記述の基体(がらくた)

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カテゴリ: 中国

昨日、中国では「2016,习近平在世界舞台」と題して各メディアで習近平の2016年の外交のまとめが公開された。
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CCTVが作った3分程度の動画で、「看中国大国地位的塑造与提升! 」と「中国大国の確固たる地位の確立と向上を見よ!」と強気のメッセージ。

オバマと何回会ったとか、プーチンと何回あったとか、中東といくつの文書にサインしたなど外国での活躍をまとめたものです。

中国の[朋友圈]を拡げるために今後も取り組む、と締められています。

動画は短いので中国語の勉強のためにも是非観てみましょう!

今日から中国は春節が終わり仕事が始まります!頑張りましょう。 

新年快楽〜!

明けましておめでとうございます。

昨日は中国の大晦日、除夕でしたね。

多くの中国人は日本でいう紅白歌合戦みたいな番組「春节联欢晚会」(通称:春晩)を観て過ごしたのではないでしょうか。

毎年日本ではニコニコ動画がライブ放送をしているようですが、今年はYouTubeでもやってましたね!(以前からかも)私も少し観てましたが、ひたすら派手な演出で歌っているだけだったのですぐあきました。子供の頃の思い出とかもないですし。。

中国人の友人に連絡してみたら、聞いた3人は誰も「春节联欢晚会」を観てませんでした(笑)既に寝ている人もw

みなさま、今年もどうぞよろしくお願いします。

以下、6時間近くの「春节联欢晚会」が観れますよ〜(^^)

 

今日は、中国の大連で現地採用で働く若者たちの動画を紹介したい。

動画内には日本語教師は出てきませんが、もし日本語教師として中国へ行くなら、中国での生活の参考になるでしょう。正直、日本語教師の中国での給料や待遇は、ここに出てくるコールセンターでの仕事などと同等かそれ以下であることが多いです。もちろん、もっといいこともありますが、稀です。

これはyoutubeにアップされていた、フジテレビで2012年8月22日深夜に放送された「サヨナラニッポン~若者たちが消えてゆく国~」という番組のようです。このタイトルだと、日本に未来ないから若者が積極的に海外に出ていくみたいに見えるが、内容は日本で職がなく仕方なく中国にきた若者たちについて。

僕は同じく2012年の6月から約4年に渡って中国に駐在していたのでなんとも感慨深い思いで観ていました。
 
今、日本からの問い合わせの電話の一部が、中国・大連に転送されている。電話を受けるのは、現地採用された時給300~500円で働く日本人。彼らは日本を捨てたのか?それとも日本に捨てられたのか?加速する若者たちの「日本離れ」の実態を追う。

というのが番組の宣伝文。何か暗め。月収10万円以下でも豪華なマンションに住み、いい生活できる感じを演出していたが、一方貯金もできずスキルも大して深まらず、日本語のうまい現地の中国人に仕事を取られかねない姿を描いる。

ここに出ている数人の誰もが中国語をうまく使えていない。そして営業なりエンジニアなりスキルを持っていない。ただ「日本語」が話せること「言われたことをやる」ことだけ。それでもしっかり給料もらって普通の暮らしができる、これが日本人アドバンテージです。

もちろん、日本の年金は払ってないだろうし、中国の民間の医療保険に入ってないだろうから何かあったらまずい。といっても、中国の病院には中国語ができれば安く行ける。年金については、まずは貯金で頑張るしかない。40歳前くらいまでに安定した仕事を見つけないと将来はたしかに不安になるだろう。

中国語を学び、自分から仕事を深めていく姿勢があれば必ず待遇はよくなるでしょう。10万円の給料を30万円くらいにするのは間違いなくできる。さらに工夫すれば中国であれば青天井。もちろん、努力が必要!

ちなみにこれは2012年の大連であるが、2016年の今の上海であれば日本人であれば日本語教師で7000元(12万円弱)、営業で1万元(15万円)、会計や営業、管理職なら2万元(30万円)くらいの印象。家賃は安いの狙えば3000元〜、って感じ。あまり貯金はできないだろうが、数年後にスキルと語学力をつければ2,3万元は行くでしょう。

中国で働くのであれば、まずは中国語を頑張りましょう。そして日本語教師として働くなら、生徒の日本語力を高め、評判がよくなり生徒が増えれば昇給や転職、独立など生活水準を上げる方法はいくらでもあります。その道を極めることが肝心ですね。

  

アパ(APA)ホテルについて「同ホテルグループ代表が執筆した、南京大虐殺や慰安婦を否定する内容の本が全客室に置かれている」と、アメリカ人女性と中国人男性の大学生2人が1月15日に中国のSNS「微博」に動画を投稿、中国のネットユーザーを中心に批判が広がった。

正直、こうした歴史問題には詳しくないが、南京に半年以上住んでいたものとしてこれについては一言申し上げたい。

報道やSNSではアパグループが「南京大虐殺は存在しなかった」と主張したという20文字くらいに情報が圧縮され文脈から切り取られ社会全体に拡散されている。それだけ見たなら誰でも、「けしからん」となるだろう。

