人間と動物の違いは理性であるということを聞いたことがあるだろう。

理性とは本能を抑えることであり人間特有のものと言われているが、私の解釈は違う。
人間は本能に従い生きている。

動物は生きていくために、道具を使わない。もちろん堅いものを割るのに石を使ったりすることはあるが、こういうことではない。

人間は生活を安定させるために、集団生活をし、また分業をし、よりよい生活を求めた。その結果社会ができ、今のあらゆる便利な製品・サービスが溢れた現状になっている。

これらは全て一人の人間からしたら道具の延長なのだ。アマゾンで本が発注できたり、近所の蕎麦屋でカツ丼を食べるのも全て自分本位な社会という名の道具なのだ。

では、例えば飢え死にしそうな人間が目の前にある他人の飯を食べないのは理性ではないのか、という疑問が出るかもしれないが、今述べたことを考慮すればこれは本能に従ったに極まりない。

説明すると、この人はカツ丼を勝手に食べて問題を起こして社会からの評価を失うと、他の社会で得られる道具に悪い影響がでるのを知っているのだ。勝手に食べて問題になって、警察にお世話になったりしたら罰則があり、それが自分の生活や使える道具に影響するからだ。

本能に従い自分に都合のいい選択をしているだけなのだ。

ここで重要な考え方は、人間は一人で生きているのではなく、自分が生きるために集団により活かさせれいるのだ。考えてみると今、自分の生活で関わっているもの、家にあるものや学校、会社などで受けるサービスや経験は、いろいろな人の営みにより支えられている。

しかも今グローバル化が進む中、世界=自分になりつつあるのだ。世界中すべてが自分の手となり足となる道具ということである。だからこれからさらにグローバル化が進み、世界の利害関係が一致してくると、地球で起きていること全てが自分の道具となり社会となり、自分自身となる。

昔、石を使って堅い殻を割っていた人間の道具の利用が、今世界中の人間の行動全てが自分の道具となりつつあるのだ。自分=社会で生きている感覚を意識する必要がある。何故ならいまは地球規模であらゆるモノ、サービス、金、人が動き回り、それが加速しているからだ。

環境問題や貧困問題などのグローバルな問題の解決に目を向けることは自分の社会の利益に繋がることを理解したほうがいい。