「語用論」という言語学に一分野がある。

この学の研究目標は、「会話の含意を解明する」ことにある。
例えば、ある学生2人のやり取りで次のようなものがあったとしよう。

「今日カラオケいかない?」
「明日課題の締め切りなんだよね」 

これは字義通りに取ると、論理的ではない。でも現実では通じる。

字義通りの解釈は、言語学でも「意味論」が扱う。語の意味を明らかにし、それらが組み合わさって作られる文の意味構造を取り出してくれる。言内の意味としての表意。

しかしこれは文の表面的な言内の意味(表意)にしかすぎない。その分が用いられる場面に応じて文中に閉じ込められた含意、すなわち、裏面的な言外の意味(推意)を引き出すことができて、初めて文全体の意味を理解したことになる。

そこでこのような言外の意味としての推意を研究対象とするのが「語用論」である。

語用論の中にも様々な理論があるが、ここではイギリス出身の哲学者・言語学者のポール・グライス(Herbert Paul Grice 1913年 - 1988年)の「推意」について述べる。

冒頭のカラオケに行こうという会話だが、これをどう分析するか。

「今日カラオケいかない?」
「明日課題の締め切りなんだよね」 

 一見関係がないように思えるが、推意を働かせれば両者はつながってくる。その理解の説明としてグライスは協調の原理という会話において前提とされているある原理を導入する。例えば、「十分な根拠のないことをいうな、明快な言い方をせよ、あなたの貢献を関連のあるものにせよ」など、会話に参加するものは、この協調の原理に従っているとする。

さて、ここからは個人的に思ったことを書きたい。

冒頭の例のように、なぜ人は直接に答えないのか?意味論的に冒頭の質問に答えるなら、「行かない。なぜなら忙しいから」のような感じになるだろう。

ではなぜ直接言わないのか?

補助線としてレビンソンの指摘が役に立つ。レビンソンは「推意」の意味は「取り消し可能性」がある、という。上の例でいえば、「明日は課題がある」といえば、まだ「行かない」と断ったことは決定的ではない。場合によっては変更できる可能性がある。

簡潔に言えば、これは人間関係を円滑にするための知恵である。

人は個人個人自分の欲望にしたがい企投的意図を実現するために言語を使う。そのために、各人の意図すべては同時に満たされないので調整が必要となる。さもなければ対立してしまう。

取り消し可能性を残しつつ自分の意図を伝えることで、この対立を避けている。だから推意で探りながら取り消し可能性を保持しながら進めていく。カラオケの誘いの例でも、誘い手が本当に心の底から行きたくて誘ってくれば、OKと答えて行く可能性も残している。

こうして考えると、「粋な表現」とは何か、というのも見えてくる。それは、直接的に言うと人に害や不快感を与えてしまうことを、取り消し可能性を保持し遠回しに言う、ということだ。いいかえれば、いかに協調原理から離れた推意を作るか、ということ。いかに協調していると見せつつ、協調を逸脱した言語行為をするかということなのだ。