さて、新聞や雑誌やネットの記事でどれだけの媒体が、実際の本の内容を忠実に掲載したのだろうか?原本を見ることができないので、アパグループが自ら1月17日、サイトに見解を発表した内容に掲載されているところから主要部分を引用しよう。
本書籍の中の近現代史にかかわる部分については、いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです。国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたものです。したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます。なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています。  

『本当の日本の歴史 理論近現代史学』P6
二、南京三十万人大虐殺

 中国は日本軍が南京で三十万人を虐殺したと主張しているが、そもそも当時の南京市の人口は二十万人であり、三十万人を虐殺し、その一ヶ月後には人口が二十五万人に増えていたなどあり得ないことだ。しかも国民党中央宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもないことなど、更には、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていないことなどから、いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである。 

文末の赤字が彼らが「南京大虐殺はなかった」という主張を支持する根拠である。まず、これ自体ほとんど報道されていない。

ハフィントンポストは一部を次のようにまとめている。

本ではホテルや観光の話に加え、南京大虐殺について虐殺された人数の「計算が合わない」、また慰安婦については抗議記録が「全く存在しない」ことから、「中国も韓国も自分たちの行動を棚に上げて、これらの虚構に基づく日本への非難を繰り返す」などと記している。

これでも結構要約されており、「無根拠に近い」感じを演出しているようにみえる。では、実際はどうか?上記の赤字をまとめると「中国が主張するような30万人を大虐殺したという南京大虐殺はなかった」ということの主張として、以下3つを挙げている。
  1. 南京市の当時の人口のデータから考えるとおかしい
  2. 国民党中央宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもない
  3. 上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていない 

これは検証可能性を提供しているので根拠としてはふさわしい。要は、関心がある人はそれぞれについて反証できるのである。さらに、もっと下の方により詳しく根拠が10つも列挙さている。文末に引用しておく。

彼らがこのように根拠を提示して主張しているのであれば、反論する側はこれらの根拠について攻撃すべきである。南京市の人口のデータとはどこが出していて、今どこにあるのか?ほんとうに雇われた二人以外に第三国の情報はないのか?教授が論文により辞職させられていないのが、南京大虐殺がなかったことにどう論理的に繋がるのか?などと問うべきである。

もちろん、ある程度定説化しつつある証拠がこの論争にはあるのだろう。それについては私は詳しくない。ただ、いちおう上記引用の最初の赤字の通りアパグループは理を入れている。それに、こうした歴史的な問題というのは真実はどうやっても分からないのだから、不断に真実を問う姿勢が必要なのである。

以下に、問題の発端となった動画があるが、このリポーターみたいな女性は原本を読み上げてはいるが、この根拠部分を読み上げた後、何もコメントしていない。そして、まとめとして「南京大虐殺はなかった」と主張していると一言に集約している。

さて、問題があるのは一体誰なのでしょうか?

 

以下、引用元 https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

理論 近現代史学 

数々の事実を付き合わせ、あり得ることかあり得ないことか考えて、矛盾なく、理論的に説明ができる近現代史が、理論近現代史である

「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々

1.まず、「『南京大虐殺なること』に関する『犠牲者名簿なるもの』は唯の一人分も無い。」(上海大学歴史学部・朱学勤教授による。平成十九年十二月二十日付産経新聞)。この一点だけ捉えても「南京大虐殺なること」が如何に荒唐無稽な作り話であるかは既に立証された様なものである。(仮に、「南京大虐殺」なることが真実であるならば、「三十万人」という数字の何割かの「犠牲者名簿」が存在しないはずがない。) 

2.「南京大虐殺」の犠牲者は、「三十万人」ということになっているが、日本軍が南京を制圧した昭和十二年十二月十三日当時、南京市内には、約二十万人の民間人しかいなかったという記録があり、併せて、約一カ月後、昭和十三年一月十四日の時点では、人口が五万人以上増えて、約二十五万人~三十万人になっていたという「南京安全区国際委員会記録」が残っている(田中正明著『南京事件の総括』二十九頁)。 

3.日本軍が南京を占領する約一カ月前、昭和十二年十一月より翌年の九月迄、蒋介石率いる国民党は、ほぼ毎日の様に、欧米のマスコミ関係者を集めて、記者会見を開き、日本軍に対するイメージダウンの目的で、日本軍の不法行為等について嘘八百の発表、宣伝工作を続けていた。そして、その回数は延べ三〇〇回にも及んだという。処が、当時、国民党は「南京大虐殺」などという事を一度も言ったことが無かったという。何故か?それは、その様な事は全く起きていなかったから言わなかっただけである。仮に、当時、南京で「大虐殺」が起きていたならば、其の事を其の記者会見の場で取り上げないはずがなかったであろう。 

4.「南京大虐殺記念館」等に展示されている写真は、全て合成写真または、「通州事件」等、中国人が日本人を虐殺した写真を始めとする、全く別の写真であることが、東中野修道教授(亜細亜大学)によって証明されている。もしも、南京大虐殺なる事が真実であるならば、その証拠写真が一枚も無いはずがない(東中野修道・小林進・福永慎次郎共著『南京事件「証拠写真」を検証する』草思社)。 (所謂)「南京大虐殺なること」が有ったと問答無用で決めつけたのは、「極東国際軍事裁判」、(所謂)「東京裁判」の中である。それでは同裁判の内容は一体如何なるものであったのか?  東京裁判を傍聴した冨士信夫氏は、『南京大虐殺はこうしてつくられた』(展転社)の中で、「南京大虐殺」なることが全くの虚構であることを裁判記録として記している。 

