記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)意識ファースト!意識がよければ何でもOK。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※基本殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

カテゴリ: 人間とは何か

ツイッターで話題になっていたので、佐渡島 庸平さんの『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜』 (NewsPicks Book) を拝読した。

著者のプロフィールはこちら。
佐渡島庸平 さどしまようへい
1979年生まれ。東京大学文学部を卒業後、2002年に講談社に入社。週刊モーニング編集部にて、『バガボンド』(井上雄彦)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『モダンタイムス』(伊坂幸太郎)、『16歳の教科書』などの編集を担当する。2012年に講談社を退社し、クリエイターのエージェント会社、コルクを創業。著名作家陣とエージェント契約を結び、作品編集、著作権管理、ファンコミュニティ形成・運営などを行う。現在、漫画作品では『オチビサン』『鼻下長紳士回顧録』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)『ドラゴン桜2』(三田紀房)等の編集に携わっている。従来の出版流通の形の先にあるインターネット時代のエンターテイメントのモデル構築を目指している。
http://qreators.jp/qreator/sadoshimayouhei



NewsPicks Bookで、他の落合陽一さん、メタップスの佐藤さん、コンサルタントの波頭さんの本が分かりやすく面白かったのでこちらも購入してみた。結果的に、個人としては本書が1番おもしろかった。その理由はおそらく、実存的な視点が重視されているからだと思う。今挙げた他の本は社会的でマクロな視点で書かれているので、自分の生にとっての「意味」という実存的な観点がない。

本書はその点で、自分はどう生きるべきか、というような誰もがもつ喫緊の課題が軸にあるように思えた。それは、

僕自身が幸せになるために、安心と自由の両方が確保されたコミュニティが必要なのだ。67


と言われているように、僕らの生にとっても最も重要な「自らの幸せ」を起点にしており、さらにそれは「安心と自由が確保されたコミュニティに属することで得られる」ということが著者の人間観の前提にある。

こうして本書は、

「自ら参加する、趣味を軸にしたコミュニティを持ったら、人はどのようになるだろう?」4

と、その「安心と自由が確保されたコミュニティ」の可能性を問う。

昔は村社会で社会が個人を包摂していたので安心であったが、自由がなかった。今は自由になったが社会の包摂がなく安心が得られない。

僕は本書の主題であるどうやって「幸せになるために安心と自由が確保されたコミュニティ」を作るか、よりも「どういうときに人は幸せになるか」という人間観のほうに関心があるので、本書の大半、つまりそのようなコミュニティの作り方(特に後半はこの前者の話題が中心であるが)は個人的にはあまり興味を持たなかった。

自由で安心なコミュニティに属することが幸せであることが前提にあると、次のことが言える。

「何を手に入れているか」よりも「何をやっている人か」「なぜやっているか」という理由のほうが重要になってきたのだ 33

つまり一般的な既存の仕事(高給取りのサラリーパーソンや金儲け目的でいろんなことをする中小企業の経営者など)をしていくら高級な嗜好品や資産を持っていても大して承認を得ることはできない。むしろ本当にやりたいことでもないくせに社会に合わせている痛い奴、と徐々にみんなは気づき始めている。既存のやり方であれば安心は得られるが、自由は得られない。

モノがなかった時代は、「何を持っているかの表明」が、その人を表した。モノが溢れ、すべての価値観が許容されていく中で、「個人の価値基準そのもの」に、アイデンティティが宿る時代がやってきたのだ。

これからは、物質の所有やヒエラルキー付き組織への所属ではなく自分は何を欲しいのか、何をいいと思うのか、それをわかりやすく表明している個人への注目が集まっていく。SNSでフォロワーを多く集めているのは、どんな価値観で生きてるかがわかりやすく、ブレない人だ。34

なぜか?なぜブレない価値観を提示できる人が人気を持つのか。

人間の欲望とは言葉で割り切ることはできない。それを何かしらの行為で発散することには原理的な矛盾がある。しかし、それは程度の問題でもある。ある欲望が社会に既にある何か(例えば、マッサージのサービスとか、ライブを観に行く活動とか)で満たされるとは限らない。既存のサービスは既に一般化(多数の人に受け入れられるように)されているので、一回性の生を生きる個人にドンピシャで合うことはない。

