠な生とう現事実を、人間という物語で忘れることができるからだ。いろんな見た目で色々な目的の人間が生きている。無根拠ながらそんなことは完全に忘却して自分の物語を生きる。各自それぞれが全く違うストーリーを持ち、それに没頭している。

街とは人間的なものだ。動物の世界にはない。人は何かの目的をもって街に来る。目的を探すという目的も含まれる。そこには人の「行為」の束がある。何かを意志して行う。申し開きできること。みんなが物語を生きている。

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そんな人々のいる、そんな人々が物語として作った街の中で見て、そして自分がその中にいることで無根拠の不安から逃れられるのかもしれない。

物語を作るのは欲望だ。こうした欲望の色が強ければ強いほどいい。池袋西口、新宿、上海。僕が好きな街はエロスに満ち溢れている。

ルンバは床を移動するだけだ。ルンバの前に片付けが必要。片付けは難しい。散らかった対象を認識し移動する。高度な技術がいる。しかし、これもAIとはいえない。同じように、冷蔵庫から材料を出し調理する料理ロボットもAIではない。

ではAIとは何か?人工知能。人間のようなコンピュータ、というのがもともとのニュアンスだろう。

では人間の本質は何か?

それは、意味と価値の世界を生きているということ。

これは<わたし>にしか分からない。<わたし>は少なくとも意味と価値の世界を生き、他の人間も同じだと確信を持っている。別の言い方をすれば質的なクオリアの世界を生きているということ。意識を持っていること。

それは外観や振る舞いから判断するしかない。

それゆえ、最終的には感受性である。

ルンバに愛着を持ち、感情移入してしまえばその人にとってルンバはAIとなる。

人はみな、被投的に始まってしまっている生を歩んでいる。被投的というのは要するに無根拠であり、神秘である。なぜ私が私としてこの色とりどりの世界を経験しているのか、誰も分からない。いや、誰もというか私は私のことしか分からないので、少なくとも私は分からない。でも、普段私(も他の人々も)そんなことは問わずに人間社会を生きている。

改めて考えてみると、私の生とは「いま、ここ」の持続、ウィリアム・ジェイムズ的にいえば「意識の流れ」がわれわれ各個人の生である。

この「意識の流れ」を「よく」したい。ポジティブなものにしたい。

と考えるのは、少し突き詰めて思考したらたどり着く考えではないだろうか。全てを自分の意識に還元するのだ。恋人や家族や友人のためというのも、結局はそれを思っていて最終的に嬉しい私に行き着く。

以下の本では、このように還元された意識内での「よいこと」を「ウェルビーイング」として、それをベースにサービスとか社会設計とか考えていくためにウェルビーイングをどう設計するかというエキサイティングな本である。

ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ (著)『ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術』。監修は、渡邊淳司&ドミニク・チェン、翻訳は木村千里 。

ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術
ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ
ビー・エヌ・エヌ新社
2017-01-24



アマゾンの頁での内容紹介は以下の通り。
人の「こころ」の領域にまでITが入り込んできた今、人間の潜在能力を高め、
よりいきいきとした状態(=ウェルビーイング)を実現するテクノロジーの設計、
すなわち<ポジティブ・コンピューティング>のアプローチが求められています。
近年注目されている「マインドフルネス」や「レジリエンス」、「フロー」なども
ウェルビーイングを育むための要因ですが、ではこういった心理的な要因とテクノロジーを、
どう掛け合わせることが出来るでしょうか。
本書では、ウェルビーイングに関する様々な分野の最新の研究成果を基に、
この問いを解き明かしていきます。
これからのテクノロジーの在り方や、向き合い方を考えるうえでの基盤となる一冊です。

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人間がよりよく生きるとはどういうことだろうか? 
心という数値化できないものを、情報技術はどうやって扱えばよいのだろうか? 
本書は、このような問いに答えようとする者に対して、示唆に富んだヒントを与えてくれるだろう。
(「監訳者のことば」より)
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大体想定していたことが書かれていたが、様々な具体的な情報や事例が出されておりこの分野について理解がとても深まった。面白かった部分を少し紹介し感想を述べる。本書で言われる「ウェルビーイング」という用語は、「心理的機能が人間として考えうる最適な状態にあることを強調した表現」であり、ポジティブ心理学の世界では広く受け入れられているようだ。ただ、この曖昧な定義をどう捉えるかについて3つのアプローチがある。
  1. 医学的アプローチ:精神機能障害がない状態
  2. 快楽的アプローチ:喜びの感覚の集合として(人生の何%がポジティブな感情で占められているか)
  3. 持続的幸福的アプローチ:人生に意義を見出し、自分の潜在能力を最大限に発揮している状態
の3つが現代のウェルビーイング理論の基盤となっているようだ。そしてここで取り上げられている理論はどれも単なる仮説ではなく、十分な実証的な裏付けがあるという。