5.朝日新聞は昭和十二年十二月二十日の朝刊半頁を費やして、『甦る平和都市南京』と題する(平和この上ない、当時の南京の)写真特集を掲載している。この風景こそ虐殺否定の何よりの証拠と言えよう(『南京大虐殺の総括』三十二頁)。 

6.「南京に大虐殺が有ったと言う様な記録は、中国側の第一級公式資料である何應欽上将の軍事報告の中にさえ、その片鱗も見出せない。」(『南京事件の総括』八十二頁)。 

7.「当時、朝日、東日、読売、日経、など全国紙の各支局を始め、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣していた。これらのプレスマンが異口同音に言うことは、『東京裁判で、南京でのあの様な事件が有ったと聞いて驚いた。』」(同百十一頁)。 

8.「中国国民党が、作り話を含めて、日本軍の不法行為を糾弾する為に、一九三八年七月七日、国民党の中央宣伝部が「印刷」した蒋介石の『国民に告ぐる書』のどこを探しても、そこには『南京大虐殺』の文字は見当たらない」(同二百九十六頁)。 

その他、多々ある。

前回同様、今回も早稲田の中国関係の著名人を紹介しよう。

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こちらの美少女も実は早稲田卒!詳しくは以下

早稲田大学の人物ということでWikipediaに早稲田の卒業生や教授など関係者がリストアップされている。基本的に既にWikipedia内にページのある個人が対象となっている。

ここで、「中国」に何かしら関係している人物をピックアップしてみよう。早稲田には一体どんな中国関係の有名人がいるのか?

今回は、政治、ジャーナリストや芸能関係の著名人。
 

■主に戦前に活躍した政治家,元国会議員
1,宋教仁 - 中国革命運動家,政治家

宋 教仁(そう きょうじん)は清末民初の革命家・政治家。湖南省桃源県の小地主の家に生まれる。字は得尊、号は敦初。漁夫などの書名を用いた。

幼少より私塾で学び、1900年には生員の資格を得る。1903年に黄興と知り合った後は排満革命思想に目覚め、黄興、陳天華らと共に華興会を創設し副会長に選出された。1904年、西太后の誕生日に合わせ蜂起計画を立てるが清朝当局に露見し計画は失敗、同年末日本に亡命する。
日本亡命期間中は1905年6月に法政大学に入学、雑誌『二〇世紀之支那』を発行する。7月、宮崎滔天により孫文を紹介され。8月には広東派の興中会、浙江派の光復会、湖南派の華興会が合併して中国同盟会が成立する。12月、文部省の「清国留学生取締規則」に抗議して陳天華が自殺、宋教仁は遺体を引き取りに行き、留学生の帰国を訴える。1906年、早稲田大学留学生予科に学ぶ。1907年3月、大陸浪人古河清らと馬賊工作のため満州に赴く。夏、日本に帰る。1908年、『間島問題』を著す。1910年末、帰国する。1911年7月、中国同盟会中部総会を設立する。
同年10月、武昌蜂起が発生すると宋教仁も武昌に入った。11月、北一輝と上海に滞在、また各省都督代表連合会に湖南省都督府代表として出席。翌1912年1月、中華民国が成立し孫文が臨時大総統に就任した。翌月宣統帝が退位して清朝が滅亡、さらに翌月、孫文に代わって前政権の実力者であり、大きな軍事力を持つ袁世凱が臨時大総統に就任した。
しかし、袁は彼を大総統につかしめた革命勢力を好まず、インフラ整備などの近代化政策を自らの手で強権的に進めようとした。宋は最高権力者が専権を振るう状況よりも、議院内閣制に基づいた法による統治、大総統の権限を制限することが、中国を安定させしめると考えた(詳しくは後述)。そこで革命組織を改組して国民党を組織、事実上の党首として活躍、同年12月の選挙では圧勝した。
この間、袁世凱は宋の懐柔を図るがことごとく失敗した。業を煮やした袁は刺客を放ち、1913年3月、上海駅頭で宋を射殺した。なお、宋教仁の唯一無二の理解者であった北一輝は、宋暗殺の刺客を放ったのは孫文であったとしている。 
 
2,陳独秀 - 中国共産党創設者の一人

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陳 独秀(ちん どくしゅう)は、中華民国の革命家・ジャーナリスト・政治家。字は仲甫、号は実庵。中国共産党の設立者の一人で、初代総書記に選出された。

■生い立ち
1879年、安徽省懐寧県(現在の安慶市)で生まれる。生家は「義門陳氏」「安慶望族」などと称される儒教的な名望家であり、一族には「秀才」「挙人」といった科挙の称号を持つ者が多かった。陳独秀の父親は生後数ヶ月で死に、かわりに祖父の陳章旭のもとで儒教経典を厳しく教え込まれる。祖父は陳独秀をよく叩いたが、頑として泣こうとしない気の強い性格を見て、「こいつは将来大人になったら必ず人殺しの不届き極まりない凶悪強盗となるに違いない。まさに家門の不幸だ!」と罵ったという。郷里の試験である院試に17歳で合格して「秀才」の称号を得るが、郷試の試験場だった南京の街の寂れと、試験会場の荒廃ぶりに深く失望する。その直後に梁啓超らの変法自強運動の存在を知り、その政治改革の主張に影響を受けて科挙を放棄する。