しかし、かといって人はその欲望を言葉にしたり、何か行為で解消することができるわけではない。

だから、

大多数の人は自分の欲望を型にはめてしか理解していないともいえる。自分の欲望の形を正しく理解している人はAmazonのように効率的なほうがいい。しかし、もしも、自分が何をしたいかを理解していなければ、コミュニケーションの中で、それを発見する仕組みのほうがいい。91

つまりありきたりの物語(ロールモデル)を追いかけている人にとっては、明確なサービスが求められるが、そうした既存の物語はしっくりこない人は、しっくりくるものを文脈の中で一回性の経験の中で見つけたいのだ。それゆえ、こうしたコミュニケーションの場を提供することが価値を帯びる。最近、カウンセリングやコーチングというような対話型のサービスが増えているのもこのためだろう。

それゆえ、今後求められるもの、別の角度からいうと、やれば人気を博することができるのは自分の欲望をどうにかして言葉にしたり、或いは形にできる人だ。

しかし、1番の価値は欲望を喚起できることだ。僕らはもはや何かを欲しいという欲望をなかなか自発的に持つことができない。コミュニティの中のコミュニケーションによって、欲望がゆるやかに喚起される。そして、非論理的なものが欲しくなる。もはや、僕達は、役立つものだけで心を満たすことができない。139

僕らはもう既存の商品やサービスでは満足できない。そこからこぼれ落ちるものを実現していくことに価値を感じる。そしてそれを実現する方法は2つ。一つは、そういう欲望を形にしている人を追いかける。もう一つは自分が頑張ってそういう言葉にできないものを形にする。

どちらにせよそれは多数の人間がそれらを吟味しあうコミュニティが必要である。安心で自由なコミュニティの中で人は幸せになれるが、そうしたコミュニティを作るには、既存のサービスやコミュニティでは満たされないものを形にして表現し仲間を集めるか、既存のものよりは自分の欲望を体現している人のコミュニティに入っていくか、この2つの道がある。

こうやって読むと、本書は実存的な視点で自分がどう生きるべきか、一つの指針を与えてくれる。

みなさん、ゴール設定しましょう。でっかり夢にコミットしよう。そうすれば日々のいろんなことが些細なことに見えてきて惑わされずにいきいきと大きなゴールに向かっていけます。

ここでは未来の記憶を作り、ゴールに臨場感を持つ方法を苫米地さんの本から紹介します。



この本は私が苫米地さんの本を10冊程度読んだ中では一番体系的にコーチングについて述べられています。

未来 の 記憶 とは 何 かと 言え ば、 ゴール の 世界 の 記憶 です。   そこで、 ゴール を 達成 し た セルフ・イメージ の 記憶 を、 自分 の 過去 の 記憶 を 合成 し て つくり ます。 そう する と、 リアリティー が 増し ます。 もちろん、 少なくとも 物理的 な リアリティー と 同じ ところ までは、 リアリティー が 出 て くる こと に なる の です。   後 は、 それ を 何度 も 繰り返し、 同時に 高い セルフ・エスティーム を 築い て いく こと によって、 未来 の 記憶 の 方 が 目 の 前 の 現在 の 記憶 よりもより 臨場感 の 強い もの に なれなれ ば、 ゴール が 達成 さ れる、 という こと に なる わけ です。


では、この未来の記憶を定着させるのはどうすべきか?


ルー・タイス・プリンシプル では、 ワーズ、 ピクチャー、 エモーション の 相互作用 を 重視 し ます。   〜 自分 の 過去 の 情動 体験 を 語る と、 その 時 の 情動 が まるで 同じ こと を もう 1 度 体験 する かの よう に 呼び覚まさ れ ます。   言葉 は 必ず イメージ を 想起 さ せ、 イメージ は 必ず 情動 を 引っ張り 出す から です。 それ が、 言葉 が 本来 持っ て いる 強 さ です。   言葉 の イメージ 喚起 力 を 利用 する 最も 有効 な 方法 は、 アファメーション です。 自分 で それ を 書い て、 毎日、 読む こと です。 短期 的 な 視点 から 見れ ば、 アファメーション は 望ん で いる 結果 に 直結 し た 行動 を とる ため の ツール と いえ ます。

言葉、イメージ、情動を組み合わせて未来の記憶を作るのです。

さらに次のようにその具体的な内容が言われれいます。

人生 の いろいろ な 方向性 に対して、 まんべんなく ゴール を 設定 する という こと です。


まんべんなくとは以下のような項目を検討することです。

■バランスホイール
  • 家族
  • 健康
  • 先進的な健康
  • 社会性
  • キャリア
  • 老後
  • 結婚
  • 教育
  • コミュニティ・サービス
  • お金
  • 時間
  • 個人的な事柄

これでかなり具体的になりましたね!
未来の記憶を、過去のイメージや情動を駆使して言語化し、毎日語ることで臨場感を高めていくのです!