少し細かく見ると、「快楽心理学」であればポジティブ感情の体験をもとにウェルビーイングを定義していく。カーネマンの議論も出てくるが、これは主観的ウェルビーイングである。研究方法は、もし幸せだという自覚があるなら、伝えてほしい、というもの。

ライフイベント、人生の満足度、充実度をはじめとする個人の人生に対する認知的評価と感性的評価からなり実際に国民総幸福量子数の開発に利用されているらしい。さらに時間軸の観点でいうと、個人の自己報告は「オンライン=リアルタイム」「想起」「長期間にわたる人生評価」の3つがある。

持続的幸福的アプローチは、エウダイモニア的アプローチとも呼ばれ、自律性、有能感、関係性を軸にした自己決定理論があり、さらに快楽的アプローチと組み合わせてフロー理論でお馴染みのチクセントミハイなどのポジティブ心理学、情動知能、仏教の心理学なども参照されている。

また、最後に生理学的に確認可能なウェルビーイングとして「生物学と神経科学」のアプローチも紹介されている。ここでは個人の感情を理解するために生理学的信号や脳信号を用い、遺伝子や身体の健康状態を調査したり、そうした生物学的システムと環境条件との相互作用を調査している人もいるらしい。脳波記録、筋電図検査、皮膚コンダクタンス、呼吸といった複数の生理システムの信号を使う。神経科学者は脳の電気的活動や科学的活動のパターンを特定しようとしている。

また、第2章ではブータンだけでなくイギリスやフランス、アメリカなども国家発展の尺度の見直しとしてウェルビーイングに取り組んでいることが紹介されている。第4章は、ウェルビーイングの決定因子として、ポジティブ感情、動機づけ&没頭、自己への気付き、マインドフルネス、心理的抵抗力・回復力、感謝、共感、思いやり、利他行動を挙げ、それをどうデザインしていくかという議論は本書の核であり、読み応えがある。また、第8章で紹介されている判断をともなわない注意「マインドフルネス」という概念は詳しく知らなかったので勉強になった。

さて、これを読んだ感想は、とても「心理学的」だということ。本書でいうポジティブコンピューティングの基本的なアプローチ方法はざっくり以下のようなもの。
  1. 主観を内省して、ポジティブだった意識状態を列挙→例えば上述の:ポジティブ感情、動機づけ&没頭、自己への気付き、マインドフルネス、心理的抵抗力・回復力、感謝、共感、思いやり、利他行動
  2. それらがどのように生じたのかを分析
  3. 分析結果を基にどうやってそれらを再現するかを研究
全て「現在の人間の感受性」で考えられている感が否めない。人間中心主義といえる。われわれは「スポーツの練習に没頭している」「家族や恋人と幸せな時間を過ごす」など経験的に学んだポジティブな状態を目指そうとする。というか、それ以外に「よいこと」をする際の指針はない。

しかし、われわれは環境や他の人や生物との相互作用の中で各個人が価値観や世界像を編み上げている。そして経験によりそれらは変わりつつまた新たな経験をするという循環。そこから何が言えるかというと各個人により何が「よいこと」になるかは違うということ。

そして、さらにいうとマルクスが主張したように生産性が向上したり人間関係が変わると下部構造により上部構造であるわれわれの感受性も変わる。例えばベーシックインカムが実現され、人との関係が薄くなっても生きていけるようになれば(極端な話)共感や感謝、思いやりなどはポジティブな状態に関係なくなるかもしれない。そもそもそのような存在の形態になったら、ポジティブな状態が気になっているか分からない。

よくSFで提起される問題だが、今の感受性では環境の変わった未来のわれわれの感受性はどうあがいても分からないのだ。それを予想しようとしている私は既に今の感受性で物事を考えている。だから何がいいたいかというと、こうした「心理学的」なアプローチがたしかに現時点では最も有効なのではないかと思っている、ということ。

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