■評価
陳独秀は中国共産党の創設者であり、毛沢東や魯迅、孫文、蒋介石など近代中国史上の重要人物で彼と関わりのない人物はいないといってよく、新文化運動、五四運動、国民革命など1910年代から20年代にかけての中華民国史の流れの常に中心にいた。特に毛沢東にとって、陳独秀は『新青年』や共産党組織という活動の場を提供した重要人物である。しかし陳独秀の名は一般的にはそれほど有名ではなく、評価もあまり芳しいものではなかった。その理由は、一つには国民革命の失敗とトロツキストへの「転向」によって中国共産党の公式史観から否定的に評価されてきたこと、もう一つは思想そのものが西洋からの表面的な直輸入で独自性や深みがあまりに乏しく、研究対象としてあまり魅力的と思われてこなかったことが挙げられる。
 
性格的にも、正しいと思ったことは衝突を厭わず強引に押し通そうとする直情型のタイプであり、ある雑誌や組織を立ち上げる段階では力を発揮するものの、それを粘り強く指導していく実務的な能力には欠けていた。それまで信じていたものに失望しては新しいものに飛びつくという「転向」の多さも、彼の評価を著しく低いものにしている。彼自身も晩年の書簡では、儒教からコミンテルンに至るまで権威であれば何でも反抗した人生を自省し、「適之兄(胡適)が私を『終身反対派』と呼んだが、まさにその通りだ。ただ故意にそうなっているわけではなく、事が迫るとどうしてもそうせざるを得なくなってしまうのである」と、自嘲的に述べている。
 
ただし陳独秀のこうした激動の人生の軌跡は、中華民国期の政治社会史を理解する上で非常に魅力的な題材を提供していることも確かである。事実、近年中国では彼を扱った伝記が多く出版されている。 
 
3,李大釗 - 中国共産党創設者
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李 大釗(り たいしょう)は中華民国の政治家。中国共産党創設の主要メンバーの一人で、中国国民党第一回中央執行委員。

■人物
1913年(民国2年)、天津北洋法政専門学校卒業後、早稲田大学政治学科に入学、社会主義思想に触れた。1914年(民国3年)には神州学会を組織し、反袁世凱活動を開始した。翌年、対華21ヶ条要求が出されると留日学生名義で『全国の父老に警告す』を発表し、中国人に対し「破釜沈舟の決心」で日本に抵抗するよう啓蒙活動を行っている。1916年(民国5年)5月に帰国し、北京で『晨鐘報』を創刊し編集長に就任している。その後『甲寅日刊』の編集に就任、後の新文化運動へと発展させた。1917年(民国6年)から蔡元培により北京大学の経済の教授と図書館長に任命された。1919年には論文『大亜細亜主義与新亜細亜主義』で新アジア主義を掲げてアジア連邦を説いた。
 
1920年(民国9年)、中国での共産党結党を目的にコミンテルン極東支局から訪中したヴォイチンスキーに便宜を図り、上海における共産指導者陳独秀との会見を実現、同年8月に、ヴォイチンスキー、陳独秀、李漢俊、沈玄龍、兪秀松、施存統などと協力し中国共産党結党準備が進められマルクス思想学説研究会を組織、10月には鄧中夏、高君宇、何孟雄らと北京共産主義小組を結成している。中国共産党結党後は第2期から第4期まで中央委員に就任した。1922年(民国11年)、李大釗はコミンテルンからの指示に従い上海に赴き孫文と会見している。
 
1924年(民国13年)、国共合作に参加、李大釗は中国国民党第一回全国代表大会に出席し国民党に個人レベルで入党し、国民党第一回中央執行委員に就任した。1925年(民国14年)、北洋政府による共産主義弾圧が行われると駐華ソ連大使館に保護を求めている。1927年(民国16年)3月南京事件が北京へ波及することを恐れた列強は、南京事件の背後に共産党とソ連の策動があるとして日英米仏など七カ国外交団が厳重かつ然るべき措置をとることを安国軍総司令部に勧告した。[要出典]その結果、4月6日にはソ連大使館を目的とした各国公使館区域の捜索が行われ、張作霖はソ連大使館に軍隊を派遣、大量の武器を保有し中華民国に反対する活動を行っているとされ李も逮捕、軍法会議に送られた。軍法会議では1名を除いた19名が、4月28日「ソ連と和し、外国に通謀しているという」罪で絞首刑に処された。
 
李大釗処刑後、死体は北京香山万安公墓(zh)に埋葬された。1983年には万安公墓に隣接して李大釗烈士陵園が設置された。李大釗の長子、李葆華(1909-2005)は後に、中華人民共和国の要職につき、中国人民銀行行長(1978-82)に就任した。長女、李星華は作家になった。



ジャーナリズム・評論
 
4,岩村三千夫 - 中国問題評論家,元読売新聞論説委員

岩村三千夫(いわむら みちお、1908年6月8日‐1977年)は、中国問題評論家。 新潟県生まれ。早稲田大学卒業。中国研究所理事。
Wikiに記述は少ないが、著書は多い。何冊か探して読んでみよう。