以上、私が実践するためにポイントだけをまとめました\(^o^)/
みなさんも是非やってみましょう。

個性は価値だと思う。

いくらニートで引きこもっていようが、いくら教育水準が低かろうが、いくら教養がなく一日中エロいことしかしてなくたって、いくら社会的善を追い求めようが、いくら自己の快楽にひた走ろうが、それはその人だけの個性である。いくら、同じマンションの隣で生まれ育っても、もしくは双子で同じ家で生まれ育ってもどんな似たような体験をしても、同じ経験をすることなどありえないから、個人は個性だ。

今のところ、個性というと、自分をうまく表現したり、人の意見に流されず自分の考えを押し通したりするようなときに「個性」というが、僕はそう思わない。みんなに個性がある。というか個性があるから個人が成り立つと言える。

いま世間でいう「個性」とは、社会を変えるとか、アート性を持つみたいな努力前提がある。そうではなく、個性とは、誰もがもつ性質なのである。

そうした個性を価値とみなせる社会が本当にいい。

アーレントが言っている活動とはこういう個性を表現しあい価値化していく活動だ。自分を試行錯誤し表現し、認められれば価値となる。現代と違うのは、大きな流れとして個性が定義されるのではなく、表現を通じて、みんなが違う中で、それでも共感を得るものが価値なのである。

こういう個性を価値化することは実存的に追い求めるものだから、これを社会的に実現したい。

今後のわれわれや世界の在り方は、どのような方向に進んでいくべきであろうか。ただただ目の前のことをこなす生き方はつまらない。どのような未来に自分がコミットするかを決めるべきだ。以下、大きな枠組みとして人間存在が今後どのように進んでいくべきかという三つの方向の型を概述する。どれも同時並行で進むであろうが、どこに軸があるかという話。

1 人間性キープ型
自由の相互承認を土台に、一人ひとりが個人を表現できる時代(今は表現どころか生存するのがやっと、あるいは生存できない人も大勢いる)。よりよいものを表現し、承認を重ねる。最低限の生活は保証されているが、承認の競争は残る。アーレントのいう活動が人間の条件となる。喜怒哀楽、波乱万丈に富んだ個性的な生が人間的である(よいもの)だと考える。ある意味ここに到達すれば人間社会は最終形態と考える。現在の状況からここに到達するために働かなくても生きていける社会がまず目指される。いわゆる知識人や文化人でこういう考え方の人が多いのではないか。

2 意識状態の最適化型
意識状態ベースでよい状態を定義し、それを実現する社会を目指す。行き着く先は生まれてから死ぬまでのあらゆることが仕組まれている(が最高に楽しい)完全に予定調和の世界。意識状態が全てなので人間という概念に固執する必要はない。『ウェルビーイングの設計』で書かれているような取り組みの徹底した実現。こうなるともしかしたら意識がどんどん閉じて消滅するかもしれない。SF小説『ハーモニー』で描かれるような世界。SF好き、現実離れした考え方を好む人が支持する。

ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術
ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ
ビー・エヌ・エヌ新社
2017-01-24





3 ガンガンいこうぜ型
あまり打算的にならず未知の面白そうなことにとりあえずガンガン取り組んでいく。人間がどんどん宇宙へ進出。事実的な道の領域で突き進む。意識のアップロード、仮想現実など。人間の概念に固執しないでただどんどん新しいこと現実化していく道。人同士のコミュニケーションも不要或いは任意と見なされ、今の人間存在と全くことなった在り方に変わる可能性を秘めている。ホリエモンや落合陽一氏など行動型で未来に希望を持つものが抱く型。

僕はどれだろう…

あなたはどうでしょう?