芸能・その他

5,段文凝 - タレント,テレビで中国語ネイティブゲスト

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段 文凝(だん ぶんぎょう)は、日本で活動する中国出身のタレント。スカイコーポレーション所属。 来日前は中国でナレーターやアナウンサーをしていた。身長160cm。血液型B型。

■来歴
天津師範大学卒業後、2009年まで中国の天津電視台の所属タレントして、主に司会やナレーションを行う。
2011年4月より、中国文化芸術センター株式会社より推薦され、NHK『テレビで中国語』にレギュラー出演中。また、2011年4月より、留学生として早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコースに在学し、2014年3月に卒業。
2011年10月、東京国際映画祭『東京・中国映画週間』の司会を担当。
2012年から2年間にわたって中国語コミュニケーション能力検定(TECC)のイメージキャラクターを担当。[3] 2012年11月から2013年8月までWEN YOU CHINESE ACADEMYで中国語講座の講師を務める。中国語eラーニング教材「超速中国語PLUS」にも講師として出演。
2012年8月から2014年7月までフェザンレーヴに所属。
2013年3月1日発売のイメージDVDにおいて、メイド服、セーラー服などのコスプレや水着姿を初披露した。
2013年5月2日放送 『吉田照美 飛べ! サルバドール』(文化放送)の外中継コーナー「飛び出せ! 子ザル」で、番組内での愛称が「ぶーりん」と決定された。
2013年5月5日[7]、Twitter に加えてブログを開始。
2014年2月、映画『トレインヒーロー』の宣伝大使に就任。
改めてみるとやっぱりかわいい。

意外なことに1983年生まれと自分より年上だった!
(とあるブログの推測ですが。。)

今後も日中の平和に向けて活躍していただきたい。
 
6,中野清 - 中国文学者,元代々木ゼミナール講師
 
中野 清(なかの きよし 1948年 - )は、日本の中国文学者。元代々木ゼミナール漢文科講師。
 
桜美林大学卒業。早稲田大学大学院修士課程・東京都立大学大学院博士課程修了。早稲田大学、専修大学、相模女子大学などの非常勤講師。
著書『ガッツ漢文』シリーズの中では、古文文法に基づく従来の漢文教育を痛烈に批判し、現代中国語に即した語学としての漢文教育を主張している。
中国文学研究者として、当初は現代文学の柔石を研究していたが、近年は『子不語』など古典小説に研究対象を移している。
ラストを飾るのは、元代ゼミ漢文講師の中野清!
アカデミック過ぎる大学教授だと一般人に接点がなさすぎるので、こういう専門家が予備校などで教えているのはとてもいいことだ。こういう人がもっと増えるといい。

以上、6名の紹介。

再見〜  

我が母校である名門早稲田大学。その関係者は各方面で活躍している。早稲田大学の人物ということでWikipediaに早稲田の卒業生や教授など関係者がリストアップされている。基本的に既にWikipedia内にページのある個人が対象のようだ。

ここで、「中国」に何かしら関係している人物をピックアップしてみよう。早稲田には一体どんな中国関係の有名人がいるのか?

今回は学術(アカデミック)分野の著名人物をご紹介。

■政治経済学術院
1,毛里和子(現代中国の政治・外交) 「大平正芳記念賞」受賞
毛里 和子(もうり かずこ、1940年 - )は、日本の政治学者。早稲田大学名誉教授。専門は、中国政治と外交・東アジアの国際関係。
 
東京生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒業後、東京都立大学大学院人文科学研究科を修了(学位は博士(政治学)、早稲田大学)。日本国際問題研究所研究員、静岡県立大学国際関係学部教授、横浜市立大学国際文化学部教授を経て、早稲田大学政治経済学部教授。2010年3月に退職。2004年-2006年日本現代中国学会理事長。新しい日中関係を考える研究者の会代表幹事。
 中国政治について彼女の著書はよく見かける、教科書としてよく使われている。
 
■文学学術院
2,岡崎由美(中国大衆文学)
岡崎 由美(おかざき ゆみ、1958年 - )は、日本の中国文学研究者。早稲田大学文学部中国語中国文学コース教授。専門は中国大衆文学。
香川県出身。1981年早稲田大学第一文学部卒業。 中華圏で絶大な人気を誇る金庸作品のすべての日本語訳もしくは監修を手がけた。1996年にはじめて金庸作品の日本語訳『書剣恩仇録』が出版されて以来、日本でも武俠小説や金庸がしだいに知られるようになった。
金庸と並ぶ武俠小説の大家である古龍の日本語訳も手がけている。
金庸とは中国で誰もが知る小説家だが、その日本語訳の監修をやっている方が早稲田にいたとは。

金 庸(きん よう、1924年2月6日 - )は香港の小説家。香港の『明報』とシンガポールの『新明日報』の創刊者。武俠小説を代表する作家で、その作品は中国のみならず、世界の中国語圏(中華圏)で絶大な人気を誇る。本名は査 良鏞(さ りょうよう、拼音: Zhā Liángyōng)。金庸とは筆名であり、本名の「鏞」の字を偏と旁に分けたものである。

3,小林正美(中国思想,宗教史)
小林 正美(こばやし まさよし、1943年(昭和18年) - )は、中国思想研究者・早稲田大学名誉教授。六朝時代における儒教・仏教・道教の三教交渉史を専門とし、近年は主に道教の斎法儀礼の解明に取り組んでいる。

略歴
1943年(昭和18年):東京都に生まれる。
1967年(昭和42年):早稲田大学第一文学部卒業。のち、同大学院文学研究科東洋哲学専攻博士課程修了。
1983年(昭和58年):ハーバード・イェンチン研究所招聘研究員となる。(2年間)
1994年(平成6年):北京大学哲学系交換研究員となる。(2年間)
2002年(平成14年):早稲田大学総合研究機構道教研究所所長。(4年間)
2013年3月に早稲田大学を退職。。 
 
4,土田健次郎(中国思想,日本思想)

土田健次郎(つちだ けんじろう、1949年8月6日 - )は、日本の儒教研究者、中国学者。早稲田大学文学部教授。同大学文学学術院長を経て常任理事(副総長)を歴任。現在は早稲田佐賀学園理事長。
父、土田國保は警視総監をつとめた。兄、土田龍太郎はインド文学研究者・東京大学教授。弟、土田英三郎は音楽学者・東京藝術大学教授。

人物
昭和24年(1949年)、東京都に生まれる。東京都立日比谷高等学校を卒業し、早稲田大学第一文学部に進学。大学生時代の1971年12月18日に母が死亡し弟が重傷を負った土田・日石・ピース缶爆弾事件では、事件当時自宅2階におり、爆発音を聞いて駆け降りてきた際に、右手にかすり傷を受けている。
 
東洋哲学専修を卒業。同大学院文学研究科東洋哲学専攻を単位取得退学。文学博士。学生・院生時代は、栗田直躬と楠山春樹に師事。
昭和57年(1982年)、日本中国学会賞受賞。
昭和63年(1988年)、東方学会賞受賞。
平成22年(2010年)4月開校の早稲田佐賀中学校・高等学校の理事長に就任。 

5,森由利亜(道教思想史,中国民間信仰)

森 由利亜(もり ゆりあ、1965年 - )は、中国思想研究者、早稲田大学教授。専門は中国近世における道教および神仙信仰の研究。道教の教団形成や思想体系の様式を、中国社会に広く流布する一般信仰(popular religion)との関係の中で捉え直していくような研究を行う。
名前からして女性であると、しばしば学生から間違えられるが、実際には男性である。
曾祖父は森鴎外。 
 
6,楊達(中国語学) NHK教育テレビ『中国語会話』元講師
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楊 達(よう たつし、Yang Da、1961年 - )は、北京出身の中国語学者。
1992年3月、早稲田大学文学研究科修士課程修了。その後成城大学文芸学部専任講師・助教授等を経て、現在早稲田大学教授・東京大学非常勤講師。早稲田大学中国語教育総合研究所長。名前の日本語読みは本来であれば「よう・たつ」となるが、日本では日本語風に「よう・たつし」と名乗っている。 父親は楊為夫、母親は陳文芷。
 
中国語の教育者として、NHK中国語講座等にも度々出講している。2007年度4月以降は、NHKラジオ中国語講座応用編、NHKテレビ中国語会話双方に出講。 東大の授業ではチャイニーズジョークを頻発する。

教育
講義ではeラーニングも積極的に導入し、高い教育効果を上げている。通常の3分の1の学習時間だけで、9割の受講生が中国語検定4級に合格するだけの実力を備える。
写真から見るに、いい人そうである。
 
■社会科学総合学術院
7,劉傑(近代日中外交史・日中関係論・現代中国論) 「大平正芳記念賞」受賞

劉 傑(りゅう けつ、Liu Jie、1962年 - )は、中華人民共和国籍の歴史学者。博士(文学)(東京大学)。早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。コロンビア大学客員研究員、朝日新聞アジアネットワーク客員研究員を経て、朝日アジアフェロー。
 
専門は、近代日本政治外交史、近代日中関係史、現代日中関係論、現代中国論。
特に、日中間に横たわる歴史認識問題とその背景に詳しい。

経歴・人物
北京生まれ。10歳より日本語を学び、流暢な日本語を話す。北京外国語大学を経て、1982年に来日、東京大学に入学。伊藤隆の門下生。1993年東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了、東京大学より博士(文学)の学位を取得。
1996年4月より社会科学部に勤務。語学教員や在日特別永住者・早稲田大学OBを除き、早稲田大学が初めて外部から迎えた外国人の専任教員であり、グローバル化を進める大学の象徴となった。
沢山の著書があるが、
宮台真司,神保哲生などと共著『中国 神保・宮台激トーク・オン・デマンド 隣りの大国とのつきあいかた』(春秋社, 2007年)はビデオニュース・ドットコム視聴者の自分としては興味深い。

■国際学術院
8,天児慧(中国政治,現代中国論) 朝日新聞書評委員,教科書検定委員,アジア・太平洋賞受賞
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天児 慧(あまこ さとし、1947年7月17日 - )は、日本の政治学者、早稲田大学国際学術院、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授、第16代アジア政経学会理事長。 日本国際フォーラム政策委員も務める。 専門は、中国政治、現代中国論、現代アジア論、東アジア国際関係論。
1999年から2001年までアジア政経学会理事長を務めた。1989年、第1回アジア・太平洋賞特別賞を受賞。