以下の人工知能の未来を問うNHKスペシャルで面白い場面があった。

 

ある企業の人事部では離職率を下げるために新入社員に定期的に相談の機会を設けている。人事は彼彼女たちにいろいろな質問をし相談に乗る。この結果を多く集め実際の離職のデータとともに解析する。さまざまなパターンを見出しAIは結果を導く(これをAIと呼んでいいのかは措く)。この結果は人間からは理屈が分からなかったが、後日AIの言う通りになるケースが頻発する。

人間は、こうしてAIの弾き出す結果に信頼を寄せるが、理屈も分からないでこれを信じ新入社員に対策を取ることに違和感を感じる。そもそもどうやって何をやってあげればいいのか分からないであろう(笑)

似たようなことは昔からあったはずだ。理屈は分からないがAIはそう言っている。こう言う場合どうすればいいのだろか。結局は感受性に依る。人事の相談レベルであればこれを鵜呑みにして、新入社員の相談を増やすなど対策を取るのは問題ないだろう。しかし、このドキュメントで紹介されているような刑務所の囚人に対する対応など重めの判断はかなり慎重にならざるをえない。

今後、人間のようにコミュニケーションの取れるAIが出て来るだろう。これらへの接し方も感受性次第だ。そもそも、原理的にわれわれは他者が意識を持つかどうか分からない。人間ですらそうなのだから、猫も犬も、サルも石も桜も意識を持つか否か分からない。それと面と向かって接してみて「意識を持たないモノ」として扱えるか否かの感受性に依る。

人間同士でも感受性はバラバラだ。先日の障害者殺害事件のように障害者をモノのように扱うような感受性を持つ反社会的な人間もいる。猫を子供のように可愛がり死んだら大泣きする人もいれば、猫を殺して食ってしまう感受性を持つ者もいる。結局は人間の感受性に依るのだ。映画herの主人公のように、姿形もない音声だけでも会話がうまくできれば恋をする。

今後、こうしたきわどい判断をしなければならない機会が増えるだろう。社会学者のユルゲン・ハーバーマスは、こうした変化にゆっくり着実に対応してゆこうと提言している。 

なぜ街に行きたくなるか。僕は昔から暇があると池袋の人混みを通り、そこそこ人のいるカフェで読書やぼーっとするのが好きだった。今もこうして新宿のカフェでぼーっとしている。

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こうやっていろんな人々がいるごちゃごちゃした都会が好きだ。上海にいるときもそうだった。

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なぜなのだろう。そこに生の本質を掴み取る契機があるのではないかと考えていた。

なぜ街に来てしまうのだろう。それが最近分かってきた。

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それは無根拠な生とう現事実を、人間という物語で忘れることができるからだ。いろんな見た目で色々な目的の人間が生きている。無根拠ながらそんなことは完全に忘却して自分の物語を生きる。各自それぞれが全く違うストーリーを持ち、それに没頭している。

街とは人間的なものだ。動物の世界にはない。人は何かの目的をもって街に来る。目的を探すという目的も含まれる。そこには人の「行為」の束がある。何かを意志して行う。申し開きできること。みんなが物語を生きている。

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そんな人々のいる、そんな人々が物語として作った街の中で見て、そして自分がその中にいることで無根拠の不安から逃れられるのかもしれない。

物語を作るのは欲望だ。こうした欲望の色が強ければ強いほどいい。池袋西口、新宿、上海。僕が好きな街はエロスに満ち溢れている。

ルンバは床を移動するだけだ。ルンバの前に片付けが必要。片付けは難しい。散らかった対象を認識し移動する。高度な技術がいる。しかし、これもAIとはいえない。同じように、冷蔵庫から材料を出し調理する料理ロボットもAIではない。

ではAIとは何か?人工知能。人間のようなコンピュータ、というのがもともとのニュアンスだろう。

では人間の本質は何か?

それは、意味と価値の世界を生きているということ。

これは<わたし>にしか分からない。<わたし>は少なくとも意味と価値の世界を生き、他の人間も同じだと確信を持っている。別の言い方をすれば質的なクオリアの世界を生きているということ。意識を持っていること。

それは外観や振る舞いから判断するしかない。

それゆえ、最終的には感受性である。

ルンバに愛着を持ち、感情移入してしまえばその人にとってルンバはAIとなる。

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