岡山県生まれ。姉は天児直美。
1971年早稲田大学教育学部卒業。
1974年東京都立大学大学院法学研究科修士課程修了、
1981年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学、
1982年琉球大学助教授。
1986年から1988年まで外務省嘱託専門調査員を兼任。
1986年「中国革命と基層幹部 内戦期の政治動態」で一橋大学より社会学博士の学位を取得。1990年共立女子大学国際文化学部助教授、
1993年同教授、
1994年 青山学院大学国際政治経済学部教授、
1999年アメリカン大学客員教授。
1999年から2001年までアジア政経学会理事長。
2001年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。
2006年から2008年まで同研究科長兼アジア太平洋研究センター所長。
2007年から早稲田大学グローバルCOEプログラム「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点(GIARI)」拠点リーダー。
2010年から人間文化機構現代中国地域研究幹事拠点拠点幹事長(早稲田大学アジア研究機構現代中国研究所所長)。
中国研究では彼の名を知らないものはいないだろう。

■法学・政治学
9,西村幸次郎 - 中国法,一橋大学名誉教授

西村 幸次郎(にしむら こうじろう、1942年5月1日 - )は、日本の法学者。専門は現代中国法。山梨学院大学大学院法務研究科客員教授、一橋大学名誉教授。
 
秋田県雄勝郡雄勝町横堀(現・湯沢市)出身。1978年から2002年まで日本現代中国学会理事(事務局長、常任理事等、2012年から顧問)、1981年から1987年まで早稲田大学憲法懇話会事務局長、1991年から2003年まで「社会体制と法」研究会運営委員、1994年から2000年まで日中人文社会科学交流協会評議員、2000年大学基準協会相互評価委員会専門分科会委員、2003年から2005年まで科学研究費補助金による研究課題「中国民族法制の総合的研究」代表者、2006年から2008年まで日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員及び国際事業委員会書面審査員を歴任。

学歴
1961年 - 秋田県立横手高等学校卒業
1965年 - 早稲田大学第一法学部卒業
1967年 - 同大学大学院法学研究科修士課程修了
1970年 - 同大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学
1992年 - 大阪大学より博士(法学)の学位を受く(学位論文「中国憲法の基本問題」)。

研究領域等
西村が研究者としてスタートした当時の比較法研究は欧米法が中心であったが、その中で福島正夫に師事して日本においてそれほど一般的でなかった中国法研究に進んだことは、慧眼であったと言わなければならない。
 
しかし、1954年に中華人民共和国憲法が成立したのち、1972年の日中共同声明が調印された以後も、なお中国法に関する十分な情報が得られない状況下、あらゆる手段を講じて、調査、研究を行ってきた。
そのような中、中国においては、文化大革命(1966年-1976年)、改革開放(1980年代以降)が進行し、また少数民族問題の重要性が高まってきたため、西村は本来の専攻である憲法研究から、中国の実態を支える法制度としての人権関係法、家族法、経済関係法、少数民族関係法、法の継承問題など国家全体の法制度の研究へと幅広い取り組みをすることとなり、踏査等の実態把握に努めつつ、中国法の動態的研究を行い、その成果を発表してきた。
一方、現在では最先端研究分野となった中国法に携わる者の責務として、日本における中国法研究の比較法研究の対象への取り込み、中国法講座の新設、中国人研究者との共同研究、中国文献・資料の翻訳出版、関係学会への協力、啓蒙のための講演などのほか、研究者への指導助言、後継研究者の育成など多方面にわたり重要な役割を果たしてきている。
■哲学・社会学
10,福井文雅- 仏教学者・中国学者,早稲田大学名誉教授
福井 文雅(ふくい ふみまさ/ぶんが、1934年6月6日- )は、日本の仏教学者および中国学者、僧侶(天台宗勧学で権大僧正)。栃木県日光市、日光山輪王寺内にある唯心院住職、早稲田大学名誉教授。 父の福井康順と、弟の福井重雅(1935年 - )も、共に東洋学者であり、天台宗僧侶。早稲田大学教授を務めた。

略歴
東京府生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学文学部東洋哲学専修を卒業。同大学院に進学。フランスに留学し、ポール・ドミエヴィル(1894年-1979年)に師事する。
般若心経の文献学的研究や道教の形成に関する歴史的研究を行う。 1991年フランス政府より、学術教育功労勲章を受け、騎士(chevalier)に叙任された。2014年、瑞宝中綬章受勲。日本学術会議(17期・18期)会員でもあった。1996年から2004年まで、早稲田大学仏教青年会第8代会長。
『アジア文化の思想と儀礼 福井文雅博士古稀記念論集』(同古稀・退職記念論集刊行会編、春秋社、2005年)に詳しい紹介がある。

中国学者だが、フランス留学してて、寺の住職!面白い。
 
■文学・美術学
11,楠山春樹 - 中国古典研究者,早稲田大学名誉教授
楠山 春樹(くすやま はるき、1922年 - 2011年10月30日)は、中国古典研究者、文学博士。早稲田大学名誉教授。主に道教と老子の研究で知られ、一般向けの紹介書なども数多く手掛けた。
 
略歴
1922年、東京都生まれ。
1943年、早稲田大学文学部東洋哲学科卒業。
1962年、早稲田大学教授。
2011年10月30日、老衰のため東京都文京区の自宅で死去。89歳没。
 
以上、怒涛の11人の簡単なプロフィールを紹介。

再見〜 

みなさん、こんにちは!

今日は「中国人富裕層」がどれくらいいるのかについて調べてみました。中国語ぺらぺらなわれわれにとってその実践として是非ともこれらの大量の富裕層中国人に商品やサービスを購入してもらいたいものです!

Wikiによると、「中国人富裕層」とは、次のどちらかを指すようです。
  1. 「年収」200万元(約2900万円)以上の中国人
  2. 「投資可能な資産」が1000万元(約1億3000万円)以上ある中国人
なかなかのハイレベルな規準ですなぁ。普通は周りにこんなレベルの人はいないのではないでしょうか。
 
気になる資産や収入クラス別の人数はどうなっているのか?
 
中国において2008年に投資可能な資産が1000万元(約1億2千万円)以上ある富裕層は約30万人おり、投資可能な資産の総額は8兆8000億元に上る。一方、招商銀行とベイン・アンド・カンパニーが発表した「2009年 中国個人財産報告」によると、2009年末までに、1000万元以上の投資可能資産がある個人は、前年同期比6%増の32万人になり、投資可能資産額も前年同期比7%増の9兆元を超えるとしている。

 う〜ん、Wiki情報は大分古いので百度baidu先生に聞いてみましょう。
(ちなみに以下、2017年1月のおおよその為替レート、中国元=17円、米ドル=115円で計算)

「天涯」という中国版2ちゃんねるみたいなのの1つのスレッドに1つのまとめデータがありました。2015年のもの。他の統計データと較べると結構信憑性はあるかもです。

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 一番左の列は上から、「分類(カテゴリ)」「小カテゴリ」「家庭収入」「人数」となっています。
「分類」を見ると10つほどに分かれていますが、それぞれ以下のように定義され、それぞれに属す人数は以下のようになっています。あえて、カテゴリー名は中国語のまま。だいたい漢字で感じが分かるでしょう。
  1. 贫困人口:一人あたり年収2800元(47,600円)未満,全国に8200万人ほど。
  2. 穷人:家庭年收が3万元(51万円)未満。⇛2億人。
  3. 低收入:家庭年收3-8万元(51万〜136万円)⇛4億人
  4. 小康:家庭年收入8-30万元(136万〜510万円)⇛1.8億人
  5. 中高收入者:家庭年收入30-100万。(510万円〜1700万円)⇛1.5億人
  6. 富人:家庭年收100万以上(1700万円以上)⇛3500万人
  7. 富翁:(ここから資産で見る)資産1000万元(1億7千万円)以上⇛200万人
  8. 富豪:資産1億元(17億円)以上 ⇛6.3万人@2014年
  9. 大富豪:資産10億元(170億円)以上 ⇛1800人@2014年
  10. 超级富豪:資産100億元(1700億円)以上 ⇛90人@2014年
参考:http://bbs.tianya.cn/post-develop-1999388-1.shtml

このデータちょっとあやしいかもしれないですね。信頼できる(そもそも中国の統計は信頼できないが)新浪ニュースの記事では、2016年5月の時点で、資産1000万元(1億7千万円)以上の「富翁(ふおう)」は昨年より13万人増えて134万人とのことです。(上データでは200万)要は中国で1000人に一人が資産1000万元(1億7千万円)以上の「富翁」ということです。

参考:中国拥有约134万千万富翁 每千人有1个千万富翁
http://forex.cngold.com.cn/gnrd/20161108d11024n98190786.html 

日本だと一般的に、ほぼここの富翁レベル、すなわち純資産1億円以上を富裕層といいますが、2015年では114万世帯にも上ります。中国だと1億7000万以上が既に134万ですし、これは世帯ではなく個人ですから圧倒的に中国の方が多いですね。

さらに日本では5億円以上の超富裕層は7.3万世帯ですが、中国ではその前年2014年のデータで、17億円以上が6.3万人(個人)ですのでこれまた中国が圧倒。そりゃ爆買しますわな!
 

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参考:資産1億円超の「富裕層」が増加中、なぜ?―NRI調べ

中国の富裕層に戻りましょう。

以下の2016年のデータでは、
  1. 10億ドル(1150億円)以上の資産 ⇛594人 (五年後予測⇛1400人)
  2. 20億元(340億円)以上の資産 ⇛2056人 (五年後予測⇛5800人)
  3. 10億元(170億円)以上の資産 ⇛9500人 (五年後予測⇛17000人)
  4. 1億元(17億円)以上の資産 ⇛89000人 (五年後予測⇛110000人)
統計のとり方の違いもあると思われますが、それにしても1年で一気に超富裕層が増えている。。さらに5年後の2021年の予測も衝撃的。

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参考:http://blog.sina.com.cn/u/3996357961

ちなみに、2015年の保有資産TOP10はこちら。。。
どんだけ~

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結論、中国人富裕層多すぎ。

そして日本でハイエンドと言われているものの供給が追いつかないくらいの富裕層がこんな近くにいるのに、なぜそうなっていないのでしょうか。。。

加油!!!! 

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